禁煙は孤独になりがち。
禁煙13日目となりました。
やめ太郎です。
さて、今日は禁煙の孤独さについて考えてみました。
昨日の記事の通り、私は妻と子供に聞いてもらい気持ちを理解してもらっています。
が、それまでは誰にもわかってもらえないと考え、一人で戦うものだと考えていました。
それもあって不用意にイライラしてしまったりがあったと思います。
禁煙とは基本的に仲間を作りにくいものだと思います。
非喫煙者は、そもそもの吸いたいという気持ちが共感できないですね。
煙草なんて迷惑でしかないものですから、吸いたさに挫けそうになっている様子は滑稽に映るでしょう。
百害あって一利なしの煙草に依存していたという事で、人として信頼できないと感じる人すらいると思います。
吸わない事が当たり前であり、他者が禁煙しようが病気に倒れようが非喫煙者にはあまり関係がないのです。
なんとか理解をしたとして「苦しいから1本だけ吸おうかと思っちゃう」などと言われたら理解に苦しむ事でしょう。
また、喫煙者には禁煙を行うという事自体が不快に感じる事となります。
知り合いに「どんなに高くなっても煙草はやめないぞ!」と宣言する人がいます。
彼は禁煙していく人を「裏切者!」と罵ります。(半分冗談だと)
逆に私のようにずっとやめたいとタイミングを待ち続けている喫煙者も不快感を覚えます。
喫煙習慣をやめらないダメな人間は自分だけではないと安心したいからだと思います。
知人が健康な非喫煙者へ変わっていく姿に不安を感じてしまうのです。
やめたいと思っているのにやめられず、取り残される感覚に包まれます。
こうなると、吸うのも我慢するのも苦しく板挟みになってしまいますね。
考えるのを諦め「どうせダメな人間なんだ」と自分を卑下し煙草を吸うのが以前の私でした。
そうなるとやはり理解や応援をすることは難しいと思います。
立場や言葉で応援できても「失敗しろ」と願う気持ちはどこかに残ります。
そんな事を思う可能性がある人に相談なんてできないですよね。
「よく頑張った、でも1本だけでも吸いたくなったら言えよ。
無理は良くないから。」
そんな誘惑をされたら・・・考えるだけでもおぞましいです。
以前に喫煙していて禁煙をした人。
これが最も理解をしてくれる可能性のある人だと思います。
ただ、人間とは恐ろしいもので喫煙の習慣がなくなるとノンスモーカーになってしまいます。
煙草に依存して、欲していた頃の渇望などはわからなくなってしまいます。
目が覚めた人から見たら煙草なんて悪でしかないですからね。
自分が依存していた分、逆に嫌悪感を増してしまっている場合もあるくらいです。
という事で、禁煙はとても孤独な闘いとなります。
真の意味で味方となってくれる人は肉親だけだと思います。
家族は運命共同体ですから、将来の健康も煙草で消費されるお金も損益はひとつですからね。
家族に話すのも勇気がいる事ですが、禁煙を成功に導くためにも一歩進んでみましょう。
禁煙するって宣言して失敗したら、怖いですよね。
しかし、失敗する事も想定して禁煙に臨む事は失敗する計画が組み込まれた禁煙となります。
これは煙草の悪魔がそうさせているのだと思います。
本当に喫煙は必要なくやめるつもりであれば、保険など必要ありません。
「苦しむと思うけどやめたんだ」と家族に伝えて悪い事などありません。
もし失敗したら?そんなもしは考えなくて良いのです。
吸えない状況に自分を置くことが正しい選択なので、煙草の悪魔はそれを恐れさせるのですね。
ただ、その家族が喫煙者だとまた難しいのですが。
私は両親と兄弟は喫煙者なので数か月後にやめた事実を伝えるつもりです。
妻は非喫煙者なので素直に話してみました。
話題になって夫婦の会話が増えるって事はとても良い事ですし、一石二鳥ですね。
孤独な禁煙ですが、同じ状況の人がもしいれば仲間になれると思います。
禁煙に挑戦し、離脱症状に苦しんだり苦しみを逆に楽しんだりしている仲間。
そう思いnoteを始めました。
また、いつかはやめたいと思いながらも吸ってしまう人にも仲間になって欲しいと思います。
責めるつもりも傷つけるつもりもないので。
あなたの苦しみも理解できますし、禁煙は難しくない事をポジティブに感じて欲しいです。
よろしくお願いします。