理牌(りーぱい)で考える「プロ雀士」の定義(文・黒木真生)
お願いに強制力はない
放送対局でも理牌がちゃんとできないプロ雀士がいるという話を最近立て続けに聞いた。
最初は夏目坂スタジオのサブ(スイッチャーとか音声担当とかがモニターを見ながら仕事をする部屋)で「手牌がガタガタで汚いし、理牌(りーぱい)が適当で視聴者には見づらい選手がいますがどうしたらいいですか」と。
個人的には「プロなんだからちゃんとしてよ」と思う。
これがテレビの麻雀対局番組なら「ちゃんとして」と言うこともできる。
しかし、その理牌問題があった試合は日本プロ麻雀連盟の公式戦なので、競技規定にないことを選手に注文することができない。
「日本プロ麻雀連盟チャンネル」は連盟が運営してはいるが、公式戦を「配信させてもらっている」という立場だ。配信がない時代から公式戦は存在していた。プロ野球を放送するのと同じで、放送の都合で試合が進むわけではなく、行われている試合に合わせて視聴者が見やすいように放送する側が工夫せねばならない。
たとえば、バッターの顔を映したいのに、カメラの前に次打者の関本がいて、彼のケツがずっと映っていたとしたら、それは関本が悪いのではなくてカメラマンが悪い。そういうことである。
同じ小さな「連盟村」の中で、何を堅苦しいことを言ってんだ、と思われるかもしれないが、ある程度決めておかないとケジメがつかなくなる。また、問題が生じた時に議論が長引き無駄な時間を過ごすことになる。
連盟チャンネルとしては、連盟の選手の皆さんに「視聴者が見やすいようにご協力お願いします」というスタンスしかとれない。
理牌についても「できれば視聴者のためにちゃんとしてほしい」という要望を出すことはできるが、強制力はない。
とまあ、これが前提である。
「プロ」でありたい人は理牌してくれる
プロ雀士としてこれからも活躍し、プロ雀士として生きていこうと思っ
ている人はちゃんとするだろう。
できていなかった場合、たとえば私が個人的に「ちゃんとした方が良いですよ」と指摘すれば努力はするはずだ。
しかし、プロ連盟に所属していても「視聴者よりまず自分」と思っている人も残念ながら存在している。
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