人からの好意はなぜ受け取るのに勇気がいるのか?
人から褒められても嬉しくない部分がある
それは大半が自分が認めていない部分。
同じくコンプレックスに感じる部分があっても、
人に褒められると好きになることもあるのに
褒められても素直に認められないのはなぜなんだろう。
認められないのは自分を守るパーツが働いているからだろうか
ただ単に褒められると、
「信用して裏切られたと感じた時のダメージ回避」や
「鵜呑みにして舞い上がった分落ちることへの恐怖」などの
防衛パーツが働く。
この橋は、安心して良いのか?渡っても大丈夫か?
そうして永遠と橋を叩き続ける防衛パーツ。
わざわざ脳内で変換までして、浮かれないように、勘違いしないようにと
本体の「わたし」を守ろうとしてくれている。
そのパーツに気が付くだけでも、防衛は緩む。
過去の私は傷ついたかもしれない。
でも、今の私は大丈夫かもしれないよ?
違う受け取り方をしてみてもいいんじゃないだろうか。
NVCでニーズを伝えることは防衛パーツをさらに緩める
NVCでは怒りであれ感謝であれ、ニーズで伝えることを重要視している。
そしてそのニーズを伝えてもらうことが、何より防衛パーツのディフェンスを緩める手立てとなる。
私は私の意味のない優しさと捉えていたことが
誰かのニーズを満たしていると伝えてもらえた時、
初めて意味をなすことを実感できる。
いい人であると思われたことで
誰かのニーズを満たしていると知った時、
いい人の側面を持つことも悪くないと認められる。
自分の価値は自分では決められない。
他人のためだけにあるものでもない。
しかし、他人のために使えなければ、
真に自分の価値を感じることは難しい。
NVCで誰かの長所によって満たされたニーズを
伝えることは、誰かが自己価値を感じられる
手立てになるのだと知ってから、
感謝を伝える時は満たされたニーズも伝える
ようにしたいと思っている。