エッセイと日記 Day 16
わたしは常に身辺に活字があって常時10~20冊くらい紙の本を積んでいる人間だが、このところ小説ではなくてエッセイや評論や実用書ばかり読んでいる。特に意味はない。小説の物語世界に入り込むのがちとしんどい。まあそれは自分が今、マルチタスクでバタバタしてるからで、ほかに理由はない。
そんなつい先頃、秋谷りんこさんが「エッセイって何ですか?」という記事を書かれた。
リンク先の記事まで読むと、なーんとエッセイの中には全部創作というもののあるらしい。へえ~~へえ~~80へえ
(これが通じる人、いまどのくらいいるのかな)
でも本当に、全部創作だとしたらそれはエッセイなんだろうか? エッセイ風の小説なのでは? 少なくともわたし自身は「エッセイ」とあったら(たとえ盛ったり演出があったとしても)半分以上は書き手の事実だと思うなあ。そして事実と思わせる書き方をしていて全部創作なら、やっぱり騙されたような気持ちになっちゃうな。どうなんだろう?
わたしの思う「エッセイ」は、
・事実を元に自分の考えや思いを述べた文章
であり、書き手の身に起こったことを事細かに書き記すと言うよりは、その概略を述べて、そこから自分が感じたことや考えたことを展開していく、という感じ。起こった事実はあくまでとっかかりというか具体例の一つであって、そのことを詳細に記述すると言うよりは、その事実や出来事から影響された自分の思いや考えが主体という認識である。
似たものにネットや紙媒体で公表される「日記」がある。
これがねー、エッセイとの違いがよくわからない。
ぺけったー(元Twitter)にはこんな風に書いたけれど、
日記だって起こったことを書き、そのことが自分に与えた影響を書いたりするし、思いがどんどん広がっていけば実際に起こった事実がちょびっとであとは心の中のこと、みたいな日記だってある。
でも、読んでいて「これはエッセイ」「これは日記」としか言い表せない作品も多い。
たとえばわたしのバイブル的な本に三浦しをんの「しをんのしおり」と「人生激場」があるのだが、これはどんなにしをん先生の日常が書かれていようとも日記ではなくてエッセイだと思う。うまく説明できないけど。(何故バイブルかというと、その爆発的エネルギーと爆発的な笑いで、身体やメンタルが落ちたときに拠り所になる本だから)
そして最近読んだ中でべらぼうに面白かった早乙女ぐりこさんの「ぐりこ、速く! もっと速く!」は日記としか言い様がない。エッセイじゃない。
ああ、このへんが本当にうまく説明できない。でもぐりこさんの本は基本、時系列で人生の成り行きに沿って書かれているので日記だと思う。
(ぐりこさんの文章を初めて読んだのはnoteなのでそちらも貼っておく)
あ、ということは、時系列に書かれていれば日記なのかな?
時系列に書いたらエッセイじゃなくなるのか。少なくともわたしはエッセイだと認識できなくなるのかな。
わたしは人の日記が大好きで、noteには日記を書く方がたくさんいるのでホイホイ読みに行っているのだが、それでも「すげーおもしろい」日記と、「普通の」日記というのは、ある。
ここも、どこが「すげーおもしろい」のかうまく言葉にならない。もどかしい。
普通の日記だなと思う場合は、その折々の気持ちも含め事実が淡々と記されている場合が多い。つまり「編集してない」ナマの日記だ。起こったこととそれに付随する気持ちや考えがそのままずらずらと並べられた、という感じかな。
ぐりこさんの日記など「すげーおもしろい」系は、どんなに時系列で書かれていてもやはり何らかの盛り上げだとか、「後から考えたらあのときはこうだったよね」みたいなことを著者自身が気づき、それを書く時点で編集して盛り上がるように、あるいは盛り下がるように書かれているように思う。文章としてスポットライトの当たる部分と背景の部分をうまく書き分けているというか。
うーん、そうなのかな。多分そうなのだと思う。創作は入ってなくて事実だけであっても、読者を想定して書かれたものが面白いのかもしれない。「普通」と感じられるのは、著者に読者視点がないのかもしれない。
以下、これまで読んだ日記で面白かったものをあげると、
有名な武田百合子の「富士日記」なんて、最初は事実とその日に買ったものと値段のメモみたいなんがずっと続いていて、どうしてこれが評価が高いんだろうと思って読んでいた。そうしたら後の方になり、著者自身が書くのに慣れてきたのか、事態が深刻化して(夫、武田泰淳の健康状態が悪くなっていくとか)心からの叫びが多くなったのか、ずいぶん胸に響くところが多かった。こちらの感情を揺さぶられると読者は「面白い」と思うのだろうか。
川上弘美の「東京日記」のシリーズはもはや日記なんだか小説(創作)なんだかわからない。ちょっとずれたおかしな日常が続いて大好きだ。でも6冊目(というのかな? 「さよなら、ながいくん。」です)の後書きに「とうとう本当のことばかりになった」みたいに書いてあって、えっ、これで「本当のこと」ばかりなの??と混乱したのも事実である。よく読めば確かに実際にありそうなことしか書いてないのに、どうして「えっ?」と思ってしまうんだろう。川上節のなせる技?
これから読みたいのは「更級日記」。
大河ドラマの「光る君へ」にハマっているので、平安つながりで。
ただ古文が読めないので現代語訳でないとね。幸い河出から江國香織(現代語訳)が出ているので、今の積ん読が10冊くらい減ったら読んでみよう。
今日はエッセイと日記の違いを深堀りしようとして、うまくいかなかった。とりとめのない記事になってしまった。
こんな日もある。文章を書くのはいつも難しい。