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良い感じにギスギスしてきた(文・黒木真生)

「盛り上げは運営の仕事では?」


 私が前回のnoteで「もうアカン!」と言った「男子プロ最強新世代」だが、おかげさまで、少なくともTwitter上では少し話題になっているようである。

 ただ、もうちょっと私やカネポンへの「お前が言うな」とか「ブサイク!」とか「ハゲ!」という言葉の暴力があるかと思っていたのだが、意外となかった。見つけてないだけかもしらんけど。

 しかし、ここにきて、ぽつぽつと「盛り上げは運営の仕事では?」とか「業界側の責任があるのではないか?」という意見が見られるようになった。実はそういうご意見もあるだろうとは思っていた。

 もちろんその通りで、選手には責任などまったくないからである。あ、あるけどないのだ。つまり、自然発生的に生じる「責任のようなもの」はあるが、他人から押し付けられる「組織におけるスケープゴート的な名目上の責任」はない。

ややこしい。

 分かりやすく言えば、カネポンが売れない本を出したら、それがカネポンのせいじゃなくても「君にはやめてもらう」と、編集長の肩書をはく奪されるかもしれない。それはたぶん、組織全体のガス抜きとかのためにとらされる「責任」で、意味としては「犠牲」だ。

 もし、そういう「責任」をとらされなかったとしても、売れない本を連続して作って会社が儲からなくなって、結局は給料が「平社員と同じ」になってしまうかもしれない。これは責任とは少し違うが、まあ要するに「何でも自分にはねかえってくる」ということなのである。

 とにかく、選手にはまったく責任などないし、大会盛り上げに寄与する義務など一切ない。

 それだけは間違いない。 

 たとえば、茅森早香プロは、初めて最強戦に出るにあたって別に何もしなかった。ただ出てきてしれっと麻雀打って、かっこよく勝って、インタビューでムスっとしたりはにかんだりして帰っただけである。

 それでも人気が出て、ファンや主催者から求められるプロになった。

 そういう道もあるのだ。

 たとえば、現時点で中村慎吾プロは何も発言していない。

 たぶん、Twitterの存在すら忘れているだろう。テレビゲームでもやっているのではないだろうか。

 ぜんぜんそれで良いと思う。

 逆に今さら何も発言しない方が良いかもしれない。どんな奴なのか、当日まで謎のままにしておいた方がいいかも。

  確かに、前回のnoteで私は「この大会はヤバイ」と発言し、選手の皆さんにリアクションを促すようなことを言った。

 でも、別にそれに対してどうしようが自由なのである。

 八ッ!と気づいて素直に宣伝しはじめても良いし、やかましわボケー! と反論してもいいし。ガン無視しても良い。

 最強戦が終わった時に「人気者」になっていれば「来年もお願いします」と言われるし、そうでなければ「お疲れ様でした」としか言われない。

 その間にまた人気者になっていれば「すみません出てもらえますか」と言われる。

 ただそれだけのことである。

 私はただ、ちょっとでもその確率が上がるように、事前に少しでも盛り上げておきたかった。

 また、盛り上げてやろうと思ってくださる周辺の皆様の気持ちに応えたいという部分もあった。

 要はただのおせっかいと、noteがちょっとでも売れてお金が欲しいという打算で動いているだけなのである。

本当に強いの?

 じゃあ、人気さえあれば良いのかというと、結論は「はい」である。ただ、麻雀をおろそかにしていては、ほぼ間違いなく人気者になどなれない。麻雀ファンはそんなに甘くないのである。ちゃんと見ているし、ちゃんと感じている。不思議なことに、その打ち手の物の考え方、人生のバックボーン、麻雀に対する取り組み方みたいなものが、じわーっとにじみ出てしまうものなのだ。そういうのは、隠せない。もれちゃうのだ。

 めちゃくちゃ当たり前のことを言うが、雀力がなければ面白い麻雀など打てない。たまたま1回ぐらいはできても、それは続けられない。

 逆に「強ければいいでしょ」と言う人もいるのだが、その答えも「はい」である。ただ「本当に強いの? 今まで世の中に出ていないけど、知られざる強い人なんているの? まがい物じゃないの?」と思ってしまう。なんか、人気がないことに対する「言いわけ」にしていないか? と思ってしまうのだ。

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