【無料記事】麻雀の沼 新田博志さん
麻雀を打っているだけで時給が発生する。雀荘メンバーは遊んで暮らしながらお金がもらえる、夢のような職場に見えるかもしれない。本当にそうなのだろうか。
不規則な生活で疲れが抜けない
「おはようございます」とフリー雀荘に入ってきた男性に、いきなり怒号が飛ぶ。
「何時だと思ってるんだ! ばかやろう!」
「すみません」
たまたま来ていたオーナーに怒鳴られ、顔を伏せて控室に駆け込む新田さんを、フリー客、セット客の数人が目で追う。目配せして首をすくめている客もいるが、本人は気づいていない。
筆者はこの日、フリー客として店にいた。新田さんの仕事を1日見せてもらってから、インタビュー取材をするためだ。
32歳独身(バツイチ)。中肉中背、色は浅黒く、ほりの深い顔立ち。
つんと上を向いている尖った鼻と、笑うとのぞく真っ白な歯が印象的だ。
そして、さらさらした黒髪をかき上げる手の指がとても長い。見た目は非常に魅力的な若者だ。
「若いときは睡眠時間5時間で十分だったのに、30過ぎてからはダメですね。酒を飲まないと寝付けないし、朝本当に起きられなくなりました」
インタビューはいきなり遅刻の言い訳から始まった。昨夜は何時間寝たのか、目の下にクマができている。
新田さんの出勤時刻は、早番の時は朝10時。12時間働いて、時給は条例で決まっている最低賃金だ。
前日は夜10時前にフリー卓が新しく始まり、その後セット客が来たため、セット卓の設定、フリー卓の代走、ドリンクの提供などに追われて定時に仕事を上がることができなかった。日付変更線は越えなかったものの、
それから帰宅して食事をして入浴して……となると睡眠時間は当然短くなる。ついうっかり遅刻した日に、たまたまオーナーが来ていて、朝から怒鳴られてしまったというわけだ。
筆者が「やっとお仕事終わったのに、取材に応じてもらってすみません」と言うと、「いえ、愚痴がほとんどになっちゃうかもしれませんけど、何でも聞いてくださいね」と、微笑んでタバコに火をつけた。
「エコーって、珍しいですね」と聞くと「安いんです。コレ」と苦笑いする。
「タバコも酒もやめられないから常にお金はないですねぇ。麻雀をやり始めてから、ほんとにお金はずっとないですよ」
というところから、話は過去に戻っていく。
麻雀にハマった学生時代、そして中退
新田さんが麻雀を覚えたのは高校時代。地元の公立高校で、クラスメイトに誘われてルールを覚えた。
「フリー雀荘に憧れながら『近代麻雀』を必死に読んでいましたね。
大学生になったら雀荘で打つぞ! という気持ちでいっぱいでした」。
高校を出て地元の私立大学に入学、ほぼ同時にフリー雀荘に通うようになる。
「毎日楽しかったですねー。初めはぎこちなかったけど、店にある麻雀漫画を片っ端から読んで、どんどんいろんなことを覚えて、メンバーさんや常連さんにかわいがられて。駅前のファーストフード店でアルバイトも始めたんですけど、だんだん、学校もバイトも休んで雀荘にいる時間が長くなってきました」
そうなると、その雀荘から「どうせ打つならうちでアルバイトしない?」と声がかかるのは当然だ。
「え、俺でいいの? うれしいな、と思ってすぐにバイトに入りましたけど、あれが地獄の1丁目だったかな」
と振り返る。フリー雀荘は、慢性的に人手不足だ。勤務時間はどんどん長くなり、やがて大学を自然消滅的にやめてしまう。
当時は実家で、両親と妹と住んでいたため、それほど経済的に困っていたわけではない。しかし、テンゴフリーの勝ち負けが月々の収入に直結する生活では、貯金に回す金は手元に残らなかった。
結婚、帰宅拒否、そして離婚
人生の転機を迎えたのは24歳の時。高校時代から付き合っていた恋人との結婚話が持ち上がったのだ。
「彼女にしてみれば、もうすぐ25歳だから、どうせ結婚するなら早くしたい。結婚しないなら別れてほしい、という、ごく当たり前の気持ちだったと思います。俺も、ずっと彼女のことは大事にして来たし、『じゃあ結婚しようか』と、軽いノリで応じました。両親はすごく喜びましたね」
しかし結婚を前に、新田さんは婚約者の両親に呼び出される。
「結婚するなら麻雀店のアルバイトではなくて定職に就くように、と言われました」
間もなく中堅のスーパーマーケットに見習社員として就職、妻の実家の近くにアパートを借りて新居を構えた。「あのまませめて1年くらいあの生活が続いていたら、俺の人生はこうはならなかったんじゃないかなって思いますね」
結婚して約3か月後、見習いから正社員に昇格すると同時に、他県の店舗に配置換えになったのだ。通勤時間は片道約2時間。「夫婦で引っ越すことも考えましたが、まったく知らない土地に行くよりは実家の近くのほうがいいと思って通勤することにしました」
しかし、スーパーの仕事はきつい。まだ新人とはいえ社員なので、地元採用のパート主婦やアルバイト学生、フリーターたちをまとめながら、売り場やお客にも気を配らなくてはならない。往復4時間をかける通勤に、新田さんは、だんだん疲れを感じるようになる。
「そんなとき、スーパーの2つ先の駅に、フリー雀荘があるのを知ったんですよ。道でティッシュをもらったんだと思います。それを見たとき、
『あ、俺は麻雀から遠ざかってるからこんなに疲れてるんじゃないかなあ』と思って、その日の仕事終わりにすぐ行きました」
久しぶりに訪れたフリー雀荘は楽しく、「心が洗われるような気がした」と言う。
「通い始めたころは、『これでまた頑張れる。ここで打つために仕事を効率よく終わらせよう』と、仕事に対する意欲もわいてくるような気がしたんですよね」
ところが、仕事終わりに半荘を2~3回打つ程度では、次第に物足りなくなり、だんだん家に帰らない日が多くなる。泊まるところはネットカフェや、勤務先の休憩室などいくらでもあった。
「勝ってるときは『勝ってるんだからもうちょっと打ちたい』と思うし、負けてるときは『負けたまま帰れるかよ』と思うんです。そして『どうせ12時間後にはまたこの辺にいるんだから、このままいてもいいだろう』という気になってしまったんです」
なかなか帰宅しない夫に、妻は「子供が欲しい。毎晩帰ってきてほしい」と泣きつく。その結果「子供ができそうな日を教えてくれたら、その日ちゃんと帰るから」と告げ、それ以外の日はよけいに帰らない、という悪循環に陥ってしまった。
そんな生活が1年半ほど続いたころのことだ。新田さんが休日に家で寝ていると、いきなり妻の兄がアパートに入ってきて、妻の荷物を一切合財、軽トラックに積んで運び出してしまった。
「何が起こったのかわからなくて、義兄につかみかかって、1発殴ったような気がしますね。蹴り飛ばされて、起き上がれないうちに全部終わってしまいました。俺は、なんでこんな目にあうんだろうって、しばらく呆然としてました」
雀荘に再就職、そしてその日暮らし
離婚後まもなく新田さんはスーパーをやめて新しい生活を始める決意をする。
不幸中の幸いは、離婚の慰謝料を請求されなかったことだ。とはいえ、別居生活を送っていた間、ずっと寂しかった妻は、自分は仕事をせずにかなりの額のお金を使っていたので、夫婦としての貯金もほとんどなかった。
「俺は、麻雀をしてネットカフェやスーパーの休憩室に泊まって、着替えをして……という生活に必要なお金はキープしてましたけど、残りは妻に渡してたんですよ。それを服や化粧品に全部使ってたとは、ちょっと驚きましたね」
離婚の直後、妹に縁談が持ち上がり、「近所で兄がブラブラしているとみっともない」ということで、少し離れた土地でひとり暮らしをすることになった。知らない土地に住んで、何か仕事を探さなくては、という状況になったときに、選んだのはやはり「フリー雀荘」だった。
初めに勤めた雀荘はアットホームな雰囲気が売りのテンゴフリー。卓は6卓で、一見楽なように見えたが、それがそうではなかった。
「店番は3人必要なのに、社員とバイト合わせて8人しかいない店なので、人数が足りないんです。急な風邪とか、親戚の不孝とかあると、そこを埋めるのにひどいことになるんです。
12連勤の翌日1日だけ休んで10連勤とか、昼夜ぶっ続けとか、昼夜ランダム5連勤とか、もうめっちゃくちゃ。しかも俺、なぜか、オーナーにあまり好かれてなくて、ずっと下っ端アルバイトのまま時給も上がらず、待遇がよくなかったので、面白くなくてやめました」
現在働いている雀荘は10卓以上あり、社員とアルバイトを合わせると20人以上が働いていて、たまにオーナーも来る。
「やっぱり、人数が多いと楽ですね。人間関係も楽です。ただここでも、オーナーにあまり好かれてないんですけど……。一応、正社員にはもうすぐなれそうですよ」
と微笑む。その時も常にタバコを手にしている。もう何本目だろうか。
「酒とタバコはやめられないですね。でも一番やめられないのは麻雀です。金にならないのにね……。最低賃金で1日12時間労働。休日は月に6日。いくらになります?」電卓をたたいてみると、額面では、収入は26万円を超える。
「でもうちの店はワンゲーム400円。俺は平均1日10回打つので、ゲーム代の支出が月10万円くらいかかります。
麻雀の収支が完全にプラスマイナスゼロでも、月16万円。給料は現金でもらうんですけど、その額を下回ることもありますね。冷静に考えると、嫌になるなあ」と苦笑する。
「出費は家賃が5万円、光熱費とかケータイで1万円くらい。タバコがエコー2箱で1日600円弱で月18000円、あとは酒ですね。1日に飯と酒で3000円かかるとしたら月9万円? もう足が出てますね。これじゃあ服とか買えないですよ。散髪とか、もうかなり悩んでから行きます。改めて数字にしてみるとひどいな。でも俺、やめられないんですよ、麻雀」。
しかし、今後どうするつもりなのだろうか?
「今後なんかわからないですよ。だって、今一番心配なのは『明日の朝起きられるかな』ってことですもん。次遅刻したらクビって言われちゃいました」
「でも、冗談じゃなくて真面目に正社員を目指しますよ。勤務時間が長くなるかもしれないけど、ゲーム代はバックになるし、保険もあるから、やっぱり働くなら正社員がいいかな。そして、いつか自分が店のオーナーになって、この業界を変えていけたらな~なんてね。夢かな? 妄想かな?でも、立ち番しながらそんなこと考えてると楽しいですよ。
それに、俺、最近平均着順が上がってきてるんですよね。もっと麻雀強くなったら、もっと楽になるかなぁ。そしたら再婚のチャンスとかもあるかな。まず、彼女見つけるとこからですけど。とにかくがんばりますから見ててください、また遊びに来てくださいね!」
終電間際の駅で別れると、新田さんは大股でさっそうと去って行った。「好きでやめられないから」と麻雀を選んだ彼の前に、一筋の光が差しているように思えた。
転職したもののうつ病に
「あの雀荘で社員になるつもりだって言いましたけど、結局はならなかったんです」
と語り始めた新田さんは、テーブルの向こうで、きちんと三つ揃いのスーツを着ている。
じつは、雀荘の仕事をやめたことは知っていた。筆者自身が、その雀荘に時々行っているからだ。たまに隣の卓で打っている姿を見かけながら、店員はやめたらしいな、と思っていた。
「雀荘で知り合った人が紹介してくれて、一部上場企業のD社の正社員に採用されました」
新田さんはルックスがよくて、もともと頭がよいので、「雀荘のメンバーにしておくには惜しい」と思った人がいたのだろう。
「でも、営業職だったんですけど、そこで全然仕事がうまくいかなかったんです。そうなると、前に話したスーパーのときと同じで、夜な夜な雀荘に通い詰めて、寝不足になってそのまま営業に出て、成績が上がらなくて落ち込んで、ストレス抱えて麻雀を打って、酒を飲んでタバコを吸って寝不足
で……その繰り返しですよ。ついにうつ病になりました」
完全に悪循環だ。
「当時同棲してたんですけど、仕事をやめて半年ほどただただ飲み歩いて、麻雀をしてました。その間もずっとタバコは吸ってました。
でもこれではいけないと思って、もう一度就職しようと思いました。今度は知人のコネや紹介じゃなくて、ちゃんと自分の身の丈に合ったところに入れるようにと思って、就職のためのサイトを使いました」
こういうところが、新田さんのしっかりしたところだ。
「40社くらい落ちたかなあ。そのうち、面接にこぎつけられるところが出てきて、だんだん次の段階に進めるようになりました」
就職活動をしながら、少しずつコツを身につけてきたようだ。そして、やっと1つ、採用してくれるところがあった。飲食店や中古品小売業、不動産投資などを手広く営む会社で、初めから幹部候補の社員として扱われた。
「雀荘の店員はやってましたけど飲食店の接客は初めてでした。そこで修行しながら『店長』という立場についても勉強しました。俺のやり方が厳しいと言う従業員と衝突したり、パワハラで訴えられたり、いろんなことがありましたけど、店舗がたくさんある店だったのでうまく異動させながら使ってもらえました」
社内結婚してマイホーム購入「麻雀は大事な趣味です」
この会社に入ったことが、新田さんの人生を大きく変えた。生涯のパートナーと出会えたのだ。
「年下なんですけど、俺にいろいろなことを教えてくれました。仕事の後で飲みに行くようになって、仲良くなりました。そのときも彼女がいたのでちょっとどころか大変な修羅場になりましたけど、すごく悩んで、やっぱり目の前のこの人を泣かせたくないと思って、前の彼女とは別れて職場結婚することにしました。
今、5年目かな。で、家を建てたんですよ」
それはすごい。
「本当に、すごい出会いだったと思います。人生の見え方が全然違って、すべてが変わったんですよ。『ここで出世して、ちゃんと給料をもらって、この人を幸せにしたい』という気持ちが強くなりました。
『そろそろ家が欲しい』と思った時には10数社ローンのために回って、
なんとか現金は100万円かき集めて頭金にして、ローンを組みました。今の会社に定年まで勤めるつもりです。
あんなに『俺には麻雀しかない』って思ってたのに、本当に守るべきものができた時、そこに麻雀が入り込む余地はどこにもなかったです。自分でも驚いています」
とはいうものの、時々隣の卓で打っているのを見る。
「麻雀は完全に、趣味になりました。大事な趣味です」
確かに新田さんは麻雀が強いので、打ち続けてもお金が減らない。それは、趣味としては素晴らしい。
「仕事終わりにちょっと2~3回打って、その日の酒代が出ればいいかなーって感じですね。8時か遅くても9時には帰りたいですし。酒はずっと飲みます。3~4杯かな。太らないように、健康にも気を付けて、ビールやウイスキーよりも焼酎を飲むようになりました。タバコはやめられないですけど」
と言いながらくゆらせているのはメビウス。「安いから」と吸っていたエコーは、販売終了になった。時代は流れた。
「2人で稼いで、70%くらいで生活して、残りは株式やビットコインに投資して老後の資金にしようと思います。すごいでしょ?」
ほんとうにすごい。
「雀荘に行くと、おもしろいですよね。みんなで集まって、牌を切ったり入れたりして、相も変わらず『出るかねしかし』とか言ってるし。自分もここにずっとどっぷりハマっていたんだなあ、と思いますよ。抜け出せてよかったなあ」
結婚して生活が一変し、麻雀の沼から飛び出して、今は時々様子を見に来ている新田さん。外から見る麻雀の沼の様子は、どこか懐かしく、楽しいという。
「他にもっと面白い趣味に出会ったら、そっちに行きますよ」
と言いながら、完全に縁を切れないのが、麻雀の沼の恐ろしさかもしれない。
この取材の翌日、当の雀荘に行くとまた、新田さんが隣の卓でアガっていた。そしてさっさと席を洗って帰って行った。
これからも新田さんの幸せぶりを確かめるために、自分もこの雀荘を時々訪れるのだろう。二度と、彼の目の下のクマは見たくない。
このほか全17人の人生は『ルポ麻雀で狂った人たち』で読めます
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