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年を取るとどうなるか Day 7

昨日、何もしていないのに急に体調がおかしくなり、しばらくゴロゴロと休む羽目になった。いい機会なので、老いるとどんな風にからだとこころが変わるか自分のことを振り返ってみよう。

わたしは頑健ではないがそれなりに健康だった。無理もしたし嫌なストレス源もあれこれかわしてきた。
だけど50代の半ばからどうもそれがうまくいかなくなったように思う。
「このくらいはできる」の、「このくらい」が、40代以前とはちがってきているのを、自分で長いこと自覚できずに突然倒れたりした。だから今ではおそるおそる身体のご機嫌を伺いながらいろいろなことをするようにしている。家事も、アルバイト仕事も、介護も、遊びも。
そう、遊びも。
時間があっても思うように遊べないのだ。



がんばれない

まず、がんばれなくなった。
根を詰めた仕事ができなくなった。「仕事」は給料仕事もプライベートな事柄も全部含む。根を詰めてがんばってしまうと、肩から背中の下の方にかけて鉄板のようにガジガジに固まり、やがて胃腸障害や頭痛、腰痛などが出てくる。それでもがんばっていると過呼吸などパニック発作みたいな症状が出る。一番悲しいのは介護を含む義務仕事をがんばってかたづけて、さあ遊ぶぞと繰り出すと急に調子が悪くなるところだ。

徹夜はもともとできない体質だったが、このごろは夜更かしもできない。無理にがんばればその後数日は具合が悪くなってかえって時間の無駄になるからだ。燃費が悪くなったというか、ふんばりがきかないというか、とても情けなく感じてしまう。
でもそれって正常な老化の一部なんだと思う。

体力作りを間違うと怪我・病気のもと

体力作りをがんばろうとすると怪我をする。

具体的に言えば、あまりにもすぐダウンするので体力を付けたいとスポーツクラブに入ったが、そこで「がんばって」走ったりすると後で体調を崩す。疲労感とかだるさのレベルではなく内臓の方までおかしくなるし、がんばりすぎて抵抗力が落ち、かえって風邪を引いたりする。

だからがんばれない。
効果があるのかないのかわかんない程度にゆる~~い運動を細々と続けるのが良いようだ。(でも本当に良いのか実はわかっていない。やらないよりはマシなんだよね?)

同い年の知人はなまじ若い頃スポーツをやっていて「できる」ために、年取ってから再開した運動であっという間に膝をやってしまい、結局、手術する羽目になった。高校生の頃と同じように気持ちだけは動いてしまうのだ。でも身体はさび付いてガタが来ていて、同じように動けば筋を痛めたりどこかが切れたり関節がどうかなっちゃったりするのである。
気持ちは、はやる。
でも身体は、ついていかない。

記憶が怪しくなる

記憶は本当に悪くなった。

変な話だけれど、わたしは記憶力だけはそれなりに良くて、それで人生を渡ってきたところがある。その記憶がついにダメになり始めている。

とにかくすぐに忘れる。
醤油が切れたので買いに行って、トイレットペーパーを買って帰ってくるとか。(醤油はない)

玄関に鍵をかけてから2度3度と戻る。
歩きだしてから忘れ物に気づくから。
マスクを忘れた。
ハンカチを忘れた。
最後にスマホを台所のテーブルに置きっぱなしなことを思い出し、慌てて3回目に戻って電車を一台、乗り過ごしてしまう。
それが日常茶飯である。

そんなことは自分でもあると若い方は言うかもしれない。だけどこれは当社比でのことだ。わたしはそんなに物を忘れる方ではなかったのだ。20年前に比べて倍くらい忘れやすくなっている。だから今忘れやすい人は、年を取るともっと忘れやすくなるかもしれない。

友人知人、歌手や俳優の名が出てこない。顔はありありと思い浮かぶのに。
一番困っているのは言葉が出てこないことだ。文章を書いていて、(あ、ここにぴったりの言葉は……)という時にどうしても思い出せない。
仕方ないので最近は、似たような思い出せる言葉を類語辞典で検索している。そうすると(これだ、この言葉を使いたかったのよ!)という単語が出てきたりする。
できなくなったことを別の方法で何とかカバーする。こういうのも一種のライフハックかもしれない。

老化と新たなる地平

まだまだ年を取ることの不具合は他にもありそうだけれど思い出せない。

遠距離介護先の親は90代の後半である。
しっかりして自分で動き回っているし認知症もないけれど、100年近く生きると人間の身体はここまで衰えるのかと思い知らされる。

弱い。疲れやすい。病気になりやすい。かかった病気の多くは治らない。
いま自分だってそうだが、90代の親を見るとこの先はもっともっとそうなることがわかる。

だから綿密な自己管理が必要だ。
特に遊ぶときに身体を万全に整えることが最近の大きな目標になりつつある。遊びたいのに身体がうまく働かない。旅行に行きたいのに歩くとへばって具合が悪くなる。おいしいものを食べると胃腸がおかしい。
フルコースは何料理でも今の時点でもう無理だ。和食でも。
とんかつもビフテキも半人前が限界。


そんな毎日を送っているから、時々、来年の桜は見られるだろうか、紅葉は、雪は見られるのだろうかと思う。本気でそう思う。
だからだろうか、日々の小さな美しさや感動に敏感になった。

青空と雲が印象的な10月。つい数日前のこと。

この雲は一期一会。
その大切さがわかるようになったのは大きな収穫だ。
たぶん、年を重ねたからこそわかるのだろう。
こんな風に、できなくなったから(若返る見込みがないから)感じられる、理解できることが、きっともっとあるんじゃないだろうか。
それらに敏感でいたい。
アンテナはいつも高くして。


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