SonnyBoy
SonnyBoyというアニメをご存知だろうか。江口寿史がキャラデザインの原案を担当していて、涼しげで過剰さのないビジュアルのアニメだ。
なんせ見た目が渋い。分かりやすいことはやらないよ、という知性の篩にかけられるような印象もある。
夏目監督の私小説的作品とのことだ。
私小説アニメといえばエヴァを完結させた庵野監督が思い浮かぶのだが、全12話の当作品はエヴァと違って七転八倒することもなく、最終最後まで美しく織りなされた。
さて。
このアニメはビジュアルの印象通り、最後まで明かされない設定も多く、なんだかよく分からない。
強烈なスノッブが効いているのだろう、知らなければ分からない表現も多そうだ。
例えば毎話毎話出てくる鳥の、鳥言葉みたいなこととか?知らないけど。
にも関わらず伝わってくることは多い。
作中を通して、自分が思春期の時に味わった未消化の感情ともう一度向き合う気分になった。自分の中にひそむ少年を見ているような錯覚は、まさにタイトルにふさわしい。
ヒリヒリとしていて、消化できなかったまま時間が経ち、やがては見えなくなっていく感情。
痛みは時間が解決した?
生き別れた猫をもっと大切にしていれば良かったと言う気持ち。
自分の好きな子と生きるステージが全然違う時のやるせない気持ち。
同世代の子を大切にできない気持ち。
唐突に社会の決まりに巻き込まれる時に反発する気持ち。
そして失恋。
安直かもしれないけれども、SonnyBoyという題からはどうしても少年と大人の対比を思い描く。「おとなとはなんだろう」というある種日本国民特有のステレオタイプなテーマについて、この作品もがっぷり四つで取り組んでいる。
メインテーマが失恋だとは思わない。
ただ最終話で希ちゃんと朝風くんを見たあと、にこりとする長良を見て感じた。
彼女に対する想いと向き合う長良くんの物語だったんだ、と。
恋愛脳的な感想である。
あっているんだろうか。
ーーー
失恋は無かったことにできるが、実はそうすると次の恋はきちんと始まらない。
そう、失恋は受け入れないこともできるのだ。逃げ道は無限にある。
恋なんか始まってなかったことにできる。
片想いで満足していたことにできる。
性欲に酔っていたことにできる。
異性なら誰でも良かったと、あとから言える。
ヒエラルキー三軍の陰キャと、ヒエラルキーのトップ。
それが長良と朝風である。
目前に横たわるカーストの溝は深い。
対等になんかなりやしない。
自由恋愛?
カーストを超えた恋愛は、昔から日本でだって困難だったよ。
象徴的に描かれるラジダニ。
彼はきっとバラモンなのだ。故に孤高の存在として描かれる。
失恋をヒエラルキーのせいにして年老いていくことだって簡単だ。なんなら結婚だってできる。
けれどそれをしなかったのが長良という男だと思う。
時間が解決する?とんでもない。
埋もれて分からなくなることは解決とは言わない。
長良くん想い人の希ちゃんは「死んで、いないことになっている」が、それは彼の心象風景なのだ。
実際の彼女は、居て、世界を生きている。
ーーー
どうしてか分からないけれど恋愛ができない。どうしてか分からないけれど人とうまくいかない。
それは内的問題を、時間が解決「していなかったから」に他ならない。自分の中に潜り込んでいき、それこそ漂流するような自問自答を繰り返して、きちんと向き合った時に、逃げた代償に気がつくというわけである。
失恋をなかったことにした時間の分だけ「自分は現実を生きていなかった」と。
それが現実世界に戻る代償なのだ。
人は痛みと向き合わなくても生きていける。
テーマをズラして、ズラして、ズラし続ければ死ぬまでそのまま生きていけるのだ。
そういうおじいさんやおばあさんを僕は見たことがある。
話が噛み合わない、人の気持ちが分からない、少しずれた認識の世界に生きて、なんか人生がうまくいかない人たち。
幻想の中の朝風くんのように、逃げている時間を肯定する生き方もある。
しかしながら、最後の最後にいみじくも朝風は言った。
「俺には何も残らなかった」
失恋した相手が同じ世界で生きている。消すことはできない。
我々は出会った以上共に生きる運命なのだ。相手を自分の人生からポアしたとしても、それは現実じゃない。
エンディングテーマの銀杏BOYZ:少年少女では「don't say good bye」と何度も絶叫されている。
お別れなんてない。それが現実だ。