ピカソを考える as soon as アウトプット 2月
ピカソ 青の時代を超えて を鑑賞してきました。
私の中のにわかピカソイメージといえば、セントジェームスのボーダーが似合うおしゃれなおじいいちゃん。
初めてピカソという名前を聞いたとき(小学校低学年の記憶)は、ピカ=戦争のイメージ(広島出身だとこうなる)の絵を描く人だと思っていました。
そして、絵といえば キュビズムといわれる幾何学みたいな変な絵。
横顔なのに目が2つ鼻の穴も2つ見えている、誰でも描けそうな絵。
と思いきや、ホントは絵がうまくて、何周か回ってたどりついたというところまでは、なんとなく知っているレベル。
あと、私が好きなサルバドール・ダリとも交流があったような気がする。。。的な。
ぶっちゃけゆうと、ピカソの絵自体はそこまで好きというわけではないが、有名人の絵だから見てみたいというミーハー心で足を運んだのでした。
そして、このタイトルにもある「青の時代」とはなんぞやってことなんですが、スペイン生まれのピカソが20代前半画家仲間とパリに引っ越して制作をする中でその友人の自殺によりうつ病を発した4年間のことをいうらしいです。
青の絵の具で人生の悲哀、孤独、貧困などをテーマに、陰鬱とした絵を書きまくった「青の時代」を超え、バラ色の時代、キュビズムなど、同じ人間が描いたとは思えない様々なテイストの絵を描きながら、91歳で亡くなるまで生涯でおよそ15万点の作品を作ったギネス記録にものっているほどの人なんです。
実際に美術館で絵を間近に見ておもしろかったのですが、私が一番興奮したのは、下の絵「ラガループの海水浴場」を描く様子が描かれた映画「ミステリアス・ピカソ」の一部分を上映していた映像で、なんども絵を描いては上から重ねていく様でした
その1、その2を経て、完成系に至るまで、なんどもかわりゆく絵に魅了されます。そして、迷っているのか、必要なプロセスなのかわかりませんが
構図やタッチや色彩を何度も何度も変えながら進んでいきます。
もう終わらないのではないかと思うほど、塗りつぶしてまた書き直したりして、でも、結局私は最後の完成形が一番好きだったりするのです。
センターちょい左のグラマラスな水着美女が、最後首の長い女になっていくところ、ともすれば最初のほうが上手な絵なのですが、ピカソの完成はあえての首長女とライオン男。
上手に描くことは全くもってどうでもいいご様子。
ピカソの言葉でなるほどと思うのが、
「私は対象を見たままにではなく、私が思うように描くのだ。」
なんて、芸術家なの!
見たままに描くなんて、AIじゃないか。
写真でええじゃないか。本物みたいでも、コンピューターが描いた絵に感動しない。
私はすっかり感動してしまった。
でも、私はピカソという人間がどういう人間なのか、最後までわからなかった。
ピカソがどんな人間かつかめなかった。
そこにとてもひっかかった。
絵は、様々に変わり、売れる絵を描くことに長けていたとも、
新しい技法を探求することにこだわったとも言われる
なにか、つかみどころのないピカソ。
常に誰かがそばにいないといけない、寂しがりやで友達も多いピカソ。
恋愛もたくさんし、愛人もいたピカソ。
ピカソの生い立ちなどを調べたりしてみたけど、私には一言で言い表せない。ピカソはこんな人だったとは。
でもそれは、ピカソの望んだことなのかもしれないと思った。
理解されてたまるかと。
自分についてしまうイメージからスルスルっと身を捩るように
次々と違う絵を描きつづけたのかもしれない。
年を取るにしたがって子供のように絵が描けるようになったというピカソ。
ピカソの絵をさかのぼってみてみると、おもしろい。
どんどん上手になっていくのです。
まるで、「画家界のベンジャミン・バトン」ではないか!!!
こちら、1897年のピカソ16歳の時の作品で、画家の父はすでにこの頃
ピカソが自分を超えたと創作を諦めていたとか。
そう、この画家の父から幼い頃より英才教育を受け、うまく描くことが当たり前だったピカソは、ようやくおじいちゃんになって子供のように自由に描かけるようになったらしい。
この深みよ。
この若さで技術が高くて、この絵がかけたからこそ
後のへんな絵に深みがでるよね〜。
最後にもう一つピカソのお言葉でいいな〜と思ったものをご紹介。
ピカソが30歳の時ファンに絵を頼まれたのでさっと描いて渡し、ピカソは代金として1万ドルを請求する。「えっ、たった30秒で?」と驚かれると「30秒ではない。30年と30秒なのだよ」とピカソは言ったとか。
確かに!!!!
今の自分は、過去の自分の経験からできているのだから、この30秒は、30年の生き様そのものってことですね。
これは、クリエイターがありがたがる言葉じゃないか!
私は誓った、いくらすぐにできたデザインでも、
制作日数に年齢を足すことと、ここぞというときにセントジェームスのボーダーを着てクリエイター感を演出することを。