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問いではなく、答えを生きる

子どものころから、自給自足生活に憧れがあった。

趣味のロッククライミングで、2度ラオスに行った。牛やヤギがそこらでのんびりと草をはんでいる中、人間は、せっせとクライミングして遊んでいた。なるほど、これがパラダイスか、と思った。

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お手伝い募集の呼びかけに答えて、出かけた畜産農家。そこでの暮らしがラオスで感じた世界と同じだった。ラオスのクライミングを日本に持ってきたいなと思っているんだが、そのための足掛かりが、一歩進んだ気がした。

問い。どうすれば、地球に負荷を掛けずに生きられるか?

それを試行錯誤して生きるのではなく、こうすればいいよ、という答えを生きている人たちだった。答えは、薪生活、だ。動物と暮し、薪と暮す生活。

出かけたのは、だるま放牧豚さん。ご主人の中村さんと奥様の高橋さんがお二人で、放牧で豚や牛を飼っている。

ポリシーというのは、語られない。でも、見ていれば、分かる。”その人らしく自由に生きる”、豚は豚らしく、牛は牛らしく、犬は犬らしく、猫は猫らしく、女性は女性らしく、男性は男性らしく、芸術家は芸術家らしく、つまり、私は私らしく生きられる、ということだと分かる。

”その人らしく生きる…” これは現代では、ほとんど叶えられていない。

現代日本では、金太郎あめのごとく、画一教育され、教育という名の洗脳にからめとられた私たちは、そもそも、何が自分らしいのか?すら、分からなくなっていると思われ、”その人がその人らしく生きられる世界”を想起することすら、非常に難しい。

住まいは、ご主人手作りの森の中のログハウスで、愛着たっぷり。家を作りたい!と一度は誰もが思うと思うが、9割9分の人は挫折してしまう。最近は、タイニーハウスの本や移動式住宅に暮らし始めた人も出てきてはいるが、エキセントリックな人、という扱いは免れていない。

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しかし、本当に奇人変人だけのものだった時代は、終わりを告げつつあるのだろう…手作りのログハウスの生活は、普通に楽しい薪生活だった。なんなら、そこから出勤も出来てしまいそうだった。

別荘地のログハウスか、さしづめ森の中のキャンプサイトにあるコテージを想起してもらえば良い。しかし、電気・ガス・水道などは、きちんと引いてあり、森の中に孤高に立ちながらにして、文明の利便性を享受することができる。

夫と以前、長野飯山の『なべくら高原森の家』に出かけたが、そこでの暮らしは、豪雪の雪の中のログハウスで、その雪がないバージョン。あるいは、山の中に行けば、無人小屋があることがあるが、その電気・ガス・水道完備バージョンと言えばいいだろうか…。なかなか快適にしつらえてあった。

動物たちとの暮らしも楽しかった。ここでは、動物にも生存権がある。

ある日、飼い主が、普段の猫の餌を買いそびれ、悲しく「にゃーん…」と泣いて餌を食べないことがあった。次に出かける瞬間に、一番大事な用事は、猫の餌を買うこと、である。

私も、ニワトリを飼う生活を短期間、したことがある。ある嵐の晩に、抱卵箱の敷草が、びしょびしょになってしまったことがあった。それで新しい草を刈りに出かけ、乾いた草を敷き詰めてあげた。ところが残念。ニワトリさんは、草が気に入らなかったようで、次の日蹴っ飛ばしてあった。仕方ないので、朝いちばんで元の草を拾いに出かけ、乾かして使った。”ニワトリ・ファーストな生活”ということであった。つまり、人の用事の後回しにはされない。もちろん、人間の用事でも、切羽詰まっていれば、違う話だが。

ここのアイドル犬は、いっちゃん、と名付けられた白い小型犬で、好奇心一杯、元気いっぱいで暮らしている。「可愛いね~可愛いね~」と毎日声を掛けられる。すると本当に可愛いくなるもの、なのだ。日本の子育ては、”もっと頑張れ、もっと頑張れ(=ダメだ、ダメだ)”、と言って育てていないだろうか?

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飼い主のお出かけにはいつも一緒に車に乗せて行ってもらえるし、家の中にも、勝手に入ってきて、勝手に出ていき、人間同様の自由を謳歌している。夜になったらイノシシを追いかけまわして、きちんとお勤めも果たしているようだ。

猫の方はマイペースにその辺をウロウロしているだけなんだが、森の中の生活では、猫は、ただ存在だけで役割を果たしている。というのも、猫がいるだけでネズミなどの穀物を荒らす小動物が近寄らなくなってくれるからだ。沢沿いの山小屋などでは、猫は必須装備、みたいなことになっている。

これらのペットたち同様に飼われているのが、こちらの放牧農場の豚や牛たちだった。豚は豚らしく、牛は牛らしく、生活しているということだ。

牛の放牧区に行ったら、すでに脱走していた。飼い主の高橋さんは、こともなく、牛を追い始めた。現代版カウガールだ。牛が飛び跳ねている姿を初めて見た。どうも牛さんは、人間が一緒に遊んでくれる!と思ったのでは、あるまいか? そして、急坂程度の傾斜の土手を牛が上手に駆け上がるのを初めて見た。ちょうど、山で、カモシカが崖を上がるのと同じスタイルだった。そういえば、カモシカってウシ科だったよなぁ…。

牛さんは、体が大きく体重も重い。人間が人力で建てた囲いなど、たやすく突破してしまう。それも仕方のない理由があった。餌が切れ、お腹が空いて、柵の外の草をはみに行ってしまう。これでは、牛を責めるわけにもいかないなぁと、人間の方も、いたって納得というか、”あ、ごめーん”程度のことのようだった。つまり、そこまで甚大な問題とは考えられていない。餌をやれば、戻ってくるからだ。もちろん、圃場から大きく離れて、隣の農家に迷惑をかけることになれば、相当大きな問題ではあるんだが、今のところ、脱走は少々柵を抜けた程度であるので、仕方ないなぁ、という感じだ。

子どものころ、『赤毛のアン』で読書をスタートした。少女小説のように思われているが、一冊3cmはあろうかという厚みの本が10冊は続くロングな長編小説で、文章は漢字だらけなので、小学3年生の私が熱中したのは、今考えると不思議なくらいであるが…中に牛が脱走した時の顛末が出ている…麦畑に牛が入ってしまい、アンが大目玉を食らうという話だが、実は人違いならぬ、牛違いだった、というオチだったと思う。しかし、語り口から、牛の脱走が大事件であることが分かる。その大事件ほどの大事件ではなく、普通の日常の一コマという感じだった。動物は、食い気には勝てないのである。

豚さんのほうは、赤ちゃんが生まれており、可愛らしかった。これも少女期に読んだ『大草原の小さな家』を思い出した。家畜にとって、オオカミが脅威であり、それは人間も同じことだった。だから、番犬が必要。

この農場では、豚も牛もそれぞれ、自分の”らしさ”、を生きることが許されている。そのような飼い方をされていた。フリーランチ、Free Ranch、自由牧場、という感じだ。

そういえば、甲府のスタバでたまたま会った外人さんが、自宅がアリゾナの農場で、”馬、飼っているから、今度、遊びにおいでよ!”って、言っていたよなぁ…。”いいなぁ、アメリカは広いからなぁ…”などと、ひとごとのようにボケっと考えていたが、実は、日本でも可能な暮らしなのかもしれない。

H.D.ソーローの『ウォールデン』は、2年ほど森の中で暮らして内省した話だが、ここでは20年ほども、そのような暮らしが実現されているらしい。憧れる人は多いが、憧れている場合ではないのかも…なぜなら、やる気さえあれば、今、実現可能な現実が目の前にあるのらしいのであるから…。

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私は20代で2年ほど、カリフォルニアに暮らしたことがあるんだが…最初にできたBFは、アルバニアからの政治難民の人だった。東欧は、まだ農村生活が残っているらしく、カリフォルニアでの暮らしも、同じように大家族を基にした農村生活だった。大きな木からアボガドをもいだり、トマトの品種談義をしたり、蜜バチの巣からハチミツ取りをしたりした。ある時、牛の柵が壊れたから、直しに行くと言われ、ついて行ったら、パオアルトのフリーウェイの横で、車がビュンビュン通っている、すぐ脇の一山だった。『隣のツキノワグマ』は、伊那で、高速道路わきに熊がのんびり出没しているという話だが、まさに、”隣の放牧牛”だった、カリフォルニア。山が広すぎて、牛の姿は、どこにも見当たらなかったが。年に一回、牛を絞めて、全部の肉を巨大なGEの冷蔵庫に保存しているそうだった。牛を一頭まるごと食べたいから、なのだそうだ。市販品では、限られた部位しか食べることができない。

カリフォルニアでは、他にも色々と楽しい経験をした。まず、郊外の一般家庭でも、残飯をガレージの外に出してしまうと、鹿があさりに来てしまうので厳禁。電線の上は、リス通行路。隣の家は見えないほど遠いので、子供が隣の家の子どもと遊びたいときは、誰か大人が車で送り迎えをしないといけない。嫌というほど採れる、洋ナシ、レモン、オレンジ…。クリスマスになると、本物のモミの木を一本買いに行く。昔は、誰でも自分で森に出かけて木を伐って来て、クリスマスツリーを作っていたのだそうだ。ピスタチオを買いに行ったときも、収穫から買主が行い、木を揺らして取れた分だけ料金を払った。

私が住んでいた家は、内科医と大学教授のカップルの家だったので、ごく普通の家の人たちでも、このような暮らしだった。日本の大都会の暮らし…構想マンション、通勤地獄、インテリジェントオフィスビル、の生活からすると、ものすごくかけ離れている。

懐かしくカリフォルニアの生活が思い出され、どうも、日本でも、これが実現可能だと知った。

ラオスでは、温かい気候が幸いして、家屋も取り立てて高級なものは、いらないようだったし、日本でも立地を選べば、ソーローの”森の生活”は、可能になるらしい。二匹の犬と一匹の猫、楽しい薪生活。

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最期に奥さまの手料理がかなり美味しかった。さすが関西出身。ついでに補足すると、近所に天然牡蠣を採取することができるスポットがあり、温泉も、ちょっと足を延ばせばある、と日本ならでは!のおまけつき。

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現代のウォールデンな暮らし…動物も人間も、自分らしく。ありのままに。

こんな暮らしを実現したクライマーズハウスを作りたい!それが私のドリームワールドだ。


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