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究極の自然農は、水源の守り人


ちょっと日本の森林保全をかじった人なら誰でも知っているが、日本では里山というものは、人の手が入って保全され、循環していくもの。欧米式の何も手を加えない環境保護は、奥山を除くと、日本では、”単なる責任放棄”、となる。日本の標高の低い山々…つまり、生産力の高い緑地…は、人の手が入って、完結するようにできている。

今日は、松国自然農園で出会った柴田さんの農園を訪問した。”問いではなく、答えを生きる”ということの実践者が柴田さんだ、と思ったからだ。

自然農は自給農を基本とするが、その究極の在り方が、”水源保全人”とでも称したらいいのだろうか…?最上流の源流部を、無作法な除草剤という名の農薬散布から守る、という役目をはたしているものだということが分かった。

自給自足のほうは、「まぁ、出来て当然」という感じだった。ごくごく最小限の手間しかかけず、食は確保するもの。住まいは?と言うと、草に侵され、荒れ果て、見捨てられたものを、これも、ごくごく最小限の手間だけかけて、住めるようにする。そして、最大の時間を、水路の脇の草刈りだとか、長年放棄されたために、葛などのつた類の絡み合ったヤブを払うことだとか、放棄された棚田のモグラ穴補修だとか、そういう”重要なこと”に使う。

この日、奥様は黙々と、放棄されたために果樹園に侵入した2mほどのささやぶを刈り払う作業をしておられ、なるほど、と思った。こういうことができないと、中山間地は務まらない、ということだ。

時間は、今しかできないこと…つまり、こういうことに費やすのだ。ほとんどが、多少、土木工事のような作業になる。最低でも、刈払い機は使えないと話にならないレベルだ。チェーンソーは、男性なら必須かもしれない。それが分かった。こうした整備が終わるまでは、決して一息、とならないのだ。

一般農家は、今の時期は農閑期だが、柴田さんは違う。なぜなら、私も本格的な登山をするので、”やぶ漕ぎの山”をしていたから分かるが、このくらい気温が低い状態でないと、”やぶ払い”なんて作業はやってられない…。草木が枯れている必要があるのだ。4月は標高が低ければ、もう夏だ。だから、厳冬期が一番重労働に適している。あまり暑くない、この季節は忙しい。

春が来てしまったら、今度は、畑の方が忙しくなる。そうなれば、やぶ払いや開墾作業などしていられない。

というわけで、農家の忙しくないときに遊びに行ったつもりが、超・忙しい時に行ったことを知ることになった…。そんな忙しい中、ケーキを焼いてくださり、自家焙煎のコーヒーまでふるまってもらい、大感激だった…。(申し訳なかったなぁ…)

それにしても、広大な土地だった。

何度か引っ越して、その度に管理する土地が大きくなったそうだ。地域から、”この人なら任せられる”という、信任の大きさが形になったと言える。

そうやって、どんどんと責任範囲を広げていったとしても、一人でやれる面積には限界が来る。当然だ。実際、通りすがりに見た、もっと下のほう、つまり、優先度の低い場所…の植林や竹林は、手入れの良しあしの差が非常に大きく、悪いところはもうかなり来ていた…。

今回、思ったのは、鉄腕ダッシュ村は、楽しいだけでないということだ。大きな責任がついて回る。TVはそんなことは放映しない。柴田さんは多くを語らないが、かかる労働の大きさは、私が登山でも、沢登りや岩登りを含む、本格的なアルパインクライミングをやっているおかげで、だいぶ理解できた。

彼はおいくつだろうか…。40後半の私より少し上くらいかなぁ…。私は以前、働いていたある山里の最終集落にある茶農家で、屋敷と畑を譲り受けた30代の男性は、よくやっているなと思っていたが、全然サボっていたことがよく分かった。できることの半分もしていなかっただろう…。(もちろん、人は自分でしたいことを決めて良いのだが…。)

最終集落というのは、それより上に人家がないため、別天地で楽園だ。景色も良い。だが、放置している大地は、土砂災害の危険が高まる。労力を投下するなら、集中すべきは源流部、ということか…。実際、家が一軒流されたそうだ。

自然農には適地があり、最終集落、山間地が良いと言われている。しかし、適地を求めるはいいが、そのトレードオフでもある、山間地に住むことの責任の重さを感じた。

筆者は山小屋暮らしの経験がある。標高2400mの山小屋に暮らした時は、小屋にアルバイトに来る人たちの、あまりの責任感の無さのほうに腹ただしかったが、この標高300mの、今にも崩れそうな民家で、どんな挑戦が行われているのか?理解した。理解できる力が、今あって良かった、と思った。

これは、なんとなくブームだから…と惹かれてきた、一過性の都会の農ギャルの人はお呼びでないよってことだ。”ファッション田舎暮らし”の人もだ…。何がファッション田舎暮らしで、何がファッション農業なのか?今回は言及は控えるが、それも分かる。

私の自然農が、おままごとレベル、と言われても、「まぁ、その通りだ」としか言えないだろう…と思うが、それでも、まだ畑に水やりしないといけないと思っている人たちと比べたら…。まぁ、だいぶ違うわけだ。

物事の理解には、色々なレベルがあるが、畑におしゃれして来るというレベルは、抜けていてよかったなと思った。

山間地、上流部での農薬汚染は、天に唾することと同じだ。それを守る守り人、そして、そうした人たちに必要な農法、それが自然農、だ。

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