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自分がいなくなった後、どんな麻雀界になってほしいか そう考えて一歩踏み出した麻雀プロ・忍田幸夫さん
Mリーグ解説が大人気
穏やかでありながらのびやかな声が、よどみなく麻雀の様子を語り続けるのが耳に心地よい。実況の声を妨げることなく、しかし決して無視せず、時にはユーモアを交えながら刻々と変化する卓上を解説していく。
忍田幸夫さんの解説は、Mリーグの実況・解説陣が多数いる中でも独特な魅力があり、評判が良い。その秘密はなんだろう?
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「麻雀教室を20年以上やっているので、麻雀の話をするときにあまり難しい言葉を使わないです。教室で初心者の生徒さんにお話するのと同じ感覚ですね。それがいいんじゃないでしょうか」
インタビューに答えてくれる声もとても穏やかだが、言葉は明快だ。
「高校のとき放送部だったんです。学校の屋上でずっと発声練習をしていたので、そのおかげかもしれませんね。うるさいって近所からクレームがきたこともありましたが(笑)」
と、終始ニコニコしている。
今回は、麻将連合(ミュー)の代表である忍田さんの、人となりを聞いてみたいと思う。
子供のときは神童
忍田さんは1964年 3月12日に東京都葛飾区で生まれた。学年で言えば、セガサミーフェニックスの近藤誠一さんと同じである。
小さい頃から頭がよくて、勉強がよくできた。
「小学生の時は神童と言われてましたね(笑)。小学校、中学校は地元の公立に行きました。高校は早稲田実業に合格していたんですけど、その後で受けた都立両国高校にも合格したのでそっちに入りました。入った時は学年で10位以内でした」
部活動は前述したように放送部だったが、それ以上に熱心に取り組んだのが友人たちとの麻雀だった。
「集まるとすぐに手積みの麻雀をしていましたね。進学校だったので、『東京大学理科Ⅰ類』を目指している人もいて、理Ⅰに一発(現役)で合格するという意味を込めて『リーチ一発!』『リーチ一発!』という言葉が飛び交っていました。麻雀をしながらでも東大の理Ⅰくらいは入ってやろうという気でいたんですけど、なかなか難しかったです。将来の夢は、子供の頃から先生になりたいなと思ってました」
忍田さんは、解説中によくダジャレや冗談を言うが、その萌芽は高校時代の麻雀にあったようだ。
「私はガチガチの理系で、覚えることよりも考えることが好きだったので、とにかく共通一次試験(大学受験のための共通テスト)の社会がダメだったんです。学校の定期テストくらいの範囲なら一夜漬けで丸暗記してなんとかなりましたけど、大学入試の範囲は覚えきれませんでした」
早稲田大学を受験したが、現役のときは不合格。
「受かった大学もあったんですが浪人することにしました」
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「金子正輝プロを倒したい」
浪人中も友達としょっちゅう麻雀を打っていたが、それ以外に「学生麻雀選手権」という大会に参加。
「東京予選が2回あって、1回目の予選で結構いいところまで行ったんです。上位入賞すると別日に開催される全国決勝に行けるんですけど、惜しかった人たちはゲストの麻雀プロと打てるというシステムでした。私はその惜しかった人だったので、ゲストのプロと打つことになり、それが金子正輝さんだったんです。微差で金子さんに負けて、『この人ともう一度打って倒したい』と思ったのが、私の競技麻雀人生のスタートです」
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