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踊っていたこともある

年末のクラシックというとベートーベンの第9が有名ですが、同じクラシックでもバレエの世界だと「くるみ割り人形」が定番でしょう。

「くるみ割り人形」はチャイコフスキーが作曲した三大バレエのひとつ。もともとは18~19世紀にかけての作家、E・T・A・ホフマンの書いた「くるみ割りとねずみの王様」というお話がもとになっています。

この「くるみ割りとねずみの王様」の方を、古い古い創元社の世界少年少女文学全集でわたしは読んでいたのでした。お話の方は何だか夢になったり現実に戻ったりでホフマンらしい幻想譚的な話なんですけど、バレエの物語はもっと単純化されていてわかりやすいです。

ホフマンの原典だと主人公は7歳の「マリー」で、「クララ」はクリスマスにもらったお人形の名です。でもバレエだと「マリー」は出てこなくてクリスマスを待つ人間の少女「クララ」が主人公です。年齢は、わかんないな、子どもであることは間違いありません。クリスマスのお話なので色々なバレエ団がこの演目で12月に公演するんですね。日本でもあちこちでやっているんじゃないかな。

ドイツの工芸品「くるみ割り人形」
いらすとやから頂いてきた画像


ところで実を言うと、小学校の頃、少しだけそのクラシックバレエを習っていたことがあります。

当時バレエは少女の憧れの的でした。「小学1年生」などの小学館の学年雑誌にバレエまんがが連載されており、夢中になって読んだクチです。なんというかわたしは非常に女の子女の子した典型的な女児で、ひらひらやキラキラやお姫さまが大好きだったんですね。バレエは結構お金もかかるしうちでは縁がないと思っていたのですが、小2の時、とうとう習わせてもらえることになりました。

レオタードとタイツとバレエシューズを買ってもらって、おっかなびっくり稽古に通う日々。同じ年頃の少女たちはみな、もっと小さい頃からやっていて上手です。そして始めた時期とは無関係に、わたしは子どもながら身体が硬く、どうみてもバレエを含むあらゆる身体運動に向いていないのでした。でもそんなことわかんなかったですよ自分では。ただひたすら、バレエの場に身を置いていることが楽しくてうれしくて。

子どもの発表会には幾度か出ましたが、一度だけ、大人のダンサーも一緒の「くるみ割り人形」全幕に出る機会がありました。舞台に立ち、有名な序曲を聴きながら緞帳が上がるのを待つ間のドキドキ感ときたら! 今でも思い出せます。

一幕は、クララの家のクリスマスパーティにたくさんのお客がやってくるところから始まります。大人も子どもも大勢。本来の振り付けがどうなのかは知りませんが、小さなバレエ団には子どもクラスがたくさん有り、その子どもたちが皆出るとなるとどうしても子どもの役が増えるのでした。わたしは「客の男の子3」みたいな役でした。有名な行進曲に合わせて後ろから2列目くらいで踊りました。

その夜、クララは夜中になって大量のネズミの軍勢が居間に攻めてきたのを知ります。迎え撃つのはくるみ割り人形たち。しかし劣勢です。もう負けそうという時、クララは咄嗟に自分のスリッパを投げつけ、それが頭に当たってネズミの王様は倒れてしまいました。くるみ割り人形たちが勝ったのです。

くるみ割り人形は感謝し、クララをお菓子の国へと招待します。
その道行きで雪野原を通っていくのですが、ここの雪の精たちのコール・ド・バレエ(群舞)が真っ白できれいなんですよね。降りしきる雪が表現されていて。曲もステキ。ただ、有名曲を集めた「くるみ割り人形組曲」には、この曲は入っていません。

このあと第2幕はお菓子の国の華やかなダンスが続きます。
チョコレートの精によるスペインの踊り、コーヒーの精によるアラビアの踊り、お茶の精による中国の踊り。この中国を、他の子たちと一緒にやらせてもらいました。チャイナドレス風の上衣と五分丈パンツみたいな衣装で。
一幕が男の子の役で、二幕は中国の踊りで、どちらもスカート(チュチュという、クラシックバレエでよく使われるスカート。短いものと長いものがある)でなかったので少々不満な小学生でした。ま、しかたない。

ところで、この「くるみ割り」の時はまだバレエシューズしか履かせてもらえない時期でした。
いわゆるバレエのつま先立ちをするには先端をガジガジに固めたトゥシューズを履かなければなりません。でも最初から履くことは許されないのです。だいたい最初はそんなん履いても立てないし。

かなり時間が経ったある時とうとうトウ・シューズのお許しが出て、初めてサテンのピンクの靴を履きました。思ったよりずっと堅く、金属の鋳型の中に足をつっこんだようでした。教えられて、衝撃を和らげるためにお母さんの破れたストッキングの切れ端を足先に詰めましたが、それでもその日のレッスンが終わる頃には10本の足指すべてにまめが出来、それらが全部つぶれて歩けないほどひどい状態になっていました。 それでもバレエをやめようとは思いませんでしたね。そのうち足の方が適応して皮が固くなり、ちょっとやそっとのレッスンでは豆もつぶれなくなりました。成長期にこれをやったおかげで足の両小指がぐにゅっとマカロニのように曲がってしまいましたが。今も曲がったままです。

未使用、22cm。何故か実家の納戸から発見
50年以上前に購入

その後、もうそのうち子どもクラスじゃなくて、大人のクラス(中学生以降はこちら)に進級できるねなんて言われてすっかりビビってしまい、途中で辞めてしまいました。
怖かったのです。全然うまくないし、他の子みたいにちゃんと踊れないし、なのに大きい人たち(中学生や高校生)に交じってなんて絶対に出来ない、と。

もったいなかったですね。あと1年でも続ければ良かった。
今になればそう思いますが、当時はそんな余裕もありませんでした。自宅も引っ越してお稽古場からずいぶん遠くなってしまったし。

「くるみ割り人形」は、お菓子の国での華やかな踊りが終わるとあたりはもとの暗い夜に戻り、夢から覚めたようにクリスマスツリーの前にひとり立つクララの姿で終わります。わたしのバレエも夢だったのかもしれません。

けれどいっときの夢であっても、たくさんの踊りを知り楽しむようになりました。オデットもオディール(白鳥の湖)も、先生のお得意だったジゼルも、自分はできないけれどどんな踊りでどんな物語か知っています。そうしたクラシックが入り口となり、モダンやコンテンポラリー・ダンスも味わえるようになりました。フィギュアスケートにもたくさん活かされています。知ると観るのがより楽しいです。

全然ものにならず花も咲かなかったバレエですが、あのわずかな期間が、一生楽しめる素地を作ってくれたのですね。これからも機会があればたくさん舞台を観たいなと思っています。



クリスマスなのでちょっとおまけ。これは「くるみ割り」ではないんですけど。典型的な白いチュチュでご満悦でした。

舞台に立つ時は、顔がよく見えないのでがっつり化粧をします。舞台用のドーランをベースに塗りたくり、濃いアイシャドウに濃いノーズシャドウ、真っ赤なルージュ。楽屋にお祖母ちゃんが来てくれて、わたしの顔に仰天していたのを思い出します。

中央が森野(たぶん8歳くらい)


この記事はアドベントカレンダー2024に参加しています。


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