他者により勝つこと
「○○しか勝たん」は2020年付近で流行しかなりの知名度を得たが、世の解説を見るとその理解度は驚くほど低い。
これなど日本語話者が書いているとは思えない。「ちくわしか持ってない」型のいわゆる否定対極表現を知らないのだろうか?
これも文法的な分析に終始してニュアンスを把握していない。
「○○しか勝てん」と言うと可能性しか示しておらず、実際の勝利は確約していない。むしろ(○○を推しとして)推しならば辛うじて勝つ、という程度のニュアンスになってしまう。「意図的に勝つことをしない」こそが重要で、推しは「自然と勝ってしまう」のである。
ついでに言うと「推ししか勝たん」も個人的にはやや奇妙な文に見える。確かに○○に入るのは推しのはずで、例文としてそうなってしまうのは理解できる。しかし「推し」という言い方には「上様」のような名指しを憚る気持ちだとか、同担以外もいる場で名前を出し続けるのは押し付けがましい気がするとか、ちゃん付け・苗字呼び捨て・フルネーム呼びなどに否応無く籠ってしまう関係性の暗示を避けてだとか、そういう精微な配慮がある。「○○しか勝たん」は確定している勝利への高らかな讚美なのだから、そんな配慮と組み合わせるのは不整合だろう。
「君しか勝たん」「アイドルしか勝たん!」などのフレーズには、なるべく広い意味を入れるとしても「推し」にはしない現場の感覚が生きているように思う。
さて近年の「勝ち」のニュアンスには、こうした自然な、あるいは自発的勝利の側面が拡大している印象がある。
元々の文脈で言えば、総選挙などによる競争性を備えたAKB系グループのファンコミュニティが出自であろうから、「○○しか勝たん」のニュアンスにも何か現実の勝利を指すような面が含まれていた可能性はある。
ただ『君しか勝たん』で言えば(全体で見ると「なんだこいつ」という歌詞ではあるが)「世界中の誰よりも」などの言葉があるように、これは実際に何らかの勝負があるのではなく、主観的な比較の話となっている。
このtogetterで「○○したやつが優勝」から「○○で優勝しまくってる」「○○で優勝していく」などへの展開が指摘されているが、ここにも競争的なニュアンスが削ぎ落とされてゆく過程が窺われる。
それと呼応しているかのような言葉が「負けちゃえ❤」などの「負け」の用法で、これは明らかにR-18ジャンルが出自だと思うが、月ノ美兎「メスガキさんぽ」のようにサブカルネタとして雰囲気を感じることはできる。要するに精神的屈服が「負け」なのだ。
「がんばる勝利」の下では「負け」が選択されることはない。だが精神的屈服は意志の問題であり、曲がりなりにも自由意志で負けを選ぶのである。
この事態にある種の潮流を見出して良いのだろうか?
安易に言えば新自由主義的な競争社会への反発が読み取れる……という話になるが、そんな手癖で書かれたような評論は単なる絵合わせに過ぎない。
更なる例としてガチャにおける勝利・敗北を考えよう。
ガチャは当然ながら技術介入が無い為、勝つ(コストが安く済む)も負けるも運でしかない。目的のキャラを引き当てたとしても、他人が「単発で出ました」など言っている横で何百連も引いて「勝利」とはいかない。
この勝ち負けは賭博における用法から来ていると思われる。つまり昔からあったもののはずだ。
ただアナログな賭博において、究極的にはイカサマなどの形で必ず技術介入要素があった訳で、そこを考えると「がんばる勝利」の面が強そうでもある。そうではなく、大事なのは「遊戯的な勝敗」という面ではないだろうか。
吉田寛『デジタルゲーム研究』は「全ての遊びは「他者」の存在を必要としている。一人で遊んでいるときですら、そうなのだ。」とカイヨワを引きつつ説いている。確かに全てがソーシャルゲーム化する、つまりSNSでのウケが重要な判断基準となる現在を見ると、ゲームとソーシャル性は分かち難く思われる。
そしてソーシャル的な勝利は別に実際の勝負とは関係がない。実際に戦わずとも、精神的勝利がそれ以前に獲得されるのだ。
精神的勝利と言うと魯迅『阿Q正伝』だとか、ニーチェのルサンチマンも挙げて良いかもしれないが、とにかく評判が悪い。しかし「優勝」とは「優勝した気分になること」であり、気分こそが重要なのだ。
何故「○○しか勝たん」「優勝」の精神的勝利は否定されないのか? それは実際に優っている何者か介在しているからではないか。
つまり我々は実際に勝利しているのではないが、推しの素晴らしさは(これもまた主観ではあるが)真実なのだ。我々は他者の勝利によって実質的に勝利するのである。
パーソナリティ型の(コミュニケーション志向と言っても良いかもしれない)コンテンツの発達が共感による鑑賞を拡大し、「他者による勝利」という回路を拓いた……こう言えば、競争社会云々よりは説得力があるだろうか。
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