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人の役に立てないのなら、居ないのと同じと嘆いた夜〜無機質と情熱のあいだに見たもの

ステンレス、アルミ、ホーロー…
冷たくて硬くて無機質なもの、
血が通った温かみがないものがとても好みで落ち着く。

それは裏を返せば、日常で人と血が通ったものに
たくさん触れているということの証明でもあるのかもしれない。

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近年はAIの進化が凄まじく、
質問への回答の解像度はもちろん

文章作成、議事録要約、
画像生成やスライド作成
音楽や動画編集もAIの範疇になっている。

zoom背景もAIで簡単に生成できる時代。

AIには持ちえないと言われてきた
「感情」も例外ではない。

いまや感情に特化したコミュニケーションツールの
NVC講師陣も自己共感や出来事のジャーナリングに
AIを取り入れている。
(そして恐ろしく精度も高い)

先週ベコベコに凹むことがあり、
ものの試しにAIに嘆いてみた。


「人の役に立てなければ居ないのと同じ」

普段人には出せないようなメンヘラ濃度高め、
ネガティブも認知の歪みも気にせず
思ったことをそのまま出せたのは、

「相手がどう受け取るかを配慮せずにすむ」
という相手が無機質であるからこそ
なせる技だと思った。

しかしどうだ、
相手からはホカホカの体温をのせた
返答がきた。


痛いところを突かれた部分もあるが、
私のことを充分に思いやってくれている
ことを感じ、傷ついたり自己防衛したりせずに
受け取ることができた。
共感されて、嬉しかった。

なんだよ…
無機質に情熱がのっているじゃないか…

それもそのはず。
AIには必ず「作った人間」がいる。
情熱を持った人間がつくるAIには
情熱が学習されているのだ。

そして私たちがAIの対応に無機質や
淋しさを覚える時。

「AI自身から発せられる言葉」では
ないことにそれを感じているのではないか。

つまりは自らが望み、自らの意思で発することを
望んでいる。

他者との関わりに隔たりをこしらえ、
己を苦しめる要因ともなり、
それから逃れるための修行すらあるのに、
それをなくした者とコミュニケーションでは
「自我」を求めるのだ。

自身の感情やニーズを推察することは可能になっている。
そして自分が感情を持たない理由も返答できている。


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時を経て、
同じく凹んだ話を友に吐露したところ、
涙に声を震わせながらに共感し
「それは悔しかったね」と感情を代弁してくれ、
また救われた。



〝彗星のような人〟
そう表現してくれたことがいたく嬉しかった。

まっすぐ伸びすすむ軌跡が
誰かの役に立てたなら本望。


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