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桜蕾戦で人々を魅了した所作。瀬戸麻衣プロ(19歳)の生い立ちと目標


桜蕾戦準優勝
その悔しさから立ち直り

 瀬戸麻衣さんは、大きな目でまっすぐ前を見ながらきっぱりと言った。
「桜蕾戦、2位でよかったです。もし優勝していたら、一生、この悔しさを経験できなかったし、この原動力は手に入らなかったかもしれません」

 桜蕾戦の決勝で見事な麻雀を見せつけ、視聴者はもちろん、実況・解説席の麻雀プロ達からも絶賛された19歳の新人麻雀プロ・瀬戸麻衣さん。
 その決勝で敗れて惜しくも準優勝となったのが11月1日。そしてこの取材はその翌週に行った。たった数日しかたっていないのでまだ悔しさと落胆を引きずっているのではないかと思ったのだが、とんでもない。
このすがすがしさ、潔さはどうだろう。
 土曜日の負けを火曜日にはもう「2着でよかった」と言い切る強さ。このスパンで生きているなら、実年齢の19歳よりも中身はずっと大人に違いない。
 実際、いろいろなお話を聞いていく中で「この人はもう立派な大人だな」と感じるところがあった。

 瀬戸さんは、桜蕾戦の終わった直後のことを振り返る。

「負けた日はすごく悔しくて、スマホを放り投げて泣いてました。『悔しい』以外の言葉がないくらい、ただ泣いてました」

 ただ、そこからの立ち直りが早かった。それはスマホを通じてSNSのみんなとつながっている現代の麻雀プロならではだろう。
ひと昔、ふた昔前の麻雀プロなら、そこはもっとじっくり落ち込むところだ。そしてゆるゆると活動を開始し、行った先々でいろいろな人に慰められ、励まされ、またやる気と元気を取り戻していったものだ。
ところが今はスマホやネットが普及したおかげで、対局の様子はリアルタイムでみんなに見られ、その反応もすぐに届く。ひとしきり泣いた瀬戸さんが一旦は放り出したスマホを再び手にし、「みんなにお返事しよう」と思った時、すでに次の一歩が始まっていたのだ。
「とにかく自分は連盟の公式ルールの練習が足りていないと思いました。だからツイッターでも『セットしたいです』と呼びかけました」

 桜蕾戦が終わってまだ日付も変わらないうちに、このツイート。これに対する反応がすごかった。

「あっという間にセットがどんどん決まりました。今の時点で、11月中に8回セットが入ってます。そのうちの5回はプロ連盟の公式ルールで、3回は別のルールです。相手の方はほとんどがプロの方です。こちらからお願いのラインやメールを送った人もいますけど、伊達朱里紗プロにはご本人からご連絡をいただきました。
連盟ルールも、他のすべてのルールでも麻雀強くなりたいので、とにかくすべて教えてください、という気持ちで頑張ります」

悔しさを原動力にして頑張る、という手垢のついた言い回しも、瀬戸さんの口から出るとキラキラと輝いているようだ。
なぜ、瀬戸さんはこんなに人の心をひきつけるのだろうか?
今まで19年、どんな風に生きてきたのだろうか? いろいろお話を伺ってみよう。

新潟生まれ。最強戦をきっかけにABEMAで麻雀漬けに

 瀬戸さんは2005年3月23日、新潟県の三条市で生まれた。
「すごく田舎で、周りは田んぼばかりです。冬は雪が降って何もできないので、小学生の時から家の中で家族で麻雀をしていました。両親と兄と私です」
 ネット麻雀を始めたのは、プレイステーション4の「ファイナルファンタジーXIV」のドマ式麻雀。
「麻雀が本当におもしろいと思ったのはその時です。テレビでドマ式麻雀をやっていたら、父が後ろで見ていて、アドバイスをくれました」
 瀬戸さんはそのころ、東大出身者を中心とした頭脳集団「クイズノック」の大ファンだった。
「高1のとき、クイズノックの須貝駿貴さんが最強戦の予選に出ると知って、初めてABEMAに登録しました。須貝さんはその時は負けてしまったんですけど、それがちょうど秋で、Mリーグのシーズンが始まるころだったのでABEMAを家族で見るようになりました」
 その時以来、実家のリビングルームの大画面テレビでは、ずっとMリーグが流れている状態になった。
「地元の公立高校にバスと自転車で通学していたんですけど、毎日19時に始まるMリーグに間に合うように、一生懸命帰ってきました。15時50分に学校が終わったら、急いで帰り支度をして学校の最寄りのバス停まで自転車を飛ばして、16時10分のバスに乗って帰ると17時前に家に着くんです。帰宅後は私が家族の分も夕飯を作って、共働きの両親が帰ってきたら一緒に食べ始めて、19時にはみんなで落ち着いてMリーグを見るという生活でした」
 Mリーグを見るために走って帰る高校生とは驚きだ。
「みんなでちゃんとMリーグを見るために私がご飯を作るから、と言って頑張りました。レパートリーは少ないんですけど(笑)。麻雀を見る事について両親は『娘の好きなものは好き』と言ってくれてうれしかったです。
 1戦目が終わったら2戦目が始まるまでの間にシャワーを浴びます。当時はもっと髪が長かったので、ドライヤーで乾かすのが間に合わなかったりしましたけど、とにかく毎日一生懸命見ていました。
 Mリーグを見た後は学校の課題をやったりして、高校時代はずっとそんな生活でした」

高校時代の瀬戸さん(卒業アルバムより)

大学生になってコンカフェでアルバイト
源氏名は「熊」ではなく「瀬戸猫」

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