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麻雀の歴史(文・黒木真生)

一回落ち着こう

私がYouTubeliveの際に「有料、有料」としつこく言ったものだから、金本委員長は早々にこの「note」を立ち上げ、私に「毎月500円を支払わないと開設できませんでした。もう後には引けません!」と言ってきた。

いや、500円ぐらいで後には引けませんって大げさでしょう。私には1,500円以上する本(しかも自分が書いたもの)を「サイン会をやるから」といって50冊、また50冊、またまた50冊、ええ加減にせえ! というふうに売りつけてきたくせに。

【最後は4人しか来なかったサイン会@竹書房会議室】

 ともあれ、麻雀界、特にMリーグで何かしら(だいたいはよからぬ)の話題で盛り上がった時に、たぶんこの「note」が活躍するのだろうが、定期購読という性質上、ちゃんと日常的に更新していかねばならない。

 ということはネタに詰まるわけにいかないので、ありきたりだが、当面は「麻雀界の歴史」を追っていこうと思う。

 ただ、あまり詳細に書きたくはない。もちろん、読者が読みたがるようなところはできるだけ詳しく書きたいのだが、歴史の教科書みたいなものにはしたくない。皆さんが読んで「ふーん」と思う程度の、ひまつぶしになるような文章を目指して書くつもりである。

 特に、私が麻雀の世界に入ってくる前。だいたい25年前より昔は、人から聞いた話などがメインになるので、そんなに詳しく書くことはできない。

 読者の皆さんは「そんなんええからMリーグの裏話せんかい!」と言われるかもしれないが、まあ落ち着いて。一回落ち着こう。そして麻雀の世界がMリーグに至るまでの歴史を知ることで「ああ、それでこないなっとんかいなー」と膝を打ってもらいたいのである。

 

麻雀を作ったのは誰だ?

 麻雀をちょっとでもやったことがある人なら「こんな面白いゲーム、誰が作ったのだろう?」と思ったことがあるはずだ。特に今の日本で遊ばれているルールはかなり面白く、だからこそ日本中に雀荘があって、麻雀専門の漫画雑誌が50年近くも続いているのだろう。

 ただ、ここまでのゲームにするには、様々な改良があった。

 いきなり誰かが「これが麻雀だ」と発表したのではなく、元々あったゲームが徐々に変化して今の形になったのである。

 だから厳密には「麻雀を作った人」というのはわからないのだが、最近の研究では「太平天国の乱」という戦争があった時代に、寧波(ニンポー)という街の陳魚門さんという人が「かなり現在の麻雀に近いもの」を作ったことが分っている。だいたい160年ぐらい前ということになる。

 遊戯史を研究する学者さんの論文を読めば詳しいことが書かれているが、ざっくり言うと、中国にあった色々なゲームを混ぜ合わせて「麻雀」にしたということである。

 その面白さと時代があいまって、麻雀は中国全土のみならず、世界中に広がった。

 だいたい戦争があると各地に兵士が移動したりするので、ものや文化が伝わったりする。また、中国は上海を中心に諸外国と貿易をさかんにやり始めたので、海外にも麻雀は広まった。

 「太平天国の乱」がおさまって50年ぐらい経つと、バブコックさんというアメリカ人の商社マンが麻雀に目をつけるようになる。

 当時、海外には船で行くのが普通だったのだが、遠いと数カ月かかったりもする。そうなるとヒマで「キーッ!」となるのだが、そういった人たちに麻雀がうってつけだった。

 長時間かけて遊ぶゲームで何回やっても飽きない。そういう麻雀の特性に気づいたバブコックさんは麻雀のルールブックを英訳し、麻雀牌とセットで販売し始めたのである。

 これで麻雀が世界的大ブームになり、牌の原材料である象牙が不足するほどになった。象がめちゃくちゃ密猟で殺されるという可哀想なことにもなった。

 象牙がなくなり、当時はアクリル樹脂もないからクジラや牛の骨とか、最後には木で作られたりもした。

 やっぱり、麻雀は最初から面白くて、すぐに大ブームになる「遊戯の王様」なのだ。

日本に来たのはいつ?

 しかし、意外と日本にやってきたのは遅かった。

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