飴玉と共存する私
とても小さい頃に
飴玉を喉に詰まらせたことがある。
詰まって息が出来なくて
どうしようもなくなっているときに
なにかのきっかけで食道の方に飲み込まれた。
そのときの喉の感触や
どうしようもなく右往左往する感じが
トラウマになった。
それから、中学生ぐらいまで
薬の錠剤は、丸のまま飲めずに
砕いてどうにか飲んでいたし、
飴玉を普通に嘗められるようになったのも
小学校高学年になってからだ。
それも、貰ったりしたものを
どうしてもくれた本人の前で
口に入れないといけないシチュエーションのときに
仕方なく嘗める感じで
自分で飴玉を欲しがったり
お小遣いで買うなんてことはなかったと思う。
それをこの前、自分で買った飴玉を
嘗めているときに思い出した。
そう、今となっては
完全にトラウマを克服出来ている。
私が初めて自分で飴玉を買ったのはいつなのか?
全く覚えていない。
今では、喉が痛いときはコレとか、
ミルク系はコレとか、
ちょっとしたこだわりまであるほどだし、
1~2時間同じ飴玉を嘗めてることもある。
嘗められるようになったらなったで
飴玉を噛み砕くのが嫌で
溶けるまで延々嘗め続けるようになった。
これを成長と呼んでいいのかはわからないが
飴玉を克服した私は
間違いなく少しは成長した。