見出し画像

人生で大事なのは「何を得たか」ではなく「どのように求めたか」ということ

こんにちは。

8月から進めてきた就活にいよいよピリオドを打ち(20件くらいしか送ってないので活動だったのか否かは不明)、一旦自分の心が大満足の状態でいられる職場に身を置くことにしました。
3か月の試用期間、しっかり出来ることはやってクビにならないように気を付けたい所存です。


実は自身にとって就職活動というものは人生で初の経験でした。
中学校の頃から中学校の先生になりたいと思っていたので職への迷いが無かったし、大学を卒業して採用試験を受け教師になった為、就職活動の経験がゼロだったのです。

なので今回就職活動をする時も、正直モチベーションレターの書き方とか、履歴書の書き方とか、なんとか、色んなことをまた学ばなければならなかったので、ちょっとドタバタした日が続いていました。



【母親】の役割と家族運営

スイス生活も早いもので7年目。
26歳の時にこちらに渡ってきて、その後ドイツ語を学び、語学だけでなくスイスでのディプロマが無いと全く職にありつけないなと実感したため、その当時すぐに始められそうな、興味があった修士課程にまずは進学することにしました。


昨年12月に大学を卒業し、息子を出産。
8か月ゆっくり息子との時間を楽しんだり、日本に帰国したりして母親の役割に少しずつ慣れてきたところ、ふと、私このままこの生活をずっと続けられるのだろうか?と不安になってしまったのです。


息子と過ごす時間は楽しく、息子と夫と3人で過ごす時間も充実している。
だけどなんか時間を持て余しているような感覚を、産後体力が戻ってきた頃くらいに感じるようになりました。

母親として息子の面倒を見る。
家族の一員として家事を済ます。

自分なりに頑張って家事をしてみるも、夫のほうが家事能力は高く(息子が生まれる前から知ってたけど笑)なんか戦闘能力低いな~

そういえば働きたかったから修士課程に進んだんだよな~

とか、過去をちょっとずつ省みるようになるまでには時間を持て余すようになってしまったのです。

母親の役割を楽しむことはできても、家族運営に貢献できていないような気持ち、それなら働きたいという気持ちが比例し高くなり、就活をしよう!と考えるようになりました。


スイスでの就職活動

スイスでの就職活動はとにかく心が折れる。笑

まず募集要件に

ドイツ語(母国語レベル)、フランス語、英語とか
その職での経験が最低5年以上とか
~の職業訓練を受けているのが第一条件とか
(スイスやドイツでは販売員やレストランで働く場合も、バイトであっても経験があるか、もしくはAusbildungと呼ばれる職業訓練校に通ってないと中々職に就くことが出来ません)

書いてあって
修士課程で学んできたことは、スイスのメディア関連、すなわちドイツ語がまじで母国語レベルじゃないと活かすことができない!
と、まず当たり前に自分のマーケット市場での戦闘能力の低さにあ然とするところから始まりました。

スイス社会は上記に既に書いたように圧倒的学歴、経験主義の社会で、ある一定の職に就いても、皆自己研鑽の為に昇進のためのコースに週二回通うとか、マネージメント職に就くためのコース(もはや意味不明)に参加するとか、そういったことはとってもよくある、というかむしろそういうキャリア構築が大前提とされている社会なので、私の経歴だと正直教師以外道が無いといったような感じ。

でも教師は2つの修士課程を修了している必要があるのでそこでも圧倒的に弱い私。笑(もはやひきつり笑い)

ということで、とにかく自分にできそうな職にアプライすることから始めました。

図書館司書(資格無いので圧倒的に敗北)
翻訳(ドイツ語が母国語でないので圧倒的に敗北)
インターナショナル企業の広報やコミュニケーション(英語とドイツ語が母国語でないので圧倒的に敗北)

といったようにですね。自分にできそうな職すらも圧倒的敗北で、まぁ10件も送らなかったと思うんですけど、面倒くせぇってなっちゃった自分もいましたね。


このままの生活を続けるか、ちょっと頑張ってみるか

もし出産前に職に就いていたら産休、育休があって、むしろ職場に帰ることが前提だから職を辞めようかなと思っていた自分がいたかもしれないけど、職を見つけない限り色んな意味でとってもフリーな状態が続く。

すなわち、どこかで頑張らないとこのまま時間を持て余してるな~とか思って生活をすることになるのかと思うと、ちょっとそれでは自分が納得しないぞと思い、眠気をしのぎながら毎日就活サイトを覗くのは日課にし、無駄な不毛なアプライをすることを辞めました。


可愛い息子との時間を削ってまで、働く必要があるのか
自分の家事能力はさておき、うまくいっている家族運営を、自分の為に不安定にさせてしまってよいのか

たくさんのことを考え葛藤しましたが、幸運なことに息子は人がとても好きみたいで、義理両親にもニコニコ(^^♪
保育園の体験中も体調を崩すことなく、ぐずることなく、先生たちに愛嬌を振りまき存分に楽しんでいる様子を見て、そして夫婦で話し合い、息子を保育園に預ける前提で、そのまま就職活動をし続けることにしました。

ある日、義理の母から自分の専門性を活かせそうな職を紹介され、そして同じ日に夫からも自分にとってはワクワクするような職を紹介され、久しぶりに本気のモチベーションレターを書いた、そんな日があったのです。



人生で大事なのは「何を得たか」ではなく、「どのように求めたか」ということではないか

正直、就職活動中は自分も途中何をしているか分からなくなってしまっていることがありました。

なんせ募集要項を絞るとしたら修士課程をまずフィルタリングしないと、それ以下の学位が求められるところにアプライしても私の条件が職にとって高すぎるし、そしてそれ以上のところに応募すると、もちろん見合ってないからお引き取りくださいという結果に。

すると当たり前だけど、もう自分の学位がどれだけすごいかをアピールしないといけなくなってしまって、私はマスターを持ってる人間やねん!!!!と、主張し続けないといけない。

だけど、ある日、いやいや、修士課程修了したけど自分の中身は何も変わってないよな。って思ったのです。当たり前のことを忘れていた。

確かに、修士という学位を得たけれどもそれは自身の知識への投資であって、就職に繋がれば良いなとは思ってもちろん取得したものではあるけど、あてずっぽうにアプライした職を得たとして、自分は満足なのか?

息子との時間を削って社会復帰するのに、仕事に行くときに、今日も仕事かぁ~行きたくないな~とか思って仕事に行きたい?
息子に胸張って、お母ちゃん楽しんでくるね!君も楽しんできてな!
って、言える?

と。

仕事をするのには、お金を稼げればそれで満足。という人もいるけれども、私は人生の貴重な時間を、例えば嫌な人と過ごしたくないし、嫌な仕事をしながら過ごしたくない。
仕事ってし始めたら人生の半分は使うことになるカテゴリになると思うし、そんな人生の大部分を占める時間を楽しまない状態で過ごすなんて絶対に嫌!と感じるようになって、絶対に良いメンバーのいるところに就職するぞ!とちょっと意気込みの方向が変わったのです。

すると、この私が職場を選んであげようじゃないか?と、ちょっと強気になれる自分もいて、だいぶ前向きなモチベーションで就職活動することができました。

そして、第一希望(上に書いた2つの仕事のうちの1つ)の場所から内定をもらうことができて、晴れてスイスで正規雇用として雇ってもらえることになったのです。(試用期間中にクビになったら記事消すので悟って泣)

正直、スイスに来てから、そして母親になってから、自分の中で妥協しないといけないことが増えて、一体私は誰の人生を生きているのか?なぜ私だけ妥協ばっかしないといけないのか?妥協の中にある諦め、そして諦めの中にある妥協と奮闘して、なんか楽しめてないんじゃないかなと思う時もあったけど、そして修士課程とは全く関係ない分野での職に就くことになるかもしれないけど、過去の、未来の自分に胸をはって、そして誰にでも胸をはって、今の私、楽しい職場で(既にチームとは何回か一緒に働いて知り合い同士)人生の時間過ごすよ~って言えるなぁと思った。


茂木健一郎さんの、生きがいという本に(ドイツ語で読んでいるので日本語のタイトルは知らないけど)Das Einkommen ist nur ein Bonus.そんな仕事に就けることは、生きがいに繋がると書いてあった。ようは、働いているというよりも、自分が楽しんでいることでお金が入ってきたら最高だよね。ということ。


人生で大事なのは「何を得たか」ではなく、「どのように求めたか」ということではないか -村上春樹


得たものにフォーカスして、その得たもので、また次何を得ることができるかを考えることもとても大切だけど、今の私にとっては人生の時間をどのように過ごしたいかを考えることがとても大切だったんだなと思う。

これからもきっと自分にとって何が大切か、優先順位は何なのかを考える機会が訪れると思う。

その時はまたゆっくり本でも読んで、新しい観点を得て、次なるステップへ進む自分へと成長していけばいいかな。


私、一皮むけたな。前向きにそう思えた、そんな夜。


チューッス‼