ケネス徳田伝説① 一足先のマッドハッター(文・黒木真生)
【あだ名はジーパン】
2001年、徳田が日本プロ麻雀協会に入ってきた頃は、まだケネス徳田ではなく徳田信一だった。
協会のプロテストに全員がスーツとネクタイ着用で臨む中、徳田だけはジーパン姿だった。
そして面接が終わるとカバンから少年漫画誌を取り出して足を組んで読み始めた。
その態度にイラっとした試験官たちは当然「不合格」としようとしたが、当時の代表だった土井泰昭プロが「いいじゃん、面白いから入れようぜ」と言って合格させたという。
ジーパンでプロテストを受験したことから、徳田のあだ名は「ジーパン」になった。
後に徳田は、私が所属している「麻雀企画集団バビロン」の仕事もするようになるのだが、その直前のことである。何の集まりかは忘れたが、20人以上でカラオケボックスに行ったことがあった。
場所はカラオケボックスなのだが、誰も歌わず、食事だけをしたような記憶がある。
カラオケボックスにしては大きな部屋で、そのほとんどを巨大なテーブルが占めていた。着席した人全員のすぐ後ろが壁で、かなりきゅうくつだった。
バビロンに所属していた私と長村大と梶ヤン(梶本琢程さん)が並んで座り、その長辺の向かい側に徳田がいた。
距離にしたら5メートル以上あったと思う。
すでにテーブルの上には食べ物や飲み物が並んでいた。
みんなが好き勝手にガヤガヤと喋る中、長村が「あの徳田ってやつ、かなり変わってるよね」と言った。
長村はプロ協会員だったので、徳田の噂は耳にしていたのだ。
梶ヤンも相槌を打った。
「ああ、おもろいっていうか、かなり変っていうか」
私はよく知らなかったので「へー、どう変なの?」と言って、チラッと徳田の方を見た。
徳田と目が合うや否や、彼はテーブルの上を一直線に駆けてきた。
2010年に公開された映画「アリス・イン・ワンダーランド」で、ジョニーデップが演じたマッドハッターが、同じように食卓の上をダッシュするシーンがあった。
それと似たようなことを徳田がやったのだ。
私はびっくりした。
長村も梶ヤンも「うわっ、うわっ、何してんの」と言ってビビっていた。
他の人たちも悲鳴を上げ、料理や飲み物が倒れないようにめいめいに守り始めた。
かまわず突進してきた徳田は、
「すみません! 僕、何か変なことやりましたか? 本当、なんかおかしいことあったら言ってください。僕そういうのわからなくて、いっつも怒られるんで!」
と言ってきた。
こちらがヒソヒソ話をしながらチラ見していたから、徳田は何かいけないことをしたと勘違いしたのである。
いや、今やってることが一番おかしいんだよ。
そう思ったが、驚きすぎて言えなかった。
「いや、別に大丈夫だから、元の位置に戻って。ただしテーブルの上は走っちゃダメだよ」
私が言うと、徳田は「分かりました!」と言って、今度は人が座っている後ろを走って行ったのだが、ほぼ全員の手を踏んづけていったので、みな口々に「痛っ!」「イタタッ!」と言っていた。
すごい奴が麻雀界に入ってきたなと思った。
【社員たちの猛反対を制しバビロンへ】
ある時、バビロン総帥の馬場裕一プロが徳田をバビロンに入れようと言ってきた。
私も梶ヤンも長村も大反対した。特に長村は「それなら辞めます」とまで言った。
「あんなとんでもない奴入れたら、どんなトラブルが起きるかわかりません」
そう言って反対していた。
聞けば、徳田はIT系の企業にいて、結構な給料をもらっていたという。
当時のバビロンの給料は20万円にも満たなかったから、たぶん半額とか3分の1ぐらいになったのではないだろうか。
そういった意味でも、徳田をバビロンに入れるべきではないと、私も主張した。
馬場さんは「まあいいじゃん、面白いから」と、土井さんと同じようなことを言うのである。
そんな理由でいいの?
私はびっくりしたが、まあ考えてみれば、自分だって面白いからこの業界に入ったわけで、確実性とか将来性とか考えたら麻雀界なんかに入ってくるわけがないのである。
結局、まあいっか、ということで徳田はバビロンの社員になった。
後から聞いたのだが、徳田の会社はソフトバンクに買収された直後だったという。そして孫正義が選んだ100人の精鋭というリストに彼の名前があったらしい。
そんなすごいものに選ばれたのに彼はそこを辞めてバビロンにきてしまった。孫正義よりも馬場裕一を選んだのだ。
バビロンの取り決めで給料は全員同じというのがあったので、入ったばかりの徳田と同じ給料かよと、最初は納得がいかなかった。
が、それはすぐに覆された。
ある写真を撮影するために、どうしても跳び箱の踏切台が必要になった。
ネットで調べると、レンタル費用だけで2万円とか3万円かかる。
もったいないなあ。
そんなことをブツクサ言っていたら、徳田が突然事務所を出て行った。
あいつ、どこへ行ったんだよ。
残った社員たちは不安になりながらも、めいめいの仕事をしていた。
40分ほどすると、徳田が息を切らせながら帰ってきた。そして「踏切台、貸してもらえることになりました」と言う。
ええ? どこで?
「裏の中学校です」
徳田はいきなり近所の中学校に入っていき、教頭先生をつかまえてお願いしたという。
そんなこと、我々にはできない。普通は無理だとか迷惑だとか考えて、結局は2万円とか3万円を支払ってレンタルするところだろう。
だが、徳田にはそういう先入観がない。彼は明らかに我々にはない能力を持っていたのだ。
【パワーウィンドウに髪を挟む】
どこへでも遠慮なく突っ込んでいく姿勢は様々な局面で役に立った。
「麻雀放浪記」の時代と現代の風景の比較を写真で見せるという企画があった。
日本橋の上に高速道路が架かる前の写真に対し、架かった後の写真も撮影しなければならなかった。
カメラマン氏は諦めかけていた。
「これを撮るには、あのビルのそこそこ上の階からじゃないと無理ですね」
徳田はそれを聞くと、その大企業のビルに入っていき、受付の女性に「こういう写真を撮りたいんです」と、ドラマで刑事が聞き込みをするようにカッコつけて聞いたのだという。
その会社は有名な、タイルや洗面台、便器などを作っている会社だった。
受付嬢は「少々お待ちください」と言ってどこかへ消えた。
その間、徳田は壁に飾ってあるサンプルのタイルを、コンコン、コンコン、と叩きながら首をかしげて、またコンコンと叩き、音をチェックしていたという。
その様子を、残ったもう一人の受付嬢は不安そうに眺めていた。
カメラマン氏はそれを察して「タイルに興味があるんですか?」と聞いたら、徳田は「いえ、まったく」ときょとんとして答えた。
カメラマン氏は徳田と初対面だったので、とてもリアクションに困ったという。
「じゃあ、タイル叩くなよって思うじゃないですか。でも、この人、笑っていい人なのかダメな人なのか分からないから我慢したんですよ。すごく大変だったんですから、最初に教えておいてくださいよ」
と、後からカメラマン氏に苦情を言われた。
撮影現場への移動は徳田の自家用車だったのだが、運転中ずっとぶつぶつ言っていたらしい。
そして高速道路で料金を支払う際に、3回中2回、窓に髪の毛を挟んで「イテテテテ!」と言っていたそうである。
私はもう何回も見てきたから驚きもしないが、彼は料金を支払った後、窓を閉めるボタンを押すのが早すぎるのだ。それで頭を引っ込めるのが間に合わず、髪の毛を挟んでしまうのである。
ひどい時は、腕を挟みそうになったこともあった。
「何回も同じことやるから、笑うのを我慢するの、大変だったんですから」
カメラマン氏は苦情を言った。
以来私は、徳田を誰かに紹介する際は、変人であることを告げるようにしてきたのだが、そうすると徳田は「変なイメージを植え付けようとしている」と言って怒るのだ。結構怒って、かなり機嫌が悪くなるのだが、そうしないと相手が困るので仕方がない。
受付嬢が戻ってきて「ちょうど会議室が空いておりましたので、撮影可能でございます」と言ってくれた。
カメラマン氏は驚いたが、狙い通りの写真を撮ることができた。
徳田は変人ではあるが、人ができないことをやる能力があったのである。
(了)
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