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プロ麻雀界近代史 映像製作に力を入れ孤立した日本プロ麻雀連盟


【ブチ切れなかった森山さん】

 いま聞いても森山茂和・日本プロ麻雀連盟会長は全否定すると思うが「日本麻雀機構」の騒動があった後、積極的に映像コンテンツ製作(お金を出して著作権を得るケースではこちらの「製作」を使い、下請けなどで作業として作る場合は「制作」の字を使うことが多い)に取り組んでいったのは、偶然ではなかったのではないかと私は思う。

 多くの連盟員が離脱し、動揺する連盟員たちのために、色々な仕掛けを行ったのではないだろうか。
 当時は「意外と我慢強い人なんだな」と思っただけなのだが、記事を書くために当時を振り返ってみて、初めて「ああ、そうだったのか」と納得した件がある。
 手元に残っている「ロン2CUP(という名称の麻雀対局番組)」の見積書のデータ作成日が2006年10月27日だから、その数日後のことだったと思う。
 リーグ戦の会場で「辞めたい人は今すぐ帰ってください」と森山さんが話したら、パラパラと数名が帰って行った、あの日から1か月も経っていない、10月末のある日。
 私と森山さんは表参道の制作会社にお邪魔して、見積書の内容について説明を受けていた。
 1本あたり約120万円ぐらいで、6本の番組を作るという見積だった。
 技術スタッフのギャラ等は、現在の倍ぐらいになってはいるが、当時の映像制作の相場としては安い。麻雀対局番組の制作の相場としては、まあ普通、というぐらいの金額だった。
 だが、あまりそういう経験がなかった森山さんは「結構高いんですね」と、正直に感想を言った。
 すると目の前にいた制作会社の担当者が見積書を机の上に放り投げ「じゃあやめてもいいですよ」と言ったのだった。
 私はカチンときた。
 彼は私と同世代で30代前半だ。森山さんは50代後半で、私たちの親の世代ぐらい離れている人生の先輩だ。しかも、今回の立場としては森山さんがクライアントなのである。
 同時に、森山さんがキレるのではないかと心配になった。
 隣にいる森山さんに目線を送ったが、森山さんは笑顔で「まあまあ、私は相場が分からないんで、映像の世界では高くないのかもしれませんけど、こっちもそんなにたくさんお金が使えるわけじゃないので、少しでも安くなったらありがたいんですよ」と返していた。
 帰り道、森山さんが運転する車の助手席で、私は「よくブチ切れなかったですね」と言った。
 森山さんは「ああいう失礼な奴はその内いなくなるよ、どうせ。まあでも連盟のためだから、いちいちそんなことで怒ってたってしょうがないし」と言っていた。
 おそらくだが、これが森山さんの個人的な仕事だったら、目の前でブチ切れはしなくても、すぐにその会社とは手を切って終わっていたと思う。それぐらい失礼な態度だった。
 だが「連盟のため」だから我慢ができたのだ。
 その時はまだ会長ではなく副会長だったが、そういう肩書とかは関係なく、森山さんはずっと昔から「連盟のため」の人だったのである。
 ちなみにその人は約2年後に会社を辞めた。

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