感情が乏しい悩み Day 3
この毎日更新チャレンジを始めたのはもっと文章が上手くなりたいという動機……なんだけれど、その根っこにあるのは自分の感情をもっと豊かにしたい、という思いだ。
とにかく書こう、と始めたものの、3日目にして
(それ、どうやったら??)
と行き詰まりを感じている。
わたしは喜怒哀楽の幅が狭い。別の言い方をすると、感情の解像度が低い。
(と自分で思う)
もっと若い頃はこんなんじゃなかったと思うのだけれど、いつの頃からか「すごーく有頂天になって喜ぶ」も、「悲しくてさめざめと泣く」こともなくなってしまった。いつもフラットでだいたい同じ。
もちろん「うれしい」ことや「がっかりした」こと、「ムッとする」ことなどは日常にたくさんある。けれどそれが強い感情となって表れないというか、ボリュームを大きくできない。ほとんど泣いたり怒ったりしない代わりに、大声でワハハと笑うことも少ない。人間としてどうなのかと自分でも思う。まあ良い言い方をすれば「気分に変動が少ない」ってことなんだけど。
だけど感情って人間を動かす原動力だと思う。気持ちが大きく揺れないと動く気になれないということはないだろうか。
大きな喜びを感じれば、相手に対して深い感謝の念がわいたり、無関係な他人にも優しくしようとする気持ちが芽生えるだろう。理不尽なことに怒りを覚えれば、それを何とかしようと動き出すモチベーションになるじゃないか。そういうものが自分には欠けていると思うのだ。全然無いわけじゃないけど、少なくとも、乏しい。
それはnoteを書く時にも如実に表れる。
理の勝った文章は書けるんだけれど、豊かにエモい内容は全然かけない(と自分で思う)。エモいところがどうがんばっても出てこないのだ。エモくないから人に訴える力も少ない。ほら、今だってすごく理詰めの「知」の勝った文章になってるでしょう? 困って辛いとか、悲しいとか、そういう感情を文章に載せることができないのだ。
出てこないから。
悲しいだけじゃなくて哀愁も憂いもそこはかとない楽しさも歓びも悦びも、どうもうまく出てこない。書けない、というより、感じられない。
こういう時、もっともたやすい方法はエモい映画やドラマにどっぷり浸かることかもしれない。ところがもうかなり前(20年以上前?)から人の感情が露わに出る映画やドラマが苦手になって見ていない。だいたいすべての映画やドラマは強い感情が頻出するからね。そうでないと物語が進まないし。
あ、そうか。(書いててわかってきたぞ)
ドラマが苦手。作り物のドラマとわかっていても人と人がいがみ合ったりネガティブな感情をぶつけ合うのが苦手だから、見たくない。たとえ一瞬でも見るのが辛い。緊張が高まる場面のある映画も苦手。映画館は逃げられないから全部のストーリーとネタバレを知っているものしか見られない。だから見ない。見ないからますます感情の発露が苦手になる。
それって、エモさ(強い感情)を感じるのがしんどいから避けているんじゃ?
避けているから自分の中からも湧き上がらないのでは?
うーん、しんどいのか。
これは苦手な食べ物を少しずつ食べてみるように、がんばって挑戦していると慣れてくるものなのだろうか。語学のラジオ講座みたいに少しずつ毎日やればうまくできるようになるのだろうか。ドラマを見たり、映画を見たり。もしやるとすると楽しみじゃなくて義務みたいになるな。うーん。それもどうなのか。
感情が平坦で一定なのは長所も多いのである。
なによりわたしは怒りや不機嫌を周囲にまき散らすことをあまりしない(多分)。だいたいにおいてニコニコしていて人畜無害である(多分)。
ああそうか(再びの気づき)。
他人には迷惑をかけないんだ。
だからこのままだって何の問題も無いんだ。
だけど自分の中から何も出てこないから、何かを表現しようとする力に乏しいんだ。そしてそれが残念だし悲しいし何とかしたいんだ。
これは困ったね。
どうしたらいいんだろう。
他人から見たら「そのままで十分。何もしなくてよろしい」なんだな。
でも自分としては「人間としてどうかしら?」という焦りがいつもあるんだな。
今回のnoteは他人が読んで面白いものではないけれど、自分としてはずいぶん気づきのある文章になった。
だからといってどうしたらいいかは相変わらずわからない。
映画やドラマを見て強い感情に慣れるようがんばればいいんだろうか。
何か別の方法はあるか?
どう思います?
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