見出し画像

【日記】のようなもの、ふたたび

毎月、遠距離介護に来ている。
介護と言っても身体的な介助は必要なく、ご飯を作ったり掃除洗濯をしたりといった家政婦さん的な役割なので気は楽だ。
認知症がないので話も通じるし。

親は四捨五入すると100歳である。なんと!
こうやって文字にしてみるとその事実にあらためて驚く。
本人も「なんで生きてるんだろうなあ。友人縁者もみな死んでしまった」と言う。配偶者も逝き、兄弟姉妹誰も残っていない。同期どころか10年、20年も後輩の人々が世を去って会えなくなっている。

長生きはおめでたいことであるので、「まだ生きる使命が何かあるのよ~」とのんきな声で返事しているが聞こえているかどうかはわからない。この親の遺伝的な体質を受け継ぎ、わたしも40代のうちから難聴が始まった。親自身は今や強力な補聴器がないと目の前で叫んでも音が認識できないくらい何も聞こえないらしい。
昼寝している時に掃除機をかけたりドライヤーをかけたりするのに気兼ねしないので、そういう意味ではありがたいけれど。

故大崎博子さん(Xでフォローさせていただいていた)が言っていたが、高齢者は「きょういく」と「きょうよう」が大事なのだ。
きょういくとは「今日、いくところ」
きょうようは「今日、用がある」ということ。
家に閉じこもりきりはどんな年代だってよろしくないだろう。

でも、この暑さでは外を歩くのもままならない。特にこんな超老人は、少しでも過酷な環境に置いたらすぐに身体のどこかがいかれてしまうので気を遣う。だからといって一日中、家の中に居ては運動にもならないし目先も変わらない。体にも心にも良くないのでなるべく連れ出すようにしている。

スーパーマーケット
デパート
ショッピングモール

買い物が趣味じゃないんだけれど、涼しくて多少散歩ができて目先も変わりやすいのってそういう所しかない。おかげでわたしは高速を運転してびゅーんと都心のデパートに出かけるのが得意になってしまった。もう地図やナビを見なくてもいけるもんね。

そうそう、親は車の免許を、とうとう、返納した。
車があれば便利な場所に住んでいるので難しかったが、この年齢でもしも人に被害を及ぼすようなことがあったら全国のトップニュースだ。炎上どころではない大変な事態になるだろう。四捨五入で100歳である。頭も目も身体もしっかりしていても(実際しっかりしている。テストを受けたら合格すると思う)、突然の脳出血とか心筋梗塞とかそこまで行かなくても体調不良で気を失うことだって考えられるのであって…… もう本当に返納してくれてありがたかったよ。

そういうわけで、わたしは家政婦兼運転手兼話し相手をしている。
ショッピングモールを歩いても、ウィンドウショッピングや「カフェで一服」の趣味の無い人なので、だだだっと目当てのところ(本屋か、食品関係か、ドラッグストア)に行って、5分ほど見て、目的のものがあれば買ってすぐ帰る、というスケジュール。体力的にもそれが限界。

外食はもう味もボリュームも受け付けないのでほとんどできない(高級寿司店とかでこちらのオーダーに沿って出してくれるなら別)。まだ目はそこそこ大丈夫そうで本を読むのが生きがいなので、本屋ではうれしそうに選んでいる。わたしもついでに何か買ってしまう。

本人はデイサービスや施設なども考えたこともあるが、あちこち見て回った結果、どうも行く気にならないらしい。理由はいろいろあって、

  • 話し相手がいない(高齢者だからといって話が合うわけではない。現在の政治経済や、好きな古代~中世の日本の歴史の話だの、新しいサイエンスの潮流だのを話しても、なかなか相手になってもらえない

  • 認知症の方や身体の病気を持った方も大勢いて、そういう人たちを見ているのが辛い。気持ちも滅入る。

どうも後者の理由が大きそう。みんなで歌を歌ったり踊ったりするのは楽しんでやれると思うけどな。あ、でも踊ると神経痛など整形関連の不具合が大きくなるかもしれない。難しい。健康体操とか教えてもらうといいかもしれない。

たいへんありがたいことに認知症もなく、あちこち病気はあるが自分で普通のご飯を食べ、自分でタクシーを呼び、歩いてどこでも行く。
だから手助けしなくても大丈夫なんじゃと思うかもしれないがそれは違う。確かに、汚部屋の中でゴミにまみれて適当なものを食べてまともに栄養が取れないような生活なら一人でできるだろう。でも人間の尊厳が守られるような生活はあの年齢のひとりぐらしでは苦しい。なのに動けてしっかりしてるので要支援が付かないのである。介護保険が使えない。それもまたなんだかなー高いお金を払ってきたのになーとちょっと思う。見た目だけでも元気なのはありがたいことなんだけど。

ま、親はこのところ体調が割にいいので元気であり、今日は100歳まで生きる宣言をされた。結構なことである。だからわたしも向こう5年くらいは絶対に大きな病気にならないよう、食べ物や体調に気をつけてジムにも通って体力付けなきゃなあと思っているところだ。倒れてはいかん。死んでもいかん。その上で自分自身にも楽しいことがあって欲しい。余暇も休息も欲しい。

人生、いつまでも大変だよ。
みんなもがんばって生きよう。
そして楽しいこともたくさんしていこう。
日々、楽しいことを見つけてやりたいことをやっていくってのが、誰にとっても良い人生だと思うのよ。

ここから先は

0字

この記事は現在販売されていません

この記事が気に入ったらチップで応援してみませんか?