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自分の市場価値を知る ~死なないための「物差し」を多く持つこと~

今の仕事が楽しかったとしても「転職活動」は定期的にした方がいい。

例えば、LinkedInやWantedlyからくる連絡に対して、わりと積極的に反応する。また、数ヶ月に1~2回くらいの頻度でくるヘッドハンターからの連絡にも条件が合えばできるだけ職務経歴書(レジュメ)を送る、など。

別にいまの仕事が嫌で今すぐ転職がしたいわけではなく、自分の市場価値を知りたいからだ。社内の昇進・昇級のタイミングは運の要素も大きく、部署の力関係や年功序列によるアレコレによって自分の評価も左右される。そうなると、ふっと「こんなに頑張っているのに、全然評価されない」といったネガティブな感情を抱いてつらくなることがある。ずっと同じ会社にいると、世間が見えなくなる瞬間が訪れるのだ。

そんなわけで、いま自分がどういうスキルを持っていて(あるいは、なにが足りなくて)、それに対して世間的にはどう評価が下されているかを客観視するためには「転職活動」は不可欠だと考えている。

こんな風に考えるようになったのは、わたしが外資系出身なのもあるかもしれない。外資系企業は、転職でキャリアアップしていくことを良しとする文化が根付いている。思い返せば、上司・先輩からも「定期的にキャリアの棚卸しをするように。そのためには複数の転職サイトに登録して自分の市場価値を常に把握しろ」と口酸っぱく言われていた。実際、辞めて内資企業に勤めているいまも、当時の先輩から「将来役立つから、このヘッドハンターには会った方がいい」というお誘いをいくつもいただいている。

話は変わるが、中学・高校時代、自分を測る物差しは、「勉強ができるか/できないか」「かわいいか/かわいくないか」「スポーツができるか/できないか」の3軸しかなかった。いま思えば、それが私の生きづらさにつながっていた気がする。「大してかわいくもないし、進学校の中で勉強が得意でもなく、スポーツは苦手。そんな自分が嫌いだ」 きっと、持っている「物差し」が少なすぎたのだ。

社会人になって実感したのは、「頭の回転が速くて話していて楽しい」「コミュニケーション力が高い」「人脈が太平洋並みに広い」「料理が上手で家庭的だ」「マリアナ海溝もびっくりな優しさがある」「ITスキルが高くて専属サポセンに最適」「とりあえず映画の知識は豊富」など、人にはさまざまな評価軸があるのだということ。

仕事に関しても同じだろう。たった1社の1部署の中の評価なんて雑音みたいなものだ(全部ありがたい意見として受け止めているが)。なるべく多くの人(企業)に、私を評価してもらうことで、自分の適性な市場価値(物差し)を知っておくのは悪くない。現在のスキルがあれば、どんな企業が自分を欲してくれるのか、いくらで雇ってくれるのか、それを踏まえてどう働くか。これらを知っているのと知らないのでは雲泥の差だ。

もちろん、仕事を決めるのに企業名や報酬だけで判断できないのは分かっている。(給料がしょっぱくても)一緒に働いている人がいい人で、自分がワクワクする仕事が待っているならば、そっちを優先させるのも正しい選択だ。

ちなみに、わたしはいまの仕事が好きだ。ずっと望んでいた新規事業で主体的に働ける環境はプライスレス。これから大きく伸びるであろう事業に携われるだけで本当にエキサイティングな日々だ。それでも、転職活動を通じて自分の価値を適正に知っていくことは大切だと思っている。

まあ、「デジタルマーケティング職」ができる「グローバル規模の企業」から、現在の年収+200万円を提示されれば、心がグラグラすることも多少はあるけれど。。。

いまの仕事がずっと続くわけがない。いつか(社内か社外かは分からないけれど)、巣立つ時がきたときに後悔しないスキルを身につけたい。そのためにスキルを逆算できる自分でいたい。そのためには、「転職活動」という客観的評価が必要なのだ。

とりあえず、仕事に限らず、自分を測る「物差し」は多く持っておくに超したことない。それが自分の生きやすさに繋がる気がするから。

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