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恋なんて。

何故人は、人に恋をするのか。
私にはまだまだ解らない。

知らないうちに人を好きになっていて、
その人しか見えなくなったり、
自分を忘れて相手に必死になって
振り向かせようとしてしまう。

中には叶うはずもない恋だってあるし、
人を傷つける恋だってある。

私は恋をする人はとても人間らしいと思う。

しかし、恋は綺麗だとか、素晴らしいものだとか
一言に表すことは、私にできない。

恋とは、エゴの塊だからである。
好きだから付き合って。
なんて、エゴだらけだ。

それでも人は愛を育むために、
恋に落ちる。
エゴであろうがなんだろうが、
恋愛を否定する言葉は世にない。

恋愛が善であろうが悪であろうが、
そんなもの理論に従えないのが恋だ。

哲学者は善と悪に基づき、恋を定義し、
科学者は生物学的観点から 恋を定義する。

世の全ての事象に、正解というものを
求めても、恋については個人の見解。

口を揃えて恋を定義することはできない。

エゴだとわかっていても、
恋をすることは自然なことで、
誰も責められない。

恋をする者は必ずしも 愚かだと言えず、また、
恋をする者は綺麗とも言えない。

恋は悪では無いけど、相手も、自分も傷つける
悲しい恋はしたくない。

優しい心で相手を好きでいられる恋をしたい。
自分勝手にエゴだらけにならないで、
相手を信じて 好きでいられたら
なんて美しいのだろうか。

エゴでも良いから、
相手を大切にできる恋をしたい。

恋をして他人に幸せの価値を求める事、
一方通行の届かぬ想い、
頭上で展開する幸福恋愛物語。

叶えばどんなにいいだろうか。

でもそんな上手くいかない。

恋に解がないからこそ、矛盾が成立している。
自由に個人の見解であるからこそ、
私達はその自由な楽園で
自分の責任で恋をする。

自由だからこそ、解がないからこそ、
私達は思いやりを大切にしなければならない。

実ること無かった青春も、
容易く綻んだ関係も、
次の春を強く生きる糧となる。

恋は決して意味無いものではなく、
容易に定義できないからこそ、
美しいと憂いが相反して共存する。

また春になれば人は恋をする。
そうして人は大人になる。

貴方の人生に暖かい風が吹くこと、
素敵な出逢があることを、
心よりお祈り申し上げます。

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