麻雀の歴史③ 場ゾロは誰のしわざか(文・黒木真生)
【なぜいきなり数千点とかもらえるの?】
もうすぐMリーグが開幕する。
赤入りでスリリングな展開が楽しめるのがMリーグの醍醐味だが、初めて見る人からは「なんで1点とか2点じゃなく、いきなり8千点とか1万点とか入るの?」という質問をされることが多い。
麻雀をぜんぜん知らない人にそれを説明するのは難しいが、簡単に言えば「インフレを繰り返したから」である。
麻雀をよくご存じの皆さんには説明すれば「なぜこんなに大きな点数のやりとりをするゲームになった」かをご理解いただけると思うので、歴史をなぞりながらそのあたりを解説したい。
【今の麻雀はわれめルール?】
「われめDEポン!」という番組がある。フジテレビのCSの深夜番組で、かつては民放でやっていた。23時とか24時からスタートして終わるのは朝の6時とか7時である。
ルールはテレビ関係の人たちが好む「われめ」ルール。配牌の取り出し口を決める親のサイコロの目が出た場所が「われめ」となる。「われめ」の人は収入も支払いも倍になるというルールだ。
たとえば親がサイコロで「7」を出すと西家が「われめ」となる。親が4,000オールをツモれば西家だけ8,000点支払わなければならない。逆に西家が満貫をアガれば倍の16,000点がもらえる。かなりインフレで刺激的なルールだ。
番組ではドラは常時2枚めくりとなっているが、テレビマンたちは、サイコロの目でドラの枚数を決めることが多い。
よくあるのは、ゾロ目が出たらドラ2枚めくりで、1のゾロ目と1・6の合計7が出たら3枚めくりというルールだ。
なんでそうなったのかは全然知らなかったが、多くの人がそれで遊んでいるので、まあそういうものなのだろうと思っていた。
今回の原稿のメインテーマは「場ゾロ」は誰がつけたのか? というものである。
とにかく、麻雀の点数計算をややこしくしてしまった張本人が「場ゾロ」であるのは間違いない。
前回の原稿を読んでいない人のために簡単に説明するが、「場ゾロ」とは「すべてのアガリにとりあえず2ハンつけよう」というルールだ。今、私たちがやっているルールがそれで、タンヤオのみの1ハン30符でアガったと思っているかもしれないが、実は知らないところで2ハンついているのである。
もし場の2ハンがなければ、タンヤオのみの30符は、30符の倍(1ハン)で60符である。これが子1人の支払いなので、60・60・120で合計240符となる。
これに場の2ハンがつくので、2回倍にすると、960符となる。この960符の10符単位を切り上げて1,000符。これが今、私たちがもらっている「千点」なのである。
えー? なにそんなじゃまくさいことしよん? と、腹が立つ人も多いかもしれない。元々の点数計算は本当に簡単だったのだ。
それをむやみに倍にするからおかしくなる。
その倍にしたのはいったい誰なのか。
麻雀博物館に勤務していたこともある梶ヤンこと梶本琢程さんに聞いた。
「あれはねえ、親がサイコロを振った時に、ゾロ目が出たら倍にしようってルールから始まったんですよ」
え? そうなの?
「今のわれめルールと発想は似ているよね。ただ違うのは、場全体が倍になるってこと。で、ピンゾロ(1のゾロ目)と1・6の7の目の時はさらに倍というのも流行った。で、インフレが加速して、最終的に常に倍の倍にしようぜっていうのが今のルールなわけ」
それは初耳だった。誰も点数計算をややこしくしたくて「場ゾロ」をつけたわけではなかったのだ。
世のサラリーマン雀士たちが、楽しく遊んでいる中で、徐々にルールのインフレ化がエスカレートしていった。そんな流れの中の一つだったのである。
【インフレ化の最初は戦後のドラ】
中国からきたばかりのオリジナルな麻雀は、役も少なかったしドラもリーチなかった。だからチー・ポンして絵を合わせるゲームだった。
ところが、戦後にドラが流行り、途中リーチが流行った。
諸説あるが、元々リーチは第1打に掛けるものだった。私たちが言うところの「ダブルリーチ」が「普通のリーチ」だったのだ。これを「途中でも掛けようぜ」ということで、本来のリーチが「ダブルリーチ」になり、途中リーチが「リーチ」となったのである。
ドラの後は裏ドラも流行った。昔の東京オリンピック(五輪)の際に赤5ピンが発明された。
そうやってどんどん麻雀がインフレ化していく中で、場ゾロという発想が生まれたわけだ。
梶本さんの説は絶対ではない。日本中で色々なルールが流行ったのは間違いないが、どういう道順をたどってそうなったか、ぜんぜんわからない。リーチには一発というものもついたが、それらが流行った順番ですら、はっきりとはわかっていない。
ただ、今も「われめ」ルールにサイコロの出目でドラ枚数が変わるという「名残」があることからも、そこそこ信ぴょう性が高いように思う。
しかし、場の2ハンで自動的に4倍になっているところに「われめ」で倍になるということは、元から考えたら8倍になっているわけで、恐ろしいインフレである。
【フリテンは日本だけ】
今回のテーマからは少し離れるが、オリジナルルールを「日本式」に変えた、インフレ化以外の大きな変更点は、放銃一家包とフリテンである。
放銃一家包は「ほーちゃんいーちゃぱお」と読む。前回の原稿でも説明したが、要するに、振り込んだ人が1人で責任をもって払うというルールだ。
当たり前のようだが、日本式ルール以外は、ツモられてもロンされても、同じようにみんなで支払う。振った人が悪いのではなく、アガった人がエライという考え方なのだ。
また、隠してやっているゲームで、相手の待ちが分かるなんて発想の方が異常であり、振った人に罪があるとも考えないのであろう。
ところが、日本人は違った。
まず、捨て牌を整列して捨てるところからして違う。
ジャッキーチェンなどのカンフー映画を見れば分かるが、中国人はポイポイと、文字通り「捨て牌」を捨てるように放り投げる。
捨て牌は全員共通なので、誰が何を捨てたか、よほどの記憶力がなければわからない。
これは私の捨て牌、これはあなたの捨て牌と、分別して捨てるのは日本人だけなのである。
こうすると、誰が何を捨てたか一目瞭然である。
賢い人は「相手がそろそろテンパイしたな」と思ったら、捨て牌にあるのと同じものを捨てる。なぜなら、それは「不要」だから切られたわけであり、それでアタることはなさそうだからだ。
だが、時々優柔不断な人がいて、捨てた牌の近くを手の内に残し、結局はいったん捨てた牌で待つことになるケースがある。
これがいわゆる「フリテン」なのだが、フリテンでロンされた人が「なんだそれー」と納得いかないことがあったのであろう。
いつしか日本中でフリテンは反則行為となった。
放銃一家包も似たような発想なのだろう。相手の捨て牌が明確になっている以上、危険そうな牌と安全そうな牌があることは分かってくる。すると、とんでもない危険牌を捨てたやつのせいで自分たちも巻き添えを食うのはおかしいという発想になる。
あるいは「俺はこれを切りたいが、他人から文句言われるのが嫌だ。俺が全部払うから切らせてくれ」と思う人がいたかもしれない。
どうしてそうなったか、これまたぜんぜんわからないのだが、まあそんなところだろうと予想できる。
【イタリアに最古のルールがあった】
私が衝撃を受けたのは、2005年にイタリアに行った時である。
竹書房の創業者である野口恭一郎氏が、取材旅行に行かせてくださったのだが、そこで行われていた麻雀大会のルールが、ほぼ中国オリジナルルールだったのである。
フリテンなし、ロンでも全員で払う。
最もびっくりしたのは、サイド計算があったことである。
サイド計算とは、アガリが出た際に、「おれも暗刻だけはあったんよ」とか「雀頭が中だったのよ」とお互いに見せあい、その分の点数をやりとりする行為である。
唯一、中国オリジナルルールと異なっていそうだったのが「リーチ」だった。
イタリアのリーチは、なんと「リャンメン禁止」だった。否、シャンポンも禁止だ。とにかく「待ちが1種類じゃなければダメ」という珍しいルールだったことをよく覚えている。
麻雀業界で、リアルタイムでいろいろあるので、なかなか歴史シリーズが進まないが、そろそろルールの話は終わりにして、次回から、私が麻雀界に入る前のお話を駆け足で書いていきたいと思う。
駆け足でというのは、自分が体験したことのない部分の歴史なので、あまり詳しくは書けないという意味でもある。
事実として間違いなさそうな話は書く。また、現在につながっていている部分も書きたいと思う。
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