見出し画像

壮大な後書き、作品裏話

※この記事は「きのこを巡るわたしの冒険」の巻末に書けなかったあとがきです。
ネタバレも含むのでよろしければ作品を読み終わってからお読みください。

お買い上げありがとうございます!
ここでは作品で書かれた情報やエピソードがネタなのか真実なのかを解説して行きたいと思います。

まず本を書こうと思ったきっかけは「暇だった」からです。
毎年冬になるときのこも採れず豪雪に埋もれ、山は歩くこともままならず。
冬登山も体力、技術的に難しく、かつそこまで興味も無く…。
では狩猟はどうか?
やれば出来たが猟銃の取得は煩わしく、狩猟という選択肢は無かった
それに寒さに弱いので外で何かするという選択肢も無かった。
というわけで物書きを選びました。

本を出すと言っても様々な方法があり、単に印刷と出版だけする、+著者が書いた文章を編集校正する、作風と情報を渡してゴーストライターに代筆もらうなど様々な製本サービスがあるのです。

色々検索して幻冬舎の自費出版と編集、校正するサービスを見つけ、資料請求しました。
最初はとりあえず見積もり聞くだけと思いましたが営業マンの巧みな口車に誘われて、どうせ書くのは自分の中で決定していたし乗ってみるのも良いかと思い依頼しました。
それにお金さえ積めば何でも本にすると噂の「幻冬舎」なら最初に想定していた「毒きのこを毒抜きして調理するレシピ本」も書けるか?…と思い選びました。
しかし高卒で小論文も書いたこと無く超長い文章を書くのは未知の挑戦だった。

・何故作中のきのこ名が偽名なのか?
これは出版事情が絡み、最初に出したかった本の企画は「毒きのこを毒抜きして料理するレシピ本」を書きたかったのですが、作中にも書きましたが本当にその通りで「レシピ通りに作って事故が起きたら出版社は責任を取れない」との事で流石の幻冬舎でもボツになりました。
ボツの後に提案された毒きのこを食べるのをフィクションとするテイなら企画が通るとの事で今作のような架空のきのこの話という形になりました。

物語なんて書いた事なかったので無事完成するかわかりませんでしたが長い事マンガ好きで数々の作品を浴びて育ったのと、取材としての体験は自分の中にしっかりあるので「インプット」は充分なのでうまく「アウトプット」出来るだろうと思い書いてみることにしました。

今までまともに小説も読んでこなかったのでこのタイミングで何か名作を読もうと思ったが、あえて読みませんでした。
物書きの参考書になるような誰もが知ってる名作の感動は一塩でしょうが文章をパクってしまいそうで怖かったからです。
ただ、現代で流行っている文章、言い回し、物語の展開スピードは知りたかったので最近の直木賞候補作の試し読みは大変参考になりました。

書き方としては、初心者がいきなり完成した文章を書けるわけないので、とりあえず書きたいテーマやキーワードを羅列して、セリフ一言や言葉2、3個から一文に膨らませて、構成を変えたりして長文を作って行きました。

自分が作文やブログを書くのが遅い遅筆だという事は長年の経験で分かっていたので、徹夜して1万字書く、などはしませんでした。
やはり人間、集中力を出せる時間は限られているし、無理しても文章出力量は増えないので1日で出力出来る文字数を計算して計画的に5ヶ月でなんとか締め切りに間に合わせることができました。

・タイトルについて
作品の途中で付けました。
人生とは冒険、きのこ狩りも冒険。
それにスタートレック好きなので冒険を入れたタイトルにしようと考えてました。
逆にスターウォーズはまともに見たことないです。
戦争より冒険のほうが好きです。


・登場人物名について
察しのいいきのこ玄人の方は気づいたかもしれませんが、作中登場人物の名前は全て菌類、きのこ、山関連の有名人から引用してます。
この中の1人でも欠けていたら今日のきのこ文化は何十年も遅れていたでしょう。

田中嶺…田中長嶺、日本初の菌類学の本「日本菌類図説」を出版。シイタケの人工栽培の研究者。
白井光…白井光太郎、植物病理学の研究者、菌類学者「植物病理学」など出版。
森本三郎…森本彦三郎、アメリカでマッシュルームの人工栽培を学び、帰国後国産マッシュルームの生産を行う会社を立ち上げ、日本国内におけるマッシュルームの生産拡大に寄与。
涼子…谷口ジロー著「神々の山嶺」のヒロイン。
坂本…坂本浩然、動植物の手描き写生図鑑を多く著した「菌譜」を出版。
草野紬…草野俊助、植物学者で東京帝国大学教授。

その他、ゼミ教授、審査員3人など名前のない人々も自分の身近な人々がモデルになっています。

ハンターシェフの名前の由来は分で決定しました。
きのこハンターだし調理師免許持っててシェフなのでハンターシェフ。(ここまで20秒)
当時はググっても大きい組織や個人も出てこないので採用しました。(ここまで40秒)

・序章
漫画好きです。何冊元ネタが分ったかな?
ハンターハンター、銃夢など有名作からダンジョン飯、フランケンふらんなどマイナー作品まで幅広く読みます。
作中のように自分がハマったきっかけではないですが、執筆期間中に上映してたので「素晴らしききのこ」は映画館へ見に行きました。
実際のきのこ方面に走ったきっかけは、2011年の東日本大震災を山形で体験し自然に対する畏怖が生まれ、地元でも死者や建物崩壊は少なかったものの停電したり、物流が止まりコンビニやスーパーの棚が空になるのを目の当たりにしました。
そこで自力で食材を調達出来るようになりたいと思い立ち山菜や狩猟に興味を持ちました。
狩猟は講習会に参加したり狩猟読本買ったり、猟師の知り合いや銃の修理を担うガンスミスに会って話を聞いたりしましたが、結局手続きの煩雑さとお金かかりそうとの事で頓挫しました。
山菜で初めて収穫するものもトリカブトと間違える可能性があるニリンソウを採取したりとこの頃から毒きのこ方面に走りそうな気配があった。

その後、山菜を採る際に見かける色んなきのこの生態に興味を持ち舞茸を採ろう!…では無く毒きのこの中には食べられるものがあると知り、毒きのこ方面に走り、ベニテングタケを食べてみたくて毒きのこの採取活動をしました。

コロナ禍で自分自身に何か影響があったかというと、ワクチン打ってマスク着けるくらいの変化でした。
山の中では人と会うこともないのでコロナも関係なく気が滅入ることなく気持ちよく過ごせました。

1章、暁天狗茸


その正体は「ベニテングタケ」
自分は作中のように当たって遭難した事はないですが、無きにしも非ず、というケースをイメージして書きました。
実際、ノリと勢いで食して毒に当たった症例がいくつかあり…

・BBQ中に、酒も入った席で勢いでその辺に生えていたカラカサタケを採取して炙っただけで食べた例
※加熱不十分だと腹痛を起こす

・旅館で標本として展示されていたカエンタケを酔った勢いで焼酎に浸けて飲む例
※今では猛毒として恐れられていますが平成頃にこの中毒が起きるまでに猛毒という伝承があまり周知されておらず毒性が世間に知れ渡った症例

・ラグビー部員がパーティー中に度胸試しでナメクジ食べる例
※きのこではないがナメクジを宿主とする広東住血線虫オーストラリアでの症例

などを考えると、人間はその場の雰囲気で誤食する例が考えられるので、ノリと勢いで…というパターンはあると思います。
…自分は知識があるので絶対しません、体は1つしかないので…。
ベニテングタケは幻覚が見えるとよく噂されますがそうではなく、作中で酔っ払い茸と言われるように深酔いする症状が出るきのこです。
作中でも食べた量が一本の内傘の部分1/5と少量だけ食べたのも幸いしました。
実際に自分もそれだけの量を食べてふわふわした感覚と足元のふらつきが出る症状が出ました。
お酒も飲み過ぎると電柱に話しかけたりなど存在しないものを見たりするようになるので、ベニテングタケだけが幻覚が見えるというのは誤解です。
(でも食べ過ぎるとそうなるかもしれません…)
このきのこは酒発酵出来ない寒過ぎる地域、アラスカやロシアなどでお酒の代わりに食べたりしていたようです。

冒頭でも言ったようにベニテングタケは最初に気になった思い出深い毒きのこで、わざわざネットで調べた有名な地域まで出向いて探索をしていました。
最初に有名な産地に行った時、偶然食文化知る老人に会い、本当に食べていたという話を聞けたのは収穫でした。
まだまだ駆け出しの頃でうまく採取できず空回りしているような感覚になり帰りに採れずに泣いたりもしました。
それでもその時期は採れないという事を知れたおかげで、今は経験を積み大体の時期と場所を把握して目的のきのこを採れるようになりました。

2章、大黄金茸


その正体は「オオワライタケ」
その場で質問はしなかったがきのこ観察会には行きました。
ここで作中のように実物のサイズ感を見れたり、ベニテングタケの実物を初めて見たり、暗室で薄ら光るツキヨタケを観察したりと学びが多かった。

オオワライタケの下処理は実際に知人から毒抜き法やレシピを聞きました。
作中に書いたようにその地域ではオオワライタケを食べる文化はほとんど廃れており、残り一世帯だけ知ってた、という状態で知人が情報を吸い上げなければ本当に伝承が途切れていた可能性もありました。

きのこの同定に味が参考になるのも本当で、調べるより口に入れた方が早いというきのこも多々あります。
味も様々でオオワライタケのようにとびきり苦い味、カラハツタケのように山椒系のような辛い味など。
味で確認する際には絶対に飲み込まないでください。
あといっぱい頬張って確認するのも避けてください。
虫歯や口内炎など口に傷がある場合そこから直接体内に毒素が入る可能性もあります。

車中泊は夏から秋のシーズン中は日常的にしてます。
初期の頃は寝床作るのに苦労しましたが今は簡易ベットの「コット」を床材に使用してます。


窓カーテンも今は何も付けてないです。
何故ならいつもひと気のないとこで寝るのであまり気にならなくなりました。
現在の勤務時間が週5夜勤で連休は無く1日ずつの休みで夜勤後に現地向かい寝ずに探索して夕方は泥のように眠り翌朝日の出と共に探索した後昼過ぎに帰宅、下処理したら夜勤前就寝、のパターンで生活してました。
いやぁ、キツいwでも、楽しいw

3章、傘網茸


その正体は「アミガサタケ」
執筆期間中の参考資料に「岳」「神々の山嶺」を読みました。
流石名作、登山者ならよく分かる描写で面白かったです。

嶺が登った山のモデルは山形と秋田に跨る100名山「鳥海山」の鉾立ルートと八幡ルートを合わせたルートです。
鳥海山は登山難易度は中級者向けで標高2200mとさほど高くはなく、鎖場など険しい道もありませんが山頂までどのルートも往復10h前後かかり、距離が長いのが特徴で、最初に登った時は12時間かかり日の出と共に出発して夕闇迫る中の下山だった。
作中は長靴で登っていた通り自分も長靴登山してます。
雪道、ぬかるみ、岩場もソールが柔らかく登りやすいです。
その前までは地下足袋履いて登ってたので自分は今までまともに登山靴履いたことないですw

実家からいつも見える「出羽富士」
(富士山に山影が似た山は地域名+富士山にあやかり呼び名がある)
登る前にもよくドライブやきのこ採りに行く身近な山です。
ちなみにその鳥海山の駐車場にアミガサタケ生えるかどうかは分からないです。

アミガサタケは思い出深いきのこで、それを県外に採りに行って新車ハスラーを事故で潰したりもしました。

石壁に激突して周囲にiPhone並の厚さの金属片が散らばりオイルが漏れたりと結構な規模の事故でした。
幸い自分含め怪我人は無く、車の保険で諸々の出費を賄え、ローンも全部消化出来て次の新車の頭金も作れた。
まぁその後の保険料はお察しで…
それ以降も毒きのこの活動は諦めず続いているので、多分死ぬまできのこの活動はすると思いますw

3.5章、見た目がヤバいきのこ
実際に採って調理して食べたきのこ達です。
家の冷凍室はレディーボーデンも冷食も保存してあり余裕があります。
何故ならきのこ専用60L冷凍庫があるので…。
それでも毎年一杯になり減らすのに苦労してます…。
もっときのこ歴が長い人は業務用100L冷凍庫を4個持ち、という話も耳にします。
調理別きのこ相性一覧は山渓カラー図鑑「日本のきのこ」の後ろのページで確認出来ます。
最終章のプレゼンで出た「飲食店向けに提供」という話、実際仮店舗を借りて自分で調理して提供していました。


アカヤマドリの黄色いクリームシチュー


4章、月星光茸


その正体は「ツキヨタケ」
このきのこは朝鮮半島、日本にしか生えないレアきのこで、本当に価値があるかもしれないきのこです。
毒きのこを調べているとツキヨタケは日本国内の確認出来ただけでも秋田、山形、広島で「毒抜きして食べる食文化がある」がありました。
それを食べるためにまずWikipediaを調べて情報元の出典の本を取り寄せたりして調べ毒抜き法を構築しました。
作中ではサクッと決断してるように見えましたが実際には処理完了から2日くらい考えてから恐る恐る食べてます。

5章、一晩茸
その正体は「ヒトヨタケ」
毒きのこに目覚め駆け出しの頃に初めて食べた毒きのこで一度だけ食べて写真も撮らなかったのが悔やまれる…。

クマは大体本の通りに遭遇し危機回避出来ましたが、補足情報として「そのクマは人肉の味を覚えた人喰いクマの可能性があった」
なので襲われる確率が高かった遭遇でした。
場所は百名山のひとつ「鳥海山」の林道の奥。
前年度に同じ鳥海山の秋田側で人が襲われて4人が死傷するという痛ましい事件がありました。
隣県だし大丈夫なのでは?とお思いの方、残念ながらそう甘くなくクマの移動範囲は広く、県境の2つ3つは跨ぎ歩くのは普通なのです。
そのせいで東日本大震災での原発事故の影響で、自然界の最終宿主である福島県のクマの体内から高濃度の放射能が検出されると山形県でもクマの食用禁止が出されました。

春先にニリンソウを摘んでいると背後に現れました。
作中の行動から察するに人を好んで食べたがる個体ではなく、幸運な事に人を怖がる普通のクマだったようで三毛別熊のような事件にはならず事なきを得ました。

起業は実際にして行動し収益も出してました。
外道マッシュルーム社は実在します。
コロナ禍が始まる前は東京で毒きのこ試食会を行い、ツキヨタケを提供したり、茸本朗さんも来店されて当時の様子がブログにも掲載されています。

6章、燈鱒茸


その正体は「マスタケ」
一応毒きのこですが初めて食べたのは産直の食堂でした。
食堂のおばちゃんの腕前でマジで魚としか思えない食感の「マスタケの炊き込みご飯」でした。

3人が行った山は都内から電車で行けて標高も低く初心者でも登れる山、高尾山を舞台にイメージして物語を作りました。
怪我人の搬送はしたことないですがとある場所で数日前に実際に登った後、何処かで見つけたブログに実はヘリ要請して救助しましたと書かれており、写真には通った記憶が新しい登山道が写されたのが印象に残って書きました。

最終章
最終章と5章で行われたイベントは内容を多少変えてありますが実話です。
週末3日間で仲間を募り起業するイベント「startup weekend」で優勝しました。
イベント内で感じた雰囲気や厳しい目線で質問する審査員、プレゼン内容も作中に反映されてます。

当時の様子をイメージできるYoutube映像。
自分が参加した回では無いですが同じ会場の同じイベントの様子です。
起業に学力はあまり関係無いですがマジで自分以外ほぼ全員大卒か現役大学生の中でよく優勝出来たなと思います。

その当時の自分のテーマは起業家が目指すような「遊ぶように仕事を」「趣味や遊びを仕事にする」を考えており毒きのこをマネタイズするのに注力してました。
レンタルルームを借り仮店舗で飲食業の営業をしていました。
色々工夫して多少の手応えは感じましたが、集客や広告が下手で余り人を呼べなかった。
それにきのこの安全性の他にも当時の収集能力で物量は確保できないのもあり、いきなり大規模な経営も思いつけなかった。
東京でも出張イベントで毒きのこ試食会を開催しましたがそうこうしているうちにコロナ禍が始まり全てのプランを停めざるを得なくなりました。
プランを面白がってくれる人は居たが一緒にやろうという人は居なかった、今思えば一番力を入れるべきは人材集めだったのかも…。
それに何が一番楽しいかは探索して採取してる時だったので飲食業は違ったのかもしれないが、当時はそれしか思いつけなかった。

幼稚園の頃の夢はフィクション…ではない。
モノが壊れる様に興味があり、幼少期は回転板式ゴミ収集車の回転板で壊される様を見るのが好きでした。
当時は今ほどゴミの分別にうるさくなくそこそこ大きい木材やプラスチックの棚も車で収集されており粉々に割られ大きな音と共に回転体に圧縮される粗大ゴミやゴミ袋を眺めるのが好きでした。
それが講じてかマジで怪獣になりたいと思っておりました。
そう書きたかったが親と先生に説得され、当時の高給取りのバスの運転手に無理矢理変更されたのをよく覚えています。

最後に、嶺は何を思いついたのか…
作品は完結しておらずその先の展開も考えております。
現金な話、売上という手応え次第で次作も考えておりますので各配信先のレビュー書き込みや友人への紹介をしてください!

あと…支援が欲しいです。
印税が入るのは発売日から一年後なので今の自分はただの「ローン多めに組んでる人」なので何でも有り難がります…。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?