「人をワクワクさせるのはレートではなくルールである」新しい三人麻雀の提案者・卓上のハッケヨイさん
人をエキサイティングさせる麻雀
「ギャアアアアアッ!」
ある雀荘で友人と普通にサンマを打っていたら、別の卓からとんでもない悲鳴が聞こえてきた。
「何!?」
思わず腰を浮かせたが、ワキの2人は平気な顔。この店のフリー常連でもある友人は「通常営業です」と言い、店員さんは「今日も平和ですね」と。
その後も、その卓からはワアワア騒ぐ声が聞こえてきて、どうやら卓外からもあれこれ言っているようだが、やっていることは役の確認と点棒のやり取りらしいということがわかって、安心した。
この店は神奈川県横浜市・鶴見駅前にある「Quasar」。件の卓で繰り広げられていた「トビウオ」というルールを考案したのが、本日お話を伺う卓上のハッケヨイさんだ。
名古屋生まれ名古屋育ち
ハッケヨイさんは、頭の回転が速い。
お話が始まったとたんに、それを感じた。とにかく、しゃべるのが速い。
言葉がどんどん、よどみなく出てきて、言い直しが少ない。筋道が通っていて固有名詞も多く、頭の中がいかによく整理されているのかがわかる。
この流暢なお話を妨げないようにインタビューするのはなかなか大変かもしれない。でも、短時間ですごい情報量がもらえることは期待した。
まずは、経歴を。
「1989年名古屋生まれの35歳。今も名古屋に住んでいます」
中学・高校も名古屋? と聞くと
「川村さんの後輩です」
とのこと。川村晃裕さんは竹書房や鉄人社から戦術本も出している麻雀のユーチューバー。天鳳の川村軍団の主宰として知られたこともあり、今は「雀魂」の魂天にもなっている。名古屋生まれで、名古屋の名門「東海中学・東海高校」の出身だ。
ハッケヨイさんが麻雀を覚えたのは?
「小学生の時ですね。そのころ『哲也』が流行って、印南のモノマネとかをしてました。東海中学に入ってからは学校の中で、部室で麻雀をしてました」
かつて、兵庫県の灘高校出身のプロの誰かが「部室で麻雀ばかりしていた」と言っているのを聞いた気がするが、男子しかいない進学校の校舎は、それほど麻雀に適しているのだろうか?
「自分は放送部だったんですけど、放送室の設備は整ってるんですよ。二重扉で完全防音、しかも部活というよりは委員会活動に近い位置づけだったので、生徒がカギの管理を任されてました。
自分は、朝の出席を取る時には教室にいて、その後体育とか点呼を取る授業以外はだいたい出ないで放送室で昼寝してました。昼頃とか放課後になって他の部員が集まって来たら、そこから学校の門が閉まる時間ギリギリまで麻雀」
進学校なのに、サボっていて大丈夫なのだろうか?
「ある程度OKでしたね。東海高校の中で、はみ出ている生徒が1~2割いたと思うんですけど、自分はそのはみ出ている側の人間でした」
進学校の良いところは、授業にたまにしか出なくてもある程度学力がキープできるところなのかもしれない。時々周囲の同級生と話をしたり、授業に顔を出したりして、自分が落ちこぼれていないことさえ確認できていればなんとかなる、という過ごし方もできるのだろう。
そんなハッケヨイ少年が、同級生との麻雀だけで満足するはずはない。もう時効だと思うので、フリーデビューについて聞いてみた。
「中3の冬ですね。友人3人と名古屋のSという店に行きました」
名古屋では知られたフリー雀荘だ。近代麻雀に広告を出してくれていたこともある。雀荘Sは大学生が多いフリーの印象だが、成績は?
「負けてました。学校で仲間とやる麻雀は勝ちましたけど、フリーでは勝てなかったですね。でも完全に大学生だと思われてたみたいで、ある日、体育の授業中に店から電話がかかって来て『メンツ足りないんだけど来れない?』と言われたことがあります。『わかりました』と向かいましたけど、呼べば打ちに来るクズ大学生と思われてるんだな、と思いました(笑)」
大学は、東京大学を受験したが不合格。
「予備校は代々木ゼミナールに入りました。センターのスコアが高いと授業料が全額無料になったのでそれを使って。何かあった時に『無職』じゃなくて『予備校生』という肩書も欲しかったし(笑)」
ところが実際に通っていたのは予備校ではなく雀荘で、メンバーになってしまった。そこでタバコを覚えた。
「その雀荘のメンバーの休憩時間っていうのが『タバコ休憩』しか認められてなかったので、これは吸わないと休憩できないぞということになり、吸うようになりました」
ちなみにその喫煙習慣は今も抜けず、このインタビュー中にもタバコ休憩はあった。
「予備校に行かないでずっと雀荘に行ってましたけど、さすがに最後の3か月くらいは勉強しましたね。名古屋大学はずっとA判定が出てたので、じゃあ名大でいいやと思って工学部に入りました」
お父さんがフリーのエンジニアで、ハッケヨイさんは高校生の頃から家業を手伝っていたので、パソコンはお手の物。大学生になってからはますます家業のほうが忙しくなり、22歳の在学中についにお父さんの仕事を継ぐことになった。
「その後自分の会社を立ち上げたこともあって、学校に行く暇が本当になくなりました。結局、一浪して入った大学を2年留年、2年休学して、4年生で中退したことになっています」
忙しい生活の中フリー雀荘に戻る
大学に入った後、劇団の活動をしていたこともあって、しばらく麻雀から遠ざかっていたが、退学して仕事に専念するようになると、麻雀のことを思い出した。
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