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「かっこいい絵が描けるイラストレーター」にはなれなかった私の話
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まだ分離している
1.つまり「かっこいいイラストレーター」とは?
4年ぶりに更新します。自分の中で色々と環境が落ち着いて腰を据えて心の整理をしたいと思い、書き始めました。ここ5年くらいの話です。
プロのイラストレーターというお仕事。
特に私の中では明確な区分があります。
少し前の私の思う「かっこいいイラストレーターは」自分の世界観があって自分にしか描けないタッチで、その絵を見れば誰かわかり、正当な報酬と責任が発生すること。
これがあくまで私の中のかっこいいイラストレーターの位置づけでした。
この絵のタッチと言えば⚪︎⚪︎さん!
このタイプの表紙なら△△さん!
●●さんの絵ならいくら払ってもいい!
私の中にも大好きなプロのイラストレーターさんがすごく沢山います。その人たちは必ず私の中では上記に書いた条件に当てはまります。
そうやってイラスト1本で仕事と生活をやっていけるプロのイラストレーターになりたかった。「かっこいい絵が描けるイラストレーター」に。
少し前の気持ちとして、本当のことをいうと「かっこいい絵が描けるイラストレーター」になりたかった。そういう葛藤がありました。
葛藤と書いたのは「やれば恐らくできるが、今やるべきタイミングではないし、どれぐらいかかるのか分かっている」ことへの葛藤です。
そこに到達している私の憧れの人たちは、自分のその世界観の絵を描くことを諦めずに恐れずに努力と継続をして反省をした結果の人たちでした。
2.いろんな立場になった私について
活動方法とし20歳〜24歳はあちこちに出展したり配信をしたり認知を広げていました。関東や関西に結婚までの間精力的に活動や配信をしていました。
おかげさまで素敵な繋がりもたくさんあったし、アート活動で頂いたご依頼もたくさんありました。ただプロとして生きていくには厳しい金額で、生活がままならないのが現実でした。
就職しながらアート活動した方がよっぽど精力的に活動できる。これは本当に。収入の柱が3本以上建てれていることはとても大切な教訓になりました。
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必死にアート活動をしながらイラストレーターという道を探る途中で本当に幸運なことに、こんな不安定な生活の私に「あなたのことが大好きだし活動を応援したい」と言ってくれる人と出会い、おつきあい、結婚と出産というイベントを迎えました。
いち無名のクリエイターを支えて仕事をしていくって相当な覚悟ですし口に出せることもすごいことです。
それは紛れもなく当時とても幸せなことだったし、俗に言う妊活などの課題もなくすぐに子供を授かったことも、その当時の私には途方も無い幸運でした。
なので子供についてはツイートで愚痴を言ったりはしますが、足枷とかというマイナスな意味では全くなく、今も私は子供が居て幸せです。子供は一人の人間としてとても大事で大きな存在です。
ただ信じて結婚した相手からは問題が生じました。
本人の態度の問題、私への心への暴力がジワジワと滲み出てきました。
酒や浮気、ギャンブル、物理暴力はありませんし子供にもとても優しい人でした。だからこそより信頼していました。
ただ「あなたの作家活動を応援したい」という言葉とは裏腹のことがあとから発覚します。
★ここから重めの話なので読みたく無い人は6まで飛ばしてください。
その人はそれはもう突然に。
仕事をやめて意気投合した友人と事業を立ち上げたいといいました。
相手は私も仲のいい人で信用があり、事業計画書もしっかり用意され会社も持っている方だったのでまったく初めての起業ではない人でした。
でも私の収入も不安定、貯金は余りなく、子供が1歳の時だったので不安と安心のせめぎ合いでした。
結果から申しますと起業から数年信じてほぼ無償で手伝いに時間を費やした結果、その人と縁を切って子供を連れて実家に戻ったのがこの5年くらいのお話です。
3.一緒に歩もうと決めた人
当時は子供がやっと1歳になって夜寝てくれるようになった頃「友達と起業をしたい」と言ったお仕事を話されました。(というかほぼ確定の状態で話を持ち帰ってきた)
とても信用している結婚相手に、もちろん不安も悩みもあったけどあまり要望を言わないタイプの人間が「がんばりたい」「あなたの作家活動を応援するためでもある」と言われたら私もグッと動くものがありました。
すごく悩んだ結果「もし手伝えることがあったら応援するから頑張ろうか。」そういって進んだ道でした。
でもその人は元から育児も家事もしない、事業を頑張るといったその直後から家でダラダラするようになり本当に仕事しているのか怪しい生活態度になりました。
その人は外面や外の世界、人付き合いだけはすごく上手で生きてきた器用な人間でした。
頑張りたいと言った仕事に関しては、ミスしたとかそういう次元でなく、お仕事で起きた問題も、一緒に起業した相手から伝えられたやるべきことも全部見ないふりをして期限ギリギリになって私に押し付けるといった状態でした。
あの「頑張りたい」はなんだったんだろうかと思いながら、まあ頑張ることが軌道に乗ったら誠実な人だし色々考えて応えてくれるだろうと信じてお仕事を無償で手伝ってました。
ただその先に待っていたのはワンオペ育児、家事、自分の仕事、相手の仕事、収入がないから目の前の家でコンビニ夜勤をする私の姿でした。
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4.今ふりかえると「孤独」
当時の私の生活はというと・・・
早朝ミルクや家事をして夜泣きの対応
ほぼ昼に起きてきた元夫にごはんを作り
家事育児をしながら日中自分のデザインや絵の仕事
&その人がやらないといけない仕事を押し付けられ
夕方に家事をしながら子供の工作を作ったり
イヤイヤ期を乗り越えつつ
22時にコンビニの夜勤アルバイトにいき朝6時まで働いていました。
そして私がコンビニの夜勤の間に、自分の家に友達を招いてボドゲを遊んでいました。もちろん共通の友人もいたので私も嬉しかった部分はありますが、その友達を連れて夜勤中の私の元へ私の夜勤やデザインで稼いだ生活のためのお金で飲み物やお菓子、タバコの番号を伝えて笑顔で買っていく姿をみて、なんとも言えない孤独感や焦燥感を感じどんどん心が廃れていきました。
収入がやばいからと向き合って相談しなきゃいけない。夫婦だから。と思っていたのですが、真剣に相談したら曇った顔で単日のアルバイトには入ってくれました。本業と呼べるかもわからない本業を放っておきながら。
私は夜勤明け6時に家に帰れば少し寝て、起きてきた子供の相手をして。
今思うと本当に可哀想なことをしました。
相手がほったらかしにした仕事の尻拭いをなぜか全部私がやって、家事や日常的な料理は私がやってました。暴力はないにせよ「洗ったお皿汚れがあるよ」とか「母親として料理の栄養バランスもう少し考えたほうがいいと思う。おふくろにみてもらったら?」など行動と言葉で傷つけられる毎日を過ごしていました。とんでもないな。
そんなわけなんですが、ギャンブルも浮気もやっておらず、側から見たらとても誠実に見え人当たりが良い人でも心の暴力を、悪意なくする人は本当にいます。
こうした心の攻撃を受けて離婚をした人はみんな「結婚前にそういう人だとわからない」というけど、本当にそうで、宝くじが当たるかわからないのと同じ。まったく出ないんです。こわいね。
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5.心は死ななかった理由
そんなこともありましたが子供がそれはもう可愛くて、むしろ私がやれることはまだある。家族は私が守れる。と、なまじ心が強くポジティブな分、心が折れることはありませんでしたが体が悲鳴をあげ、40度を超える原因不明の高熱を1週間出しました(2度)
知らずうちに心が麻痺して思考できなくなっていたんだろうなあと今は思います。(夜勤入っていた頃のあとは2年旦那実家に住みさらに麻痺が重症化しました。)
倒れた時に深夜にも関わらず駆けつけてくれた友人に対して、元夫が友人2人に言ったのは「こんな遅い時間にごめんね、お茶でも飲む?」という言葉でした。どこで気遣い発揮しとんねん。(その2人からはブチ切れられながら「そんなこと言ってる場合か」と叱咤されてて意識が朦朧としているなか「私死ぬんだな」と思いました)
色々書きましたが、離婚理由はもちろんこれだけではなく上記に書いたことはほんの一欠片みたいなものです。
もちろん一方的にその人がヤバいのかと言うと、もちろん私にも問題は何かしらあったかと思います。
ただ「向き合って話し合いができなくなるまでの道中どう過ごしていたか」を振り返ったときに、体調が悪かろうが家事育児を全部私がやっていたこと(お願いしたり洗濯機の使い方をメモ取らせてもそこでお終い)を考えると比較するのも違うな、という結果に個人的にはなっています。
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本当に幸いですが私は、たいへん友人や知人に、すごく恵まれました。
私が休みの日に遊びにきてくれ、こんな家庭の裏事情を知っていてもわたしが望まなければ乱すことなく子供の相手をしてくれる人がいて、外に一緒に出かけても赤ちゃんの相手をしてくれる人もいて・・・。そのおかげで保っていたと思います。
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そしてここまでの結婚から離婚までの数年間、こんな私にも絵の依頼をしてくださるお客様や友人がたくさんいました。
本気で絵をやめようと思ったタイミングで、それはもうびっくりするくらい見透かされているようなタイミングで水彩の絵の依頼が重なっていました。
ここで「かっこいい絵がかけるイラストレーター」でなくてもいいんだという思考の雪解けが始まりました。
6.今の環境になるまで
そういう「生活」の中でもなんとか生き延びなければ、子供にクリスマスも誕生日も喜んでもらえるよう収入が発生しやすい計画を立てて続けてきたのがデザインのお仕事でした。
離婚前はとにかく土台作りのために低単価で画像1枚250円みたいな世界でとにかく数をこなして実績を作ること、経験を積むことの下積みをしました。もっとやり方はあったと思うんですが当時は育児・家事・今ある仕事・尻拭いの仕事で1日に取れる時間が1日に1時間あればマシな方でしたので。
離婚調停に入るために、離婚を伝えた相手の実家と元夫と同居するわけにはいかないので、保育園の退園手続きもしました。
保育園から近い小学校へたくさんの保育園のお友達と1年生になってみんなで学校へ行くのを楽しみにして毎日話してくれる笑顔の年中さんの息子をみてすごく心を痛めながら保育園の園長先生や担任の先生へ泣きながらお話をして退園しました。先生たちにまで「あの旦那さんが・・・」と言われるくらい好印象だったので本当に誰がみてもわからないんだなと思いました。
ただ私自身が、保護者会の3役(会長、副会長、書記)を務めていたこともあり先生たちからの信用は絶大だったみたいです。それもあって、退園後は離婚完了まで、関西まで離れた遠い私と子供当てへ何度もお手紙をくれました。(調停離婚の1年ちょっとの間、旦那実家(東海)に同居しており、関西へ移り住んでいたので子供を連れて愛知へ通う月が続いた。)
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話がだいぶ逸れましたが、何が言いたいかというと、そういう「環境」を変えるために収入もない状態で子供を連れて離婚をして実家に戻ったのが一昨年でした。
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結果、今どうなっているかというと「いろんなデザインや依頼とそれに応じたいろんな絵が描けるマルチイラストレーター」になりました。
はっきり意識するまではその肩書きもしっくりきておらず「デザインや動画も封印してやっぱり自分の絵というものを持ったかっこいいイラストレーターになろうか」とも考えました。
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7.「かっこいい絵が描けるイラストレーター」にはなれなかったけど・・・
今現在、組織として存在する会社さんと複数取引ができるデザイナー・イラストレーターとしてお仕事ができていることに大変自信がついてきました。10年目にして。遅咲きにもほどがある笑笑
その自信がついた時に、結果がしっかりついてきたときにはっきりと「なるほど、私の仕事はデザインや絵を通してマルチに人助けすることなんだ」と意識することができました。目標があって到達したのではなく、その場でやれる最善を選んでいたら気づいたら目標となる結果を発見できた、という認識でした。
突出して仕事の絵として「なかまさんのイラスト」として固定の絵柄があるわけでは無いのですが「絵を描いて仕事をしていること」に変わりはなく、もっと違う本質で納得することができました。
トップレベルのイラストレーターさんは自分で開拓した畑があるし求められる人材であるけれど、私は「臨機応変に対応できていろんなパターンをしっかり納品・依頼ができるイラストレーターさん」という立ち位置ができたこと。これがしっかり強みになりました。
時期や季節、種類や内容によって幅広く対応をして依頼してくれる人が喜んでくれることが私のイラストレーター像になりました。
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なので今は「かっこいい絵が描けるイラストレーターさん」にはなれませんでしたが「かっこいいイラストレーターさん」にはなれたと思います。
そしてゆくゆくは自分のやりたい「水彩の絵」も企業さんの商品やパッケージの絵として使ってもらえるような大きな実績に繋げるのが夢の一つです。
はたから見たらすごい人でも憧れられるような立ち位置でもなんでもありませんが、私の守っていく今の環境と家庭とご縁を大事にしながら自分のことも大事にしたいし続けていきたいなと思っています。
心の整理記事でした。読んでくれてありがとうございます。
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なかま さゆみ
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