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【日記】思考がめぐった1週間|ペリカンのパン|ぼる塾田辺さんの金言|2024.12.2~12.8


12月9日(月) 価値観のズレ

食の趣味が違うことを目の当たりにすると、本当に合わないんだなと痛感する。何か言ってそうで、何も言っていない話。

長い付き合いであろうと、触れてきた情報も環境も違うのだから、価値観はずれていって当たり前だ。わかっているけど、ほんのり残る、根性論、学歴主義や男女の差みたいな話を聞かされると、ザワッとせずにはいられない。

年齢を重ね、組織に属していようがいまいが、自分の立ち位置を考える機会が増えた。変化する時代において、自分のどこをブラッシュアップして、どこを信念として守っていくかを決断することは大変難しく、試行錯誤はしばらく続くのだろう。

だたひとつ言えることは、違いは文脈から明らかになるということ。若い頃みたいにノリや感覚で自分と同じ文脈で話が展開されることは、こと歳をとると皆無であることを認識しておかなくてはならない。

十分理解していても、つい油断してしまうのが関係性で、今日もうまく聞くことができず、伝えることもできなかったなと振り返ってしまった。

年末年始ムードが苦手だってことも知らなかったよ。
わたしも全く同じ気持ち。
長い付き合いでも、知らない共通点があることとに驚いた。

12月10日(火) はじめての「ペリカン」のパン

焼き芋の仕込みから始まる一日。
洗ってホイルに包んでオーブンに入れるだけでも、面倒くさいが勝ってしまうお年頃。やっとこ重い腰を上げてみれば、うわさ通り美味しく出来上がる。これで、しばらく、おやつには困らない。

今日は「おいしい運」が絶好調だった。
「ペリカンのパンが売ってるけど、いる?」と連絡が来たのは、夕方16時近く。食べログ百名店、即完売の人気パンが、こんな時間に残っているなんて奇跡ではないのか。

浅草・田原町の老舗 ペリカンのパン

なんと、ペリカンのパンは、はんこ屋さんで売られていたらしい。
ご夫婦らしき店主いわく、この時間まで残っていることは滅多にないとのこと。グッドタイミングで通りかかった夫よ、でかした。

といっても、夕飯の下ごしらえを済ませていたので、今夜は味見にとどめておくことに。ロールパン1個と8枚切りよりも薄くスライスした食パンをふたりで半分に分けて、食後に頬張った。

赤ちゃんの肌のようにキメが細かい、むっちりとした質感。
噛めば噛むほど、ほどよく広がる塩味に、どこか懐かしく、でも味わったことのない美味しさがある。このレベルの感動に、このところ出会えていなかったから、腹の底から「う〜おいしい」と声がでた。
そんなわたしを夫が嬉しそうに見ている。

そういえば、とある落語家さんの座右の銘が「グッドタイミング」だという話を聞いた。

すべてはタイミング。求めていないアドバイスをされても暖簾に腕押しなように、受け取り側の状態によって、同じ体験が衝撃なることもあれば、記憶にすら残らないことがある。

ペリカンのパンが奇跡的に残っていても、美味しいことも、滅多に買えない品だということも知らなければ、素通りだ。
と思えば、バズっている店の行列に並んでも、期待以上の感動が得られるとは限らない。

グッドタイミングは狙って訪れるものではなく、後からわかること。
失敗やハズレも含めて、「偶然」を楽しめる人に訪れるもの。

面倒くさいは、「偶然」を遠ざけるぞ。
と、肝に銘じておこうと思う。

12月11日(水) 好みの顔

このところ、セサミストリートが好きで、SNSのタイムラインに流れてくる画像を見るたび、心が躍る。

わたしにとっては再ブレイクだ。第一次ブームは小学生のころ。
今でも、セサミグッズを買ってもらった日のことを鮮明に覚えている。

といっても、覚えいている理由は「すぐに壊した」から。
念願叶って買ってもらったプラスチック製のペンケース。グリーンベースで大好きなキャラたちがズラっと並んだイラストが入っていた。
ホクホク嬉しい気持ちとペンケースを一緒に抱え、お店を出た瞬間
事もあろうに、袋ごと下へ落とした。いやな予感がした。

イラストが入っているフタとペンを入れる器の部分をつないだ蝶番的な部分が割れていた。泣きながら、モノも嬉しさも儚いんだと学んだ瞬間だった。
壊れたまま、結構な期間使っていた自分が愛おしい。

つい先日、セサミストリートのお店に立ち寄ったのが、再ブレイクのきっかけ。ずいぶんと大人になったわたしは、ポストカードだけを購入し、ひっそりとウォークインクローゼットの壁に貼っている。

今日、そのポストカードを眺めて気がついたことがある。
黄色お顔のバードって、わが夫に似ている。
ちょっとへの字口なところが、特に似ているのだ。

夫には全く共感してもらえなかったけど、万が一「タイプの顔は?」なんて、あり得ない質問に出会した時の最適解が見つかった気がした。

12月12日(木) 適材適所について考えた

適材適所について考えた。
一般常識という試験項目があるくらい(今もあるのか?)、和を乱さないこと、他者をギョッとさせないことが「正しい」として育てられてきた。

もっと言えば、与えられた環境や(たまたま)所属した環境に馴染めなければ社会不適合者だと思っていた。まっ、不適合な自分が好きだった節はあるが。

大人になると、よく「仕事ができない人」というキーワードを耳にする。大概、不満やストレスの対象者を表す時に使われるが、今日は強烈に、この言葉に違和感を感じたのだ。

きっかけは、家事のお供に聞いていたポッドキャストで「アクセシビリティ」という言葉を知った事。

「アクセシビリティ」という言葉は、Access(近づく、アクセスするの意味)とAbility(能力、できることの意味)からできています。「近づくことができる」「アクセスできる」という意味から派生して、「(製品やサービスを)利用できること、又はその到達度」という意味でも使われます。

引用元 https://www.gov-online.go.jp/useful/article/202310/2.html

わたしが感じた違和感とは違う文脈ではあったけど、ジェーン・スーさんが使った言葉だ。

「仕事ができない」と他者に思ったことがないわけではない。盛大に愚痴も放ってきた。ただ、会社とは?仕事とは?をじっくりと考え続けていると、「できない」を解消するのは個人だけの問題ではなく、往々にして組織の問題が絡んでいるのではないかと思ったのだ。

たまたま、その仕事やタスクがうまくできなかっただけのこと。他に得意なこともできることもあって、それを発見し正しく判断することが、本人にも組織にも必要なんだと思う。ただただ、足並み揃えて迷惑かけないでと指導しても、向いてないんだもん、理解に時間がかかる。個人を変えるのではなく、配置を変えれば解決することは多いのではないだろうか。

自分の適材適所を知るって、考えてきたことなかったな。
長所と短所はよく聞かれたけど、未だにわかっていない。そもそも、長所と短所よりも自分の適材適所を考える方が社会の見え方が変わる気がするな。

そう言えば、「オバさんは人をギョッとさせてはいけないね」という話をしたばかりだった。若づくりや無理にトレンドを追いかけることを気持ちよく手放して、現時点の自分に合う服装を楽しみたいねと誓ったのだ。
服装も仕事も「適材適所」を知ることの重要性を学んだ師走。
湯船で温まりながら、ぼんやり考えてみることにした。

12月13日(金) クサイのクセ

夫は、わたしの「クサい」の言い方でよく笑う。
時折、繁華街を歩いていると遭遇するイヤなニオいに、無意識レベルで
「クセっ」と口に出してしまう。瞬発的な言い回しが、夫の笑いのツボを刺激するようだ。

今日の外壁工事は塗料を使っているようで、午後を過ぎたくらいから、部屋の中にも薬品的な匂いがしている。仕方ないのだけど、気になるニオイ。

この状況を共有したくなって、夫にLINEする。
「クセぇ」と。

まもなく届いた夫からの返信は「やめい」だった。

どうやら、仕事中にひとり笑っているらしい。
マスクで必死に隠しているようで、本気で笑ってるからやめろとのこと。

文字で笑いが取れるなんて、わたしのクサイのクセもなかなかなもんだ。
ところで、みんなはクサイ時、クサイって言わないのだろうか?

12月14日(土) 田辺さんからの学び

正直・素直を訓練中のわたしは、ぼる塾の田辺さんをロールモデルにしている。(詳しくはこちらに書いています)

今日は、休息のお供に「ぼる塾田辺の食べるわよチャンネル」12/7更新分を観ていた。質問に答える後半戦だ。

本日も金言を2つ頂戴する。
ひとつめは、

(自分のことは)嫌いだけど大好きです

4:50秒あたり https://youtu.be/0yH8zD32On8?si=AY17X7GE8f6OAKpl

自分に失望することはあるけど、トータルで好きだと言っていた。
田辺さんのいう ”嫌い”や”失望” が痛いほどわかる。それでも、自分を好きと語る姿に学びが多い。これこそ正直の表れだ。

もうひとつは、

(推し活という)ことばがなくなりますように

16:57秒あたり https://youtu.be/0yH8zD32On8?si=AY17X7GE8f6OAKpl

最近の推し活についての問いに、「しんどうそう」と語る。その表情や行間にひとり歩きした言葉へ違和感が滲み出る。他者が1ミリも介在しない、「好き」を持つ人だからこその願いなんだろうな。安易に”推し”ということば使っていた自分を恥じた。

わたしが心をつまれる共通項って、正直・素直だな。
自分にないものに惹かれるとはよく言ったものだ。

12月15日(日)  カリカリとサクサク

無性にビスコが食べたかった。
白砂糖やショートニングは食べないようにしているので、この数年、口にしていなかった。ひとり暮らし時代の食生活は絵に描いたような酷さで、3食カロリーメイトを食べ続けたり、晩ごはんはうまい棒だけということがザラだった。この反動なのか、結婚して自炊をするようになってから、バランスのいい献立を学び、お菓子を買わないように心がけている。

わたしは、カリカリとサクサクにめっぽう弱い。
特に、ポテチとクッキー、ビスケットに関しては、「なくなる」という現象が起こらない限り、手が止まることは皆無だ。

なぜか、今日はビスコを食べる!と決めていた。
決めたからには1箱食べ切るとも決めていた。
もちろん、サンドされたままではなく、1枚ずつ分けて食べる。
まずはクリームがない側を、その後クリーム側を食べるのがお決まりだ。

サクサクサクサクサクサクサクサク

あっという間に小袋1つ目を完食。
大人になったわたしは、一旦手を止める。


数分の小休止を経て、次の小袋に手が伸びる。

サクサクサクサクサクサクサクサク

10分もかからなかったと思う。
気がついた時には間食していた。

サクサクとカリカリには、どうしてもどうやっても、理性がすっ飛んでしまう。あのリズム運動によるセロトニンなのかドーパミンなのか、どっちだかわからない、もうどちらでもいい快楽ホルモンが分泌されたら、人は脳の要求に従うしかなくなるのだ。わたしの脳みそ様、そろそろ、これはお菓子による一時的な快楽だと学んでください。

解決先は、買わないこと。
おそらくメーカー側も子供たちの笑顔のために作っているのだから、オバさんひとりが買わなくなっても困ることはない。そう強い意志で、また数年後訪れるかもしれないビスコを欲する日に備えておこうと思う。

あ〜おいしかった。


通算3回目の「パンとスープとネコ日和」を観た。
覚えいているようで忘れているシーンが多いことはさておき、何度観ても気分がいい。

かしこくな〜れ、やさしくな〜れ、潔くな〜れ

パンとスープとネコ日和より

登場人物のひとり ”しまちゃん” が子供の頃、おばあちゃんに言われたという。
潔くって、気持ちがいい、ことばだ。
寡黙で、真っ直ぐに、堂々と立っている、そんなイメージ。

自信があるとは違う。
どこか、ほんの少しの迷いも残っていて、でも自分を信じている感じ。
他者を遮断していないけど、巻き込みも巻き込まれもしない感覚。

なんだか、散歩に出かけたい気分になってきた。
潔い、冷たく澄んだ空気を浴びに行くことにする。

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