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【無料記事】菅原千瑛の本の著作権者は誰なのか


【ノウハウ本は芸術作品ではない】

 菅原千瑛プロが本を出したのだが、クレジットが「監修」となっており、奥付に「執筆者」として私の名前が書かれているため「実際に書いてないじゃないか!」とか「黒木の本だろ!」とか「騙されて買った人がいる!」という「そしり」を受けている。
 中には、監修と執筆者の意味を理解しつつも、菅原に意地悪をするため、あえて「ゴーストライター使った」など、ネガティブな情報を拡散している人もいる。
 「基本を覚えて強くなる 麻雀の教科書」という題名で、入門書を読み終わって、ルールを把握し、実際に遊び始めた人のための本なのだが、この本の「著作権者」はいったい誰なのだろうか。
 菅原千瑛である。出版社との契約の印税すべてが菅原のものになる。
 だから「著者」は菅原でも良いのだが、実際に文字を打ちこむという「作業」をしていない人を「著者」とすることに抵抗がある人もいる。
 結果的には、コラムはほぼ自分で「執筆(=文字入力)」したのだが、実は菅原本人がそういう考え方だった。
 打ち合わせ時にそれをちゃんと話し合って「監修」という扱いになったのだが、法的には菅原が著作権者だ。
 小説や詩などの文学作品であれば、それこそ句読点から助詞の使い方ひとつまでこだわり抜いた「芸術」みたいなものもある。
 それを別の人が書いていたとなったら「芸術」として崇め奉っていた読者のテンションは下がるだろう。
 だが、麻雀入門書や戦術書などの「ノウハウ本」に芸術性は優先されない。
 文章は「分かりやすく」「伝わりやすく」「飽きないように」と工夫はこらされるが、それよりも何よりも、最優先されるのは「文字数」だ。
 レイアウトがほぼ決まっていて、その中に納めなければならない。
 どうしても収まりきらない時は、デザイナーや編集者の手間にならないよう、ライターが工夫する。
 1つのテーマを2つに分けるなどして、ちゃんと入るようにするのだ。
 逆に、短くなってしまうこともある。そういう時は、できるだけ冗漫にならないよう文章を引き延ばす。
 それでも無理というときは、囲みを用意してもらって雑学ネタを入れたりする。
 そういった、プロのライターとしてのスキルが実用書などには必要なのだ。
 これを、プロ雀士にやらせると非常に効率が悪い。文章がうまいとか下手とかの問題ではないのだ。
 誤解を恐れずに言うと、小説はド素人でも、めちゃくちゃ良い作品が出来上がる可能性があるが、ノウハウ本を素人が手がけたら、意味なく時間がかかるし、粗悪品ができる。絶対にプロがやった方が良い。
 明治の文豪とか、国語の教科書に載っているような作家より、私の方が仕事が早い。絶対に負けない。

 いや、そんなことを偉人たちと争ってもしょうがないのだが、何か混同しているというか「執筆」という行為を神格化しすぎている人がいるので、そう説明するしかないのだ。
 

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【仕事を請けた経緯】

 この本の企画は、まず出版社が編集プロダクションに声を掛け、その流れで日本プロ麻雀連盟宛に連絡があり、メディア対策部部長の私のところに話がきた。
 菅原と話して、私が菅原の手足となって働くのが良いという結論になった。だから私はライターとして菅原とともに出版社に赴き、打ち合わせをした。
 この本では、菅原オリジナルの戦術は扱わない、という話になった。
 中級以上の人なら、だいたいは身につけているであろう「基本的な戦術」を多数紹介し、解説するというものだから、ライターとしては「執筆」というよりは「作業」という感覚の仕事だ。
 戦術の「ネタ」の多くは、編集プロダクションの方から出してもらった。
 それをベースにして、できるだけ「初心者の段階でマスターしておいた方が良いこと」を、私がたくさん「ネタ出し」した。
 菅原がそれをチェックし、OKが出たので文章を書いた。
 もちろん、この段階で没になったものもある。
 その文章を菅原がチェックし、OKが出たのでデザイナーがレイアウトを決めた。
 当然、この段階で菅原や担当編集者から直しが入っている。
 私が書いた最初の文章は、レイアウトが決まっていない状態での「書きなぐり」だったので、文字数を揃える必要があった。
 その作業を行い、組んだデザインの中に文字を流し込んで、完成した「ゲラ」を菅原がチェックした。
 担当さん、編プロの人、私、校閲の方もチェックした。
 私の担当外のコラムページは、編プロの方が菅原にインタビューをして、文章を書いた。
 しかし、微妙なニュアンスがうまく伝わっていなかった。
 結局、菅原が大幅に手直しすることになった。
 最終的に本ができる直前、出版社の方は、私の顔を立てようとしてくださった。
 執筆者として私のプロフィールを入れるという話になったのだが、私はただの「作業マン」だ。私はプロフィールどころか、名前すら入れなくて良いと主張した。
 私の名前があると、今、実際にそうなっているように、SNSで菅原をイジメる輩がわいてくるのが目に見えていたからだ。
 だが、菅原がこだわった。
 自分は実際に手を動かして文章を入力していないから、あくまでも監修である、と。
 プロフィールは入れなくても良いので、執筆者として黒木の名前は入れるようにと言われ、私が折れた。
 私は作業をした報酬さえもらえれば良かったのだが、こうやって揉めた時に優先されるのは著作権者の意見である。
 「X」で菅原がイジメられたら、それはそれで、記事を書いて儲ければ良いと思って、私は菅原の意見に従った。
 私が載せた方が良いと思ったものでも、菅原が判断して没にしたものがあるし、文章の表現を変えた部分もあった。一般論と菅原の好みが違う部分は修正を入れた。
 だから、どこからどう見ても、これはまぎれもなく菅原の本であり、決定権は出版社と著作権者である菅原が持っていたのだ。
 菅原には胸を張って「これは私の本です」と言い切ってもらいたい。実際にそうなのだから。
 
(了)

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