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老い

#チコちゃんに叱られそう日記  16日目。

この日記の「何日目」というのが途中から一日ずつズレていた。アホーだ。すべて書き直す。

今朝はぶどうパンのかけらとプチトマトと目玉焼きと野菜スープ。この野菜スープは人に勧められてずっと作っては飲んでいる。元はこの本だけれど、もうレシピなんか全然そっていない。手当たり次第に残っている野菜を切って水から煮るだけ。味は、つけないと家族が誰も食べないのでブイヨンや出汁を入れる(本にはつけないとある。年取れば取るほど塩分は脅威だから)。そういえば著者の前田先生は今年亡くなられたのだった。候補だったけれどノーベル賞は取り損なった。


仕事の企画書はまだ書けない。書けないどころかまだ構想がまとまらない。あれやこれやこれまでの企画を読み、何かのいいとこ取りをしようと苦心する。ものすごく後ろ向きな姿勢だけど、行きがかり上やらなきゃいけないので、やる。仕方ないけど、やりたくないけど。それが給料をもらうってことでしょ。はあ。

足首はもうほとんど良くなったと思うのだけれど、まだサポーターを取る許しが医者から出ない。転倒してから(8月16日だった)運動らしいことを全然していないので身体もこわばってしまっている。時々歩き回ったり、肩を回したりするがPCに向かっているとそれも忘れてしまう。忘れて、立ち上がって歩き出した時に腰が痛かったり膝がこわばってカクカクしていたりして何とも情けない。運動したい。ウィルスがはびこる前に通っていたスポーツジムにそろそろ復帰しようかな。足首が無罪放免になって緊急事態宣言が引っ込んだら考えてみよう。

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昼を食べに近くの店に行ったらものすごく大きな声のお年寄りが。多分、耳がかなり遠いんだわ。

会話は丸聞こえだし怒ってるように聞こえるが普通に話しているだけだ。時々咳き込むので近くに座っていたグループは早々に退散した。でもあれは風邪じゃない、嚥下がうまくいかずむせてるんだろう。

年取るとああなるのかと思う。自分で気をつけていても衰えは隠しようがない。カフェの店員を「お姉さん!」とでかい声で呼ぶのも悪気があるのではなく昭和の最初ごろに生まれたからそういう文化で育っているのだ。それでも場へのそぐわなさと、それに気づかない(気づかなくていいんだけどさ)お年寄りの情報処理の劣化はこちらのメンタルを少々削る。

ああ自分は多様な人々への受容性が低くて本当に嫌だな。なんて不寛容な人間なんだろう。頭ではわかるんだけどイヤだなあと思うことに自己嫌悪。昨日からの自分のメンタルの低下具合も拍車をかけている。

わたしは年を取っても外に出たい。カフェでお茶をしてウィンドウショッピングも楽しみたい。旅もしたい。カフェやお店で嫌がられないよう、せめて身綺麗にしてきちんと化粧もしよう、髪がすぐに乱れがちなので気をつけよう、声が大きくなりがちだから補聴器は常にセットしよう、加齢臭を撒き散らさないよう毎日風呂にも入るし、なんならあるかわからない程度のフレグランスも嗜もう、などと止めどなく考える。風呂以外は何もできていないしフレグランスは元々苦手だけど、ほんの少し、人も気付かない程度なら。

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仕事が進まなくて余分なことばかり考える。高齢の父も昭和初期の生まれで、お爺さんで耳が遠くて声がでかいし、自説を延々と披露するけど(わたしには)、外に出た時はびっくりするくらい謙虚にしている。多分、よその高齢者を見て自分はああなるまいと努力しているんだ。自分の常識で行動して時勢に合わないことがあるのに気づいているんだ。そういう父をえらいと思うし、あんなに長く生きてきたのにまだ気を遣ってせつないとも思う。

それにしても仕事が片付かない。作家の森博嗣が「仕事のストレスは仕事でしか解消しない」って言ってたけど本当だ。あ、ここの「ストレス」は仕事自体のストレスという意味で、職場の人間関係とは別。結局仕事をうまく終わらせることでしか仕事ストレスは解消しない。そして終わってもまた次の仕事があるのだ。もういっそ「老い」というテーマで企画を考えようかな。無謀かな。無謀だな。




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