【ショートショート】たこやき食べたい。
臭い、暑い、臭い。
仕事よりも辛い時間、電車での通勤。夏は特にひどい。
最近、男性の臭いに言及したアナウンサーがひどくバッシングをうけていたが私には何が問題なのか分からなかった。臭い奴が悪いに決まっている。汗をかくのは仕方がない、その後どう対処するのか、それが問題だ。どうして自分が臭いという可能性について一切考えなかったのか。そんな思考力で大した仕事ができるとは到底考えられない。
電車が揺れてイライラする。
隣に立っているだけの無実の男性の肩が軽く触れただけで殺意を覚える。
目の前に座っている女性が立ち上がるようなそぶりを見せるが、座り直しただけで目の前に鎮座し続ける。
なんだこれ、ふざけんな。
誰も悪くない。イライラしている自分が悪いことは理解しているがそれでも些細なことにムカついてしまう。
仕事は単調で毎日同じことの繰り返し。
上司は自分の屁理屈を押し付けてくる。
彼氏は優しいけれど、なんだか最近マンネリ化してしまった。
何も楽しいことがない。
Xを開いて適当にタイムラインを見ている間に2駅ほど通過した。
次の三鷹駅が目的地。そろそろスマホをカバンにしまって、音楽でも聞こうかと考えていると、誰かの投稿が目に止まる。
『おいしい!これが生きがい✨』
おしゃれな白いお皿にたこ焼きが6つと缶ビールが2本の写真。
おしゃれなネイルが施された手も写っている。
キラキラ系社会人女性の投稿、いいねは980件。
バズってはいないけど、たまたま表示されたこの投稿に心を奪われた。
「たこやきたべたい」
仕事終わりに夏美の空っぽの頭に唯一浮かんだ気持ち。
「パスタとか、ステーキとか、辛い物じゃなくてたこ焼き。
それに、冷凍のたこ焼きじゃダメ。焼きたてでそのまま食べたらやけどしちゃう、ソースの上で鰹節がダンスしているあれじゃなきゃ。」
気づいたら私の感情は逆立ちしていて、口角は上がっていた。
帰宅ラッシュの中央線で一番ワクワクしているのは間違いなく自分だと思うと、なんだか嬉しくなり、隣でヘッドフォンから趣味の悪い音楽を漏らしている大学生を許してあげることにした。
三鷹駅に到着。
「すみません、降ります」
そう伝えるが全く動く気配のないおじさんに腹がたつ。
しかし、今日の私はたこ焼きを食べるんだから、この人に気を取られている場合じゃないと少し強引に電車を降りる。
いつも何も考えずに電車に乗るから、改札へ向かうための階段が遠い。
ホームには人が溢れていて階段を登るのにも時間がかかってしまう。
これも、たこ焼きを食べるためのスパイスだと自分に言い聞かせて、浮腫んでいる足を一歩ずつ踏みしめて歩く。
改札を出て北口へ向かう。足はエスカレーターに向かいたいと主張しているけれど、少しでも早くたこ焼きに辿り着きたいという心が体を階段に運ぶ。
混み合っている階段を一段とばしで駆け降りた。
向かう場所は決まっている。駅の近くの居酒屋。
そこでテイクアウトのたこ焼きも提供している。
ずっと前から気になっていたお店で、いつも美味しそうな香りを漂わせていた。
節約をしたくてずっと行けていなかったけど、今日は絶対に食べたい。
SNSに投稿しない、ただ私のお腹と心を満たすだけのたこ焼きが欲しい。
駅から店舗まで3分くらいの距離をおそらく20秒巻いて到着した。誰にも誇れないこの記録を特別に感じる。
季節外れの暑さに汗をかいて、息も少しだけ上がっている。
だけどわたしは頑張った。
この横断歩道を渡れば数歩で辿り着く。
新世界でも、天竺でもないただの居酒屋。
それでも今の私にとっては熱々で大きくて丸い宝物の隠し場所。
宝の地図は必要ない、Googleマップに公開されているのが不思議。
お店の前には『営業中』と記された木製の立て看板。
そして壁には『たこやき』の文字。
お宝の居所をこんなにわかりやすく記してもいいのだろうか。
匂いだけであつあつ度合いと味が伝わってくるから不思議。
お腹がとっても減ってきた。
早速、お店の出窓に置いてあるベルを押す。
すぐに額に鉢巻を巻いた男性店員が窓を開ける。
「すみません、たこ焼き8個入り、1つ。あ、割り箸もお願いします」
今日だけはSDGsに目を瞑る。どうしても割り箸で食べたい。
「ありがとうございます。マヨネーズかけて大丈夫ですか」
「お願いします」
「600円です」
地元のたこ焼きに比べると少し割高、都会にしては良心的な値段。
そして田舎では絶対対応していない、PayPayで決済できるのだから全く文句はない。
「PayPay」
ちょっとうるさい決済の音が鳴る。
「ありがとうございます。それでは、少々お待ちください」
笑顔のまま優しく窓を閉めるその姿をじっと見つめる。
店員さんへの恋心ではなくて、たこ焼きへの渇望。
もちろん、対応してくれた店員さんへの感謝は忘れていない。
今なら満員電車にだって戻っても上機嫌でいられそう。いや、それは言いすぎた。
「お待たせいたしました。熱いのでお気をつけてお持ちください」
戻ってきた店員の手元が輝いて見えた。
「ありがとうございます」
消え入るような声でお礼を伝え、微笑を浮かべつつ、ビニール袋に入った宝物を受け取る。
少し早歩きで家へ向かう。
駅近に家を借りたメリットを今日ほど感じたことはない。
手元からいい香りが漏れている。美味しそうで香ばしい匂い。
ビニール袋の口を少し広げて、道行く人に匂いのお裾分け。
きっといつもより、早く家に着いた。
パンプスを吐き捨て、最短で冷蔵庫に向かう。
「えーっと、、あ、あった!」
冷蔵庫に一本だけ残っていたビール。
コンビニに寄ろうか迷っていたけれど、やっぱり残ってた。よかった。
仕事用のカバンを適当に置いて、書類とリップの転がる机にたこ焼きとビールを置く。
さっき見た投稿みたいなおしゃれな皿はないけれど、そんなの関係ない。
たこ焼きの容器を開ける。
ソースの香りがより一層広がる。
鰹節が控えめに踊っている。
缶ビールのタブを立ち上げ、ふたをあける。
カシュっと心地よい音が聞こえた。
手を合わせる。
「いただきます」
普段は蔑ろにしているけれど、今日は丁寧に。
パキッ。
割り箸を割る。
意味があるか分からないけれど、割り箸どうしをこすり合わせる。
箸で優しくたこ焼きを持ち上げ、口に運ぶ。
外はしっかりとした生地で、なかはとろとろ。大きめのタコにしっかり歯ごたえを感じる。
マヨネーズとソースの量が絶妙で一噛みごとに旨みで口が満たされる。
口の中にたこ焼きが残っているうちにビールを飲む。
社会人になるまでビールが飲めなかったことが信じられない。
こんなに美味しい飲み物。この苦味がいいんだよ。
げふっ。
誰もいないから全力でゲップしてみた。
「しあわせ」
思わず溢れた言葉。
SNSの投稿みたいに見た目は煌びやかじゃないけれど、私は私にいいねする。
嫌なことは何も解決していない。
明日もきっと上司は理不尽だし、電車も混んでるだろう。
だけど今、まんまるの幸せを体に取り込んだ。
タコの吸盤の力を借りて明日もふんばって生きる。
ふと思い出して、Xを開く。
電車の中で見たたこ焼きの投稿は、5000いいねを超えていた。
『私もたこ焼き食べました!』
特に何も考えず、コメントしてみた。
数分後、投稿者がコメントにハートをくれた。
今日の私はハート2つ。充分でしょ。
残りのたこ焼きは、あんまり噛まずに食べきった。
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