ジム・オルークと豊島、みたいな
ある記憶を引っ張り出すとき、連動して一緒に「こんにちは」と頭の中に出てくるものってありませんか。
高校生の時読んでいた、村上春樹のエッセイで
【きんぴらごぼうを作る時はレッドホットチリペッパーズを聴くに限る】的なることが書かれていた。意味が分からず混乱した高校生の私の頭に引っかかり、結果そのエピソードだけが強く印象に残っている。
おかげさまで、レッチリを聴くときんぴらごぼうを思い出す身体になってしまった。
とか。
あと、付き合ってる彼から勧められて柴崎友香さんの「わたしがいなかった街で」読んだときの話もある。通勤電車の中で本を読むとき、音楽をイヤホンで流す癖?があって(その方が集中できるから。)、その本を読むときはドミ&JD.ベックのアルバムをずっと流してたのだけど。そしたら本読み終わって暫く経った今でも、その音楽を聴くたびに、「わたしがいなかった街で」のイメージが頭に浮かぶようになってしまった。ちなみにその事は、どちらにも良い作用をもたらした。
とか。
春になると東京で毎年感じてた春の匂いを飯田橋の風景と共に思い出すし、中高時代が懐かしくなったらリプトンの紙パックレモンティーを飲んで気持ち紛らわすし、昔のiPodが引き出しから出てくると好きだったあの人の夕陽に揺れるふわふわの髪の毛を思い出さずには居られない。
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ここから本題。
昨年9月、初めて瀬戸内国際芸術祭の時期に島巡りをした。
数日かけて直島、女木島、男木島をまわった。
そして最終日にだいすきな豊島に行った。
豊島に行く日は雨で、私は「やった!」と内心ガッツポーズした。…なぜか?
豊島を訪れる誰もがまず目指す豊島美術館は、天気と共に楽しむアートであるため、雨の日もそれはそれは素晴らしいのだ。「雨の日を狙って来る人もいる」と島の人から以前聞いたことがある。
雨の日の豊島に、私の胸が高鳴る。
フェリーで豊島へ向かう。
旅行最終日のため寝不足であったが、気分が高揚し全く眠れなかった私は、隣ですやすや寝ている大学の後輩を横目に音楽を聴くことにした。
今回の旅は2人旅行だったから、ずっと音楽を聴いてなかったし、「寝てるから今のうち!」と思い、フェリーの窓から空と海を見ながら、久しぶりに自分の好きな音楽を聴く。
そろそろ島に着く、と船内アナウンスが古いメロディと共に流れる。
私は、後輩が起きる前に最後に一曲何を聴こうと考える。
フェリーの窓の外には、海が広がる。
少し遠くに豊島の湿気を含んだ森がこんもりと見えてくる。
さーー…っと細い雨が、空から海に静かに降り注いでいる。
世界が美しいグレーだった。
そして私はこの曲を選んだ。
静かに宇宙と交信しているようなイントロ、そしてハローハローと始まる曲を聴きながら、世界の美しさに胸がぎゅうと締め付けられた。
雨の中、フェリーが唐櫃港に入港する。
完璧な時間。
これから先何処にいても、ユリイカを聴くたびあの美しい時間が私の中に蘇るのだ。
そのことを確信しさらに無敵となった私は、今日も大切な記憶たちと共に生活している。
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