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慶応大卒、1年で会社を辞めて麻雀プロ専業に きめ細かい接客が人気の若手女流プロ。梶梨沙子プロ


ゲストのとき、打ちながら無理なトークはしない

ゲストプロの中でも、梶梨沙子プロの人気が高いと聞いたのは、いつどこでだっただろう?
ここ数年、積極的に雀荘のゲストの仕事を受けて頑張っているのが、今回お話を聞いた梶プロだ。フリー雀荘の壁には、「梶梨沙子(かじりさこ)プロ来店」の予告のポスターが張られているのをよく見る。ツイッターでもゲスト情報がいろいろ流れてくる。

なぜそんなに人気があるのか、まずはそこが知りたかった。

「ファンの方とは待ち席ではたくさんお話をさせていただいてますが、麻雀が始まったら、ファンの方一人とだけ会話をして他の方を置いてきぼりにするということがないよう気を付けています。
卓内にいるのが、全員私を目当てに来てくださってる人ならいいんですけど、フリー雀荘なのでそれ以外の常連さんや、たまたま来たお客様もいます。
知り合いの方から、なにか特定の話題などで話しかけていただいたときは、会話をするのは2往復までにしています。『ありがとう』とか『そうですね』とか軽く答えて、それ以上会話そのものが続かないように気を付けています」

それでも、ファンの人は梶さんと打ちたいししゃべりたいはずだろう。

「そんなときは、『ちょっと今難しい局面なのでタンマ…!』などと言って麻雀に集中します(笑)。フリー麻雀を打ちに来ている以上は、卓内の私語にすごく厳しい方はあまりいないと思いますけど、特定の一人としゃべりすぎないことは大事だと思います。『こないだのあれ、どうだった?』といった感じの、みんながわからない話はそんなにしないようにしています」

と、かなり気を遣っている様子。

「新人の女流プロの方の中には、『盛り上げないといけない』と思っている方もいるかもしれませんが、必ずしもそういうわけじゃないんです。卓内が静かになることを怖がる必要はなくて、『どうしよう。何か言うべきなのかな?』と迷ったらしゃべらなくていいんです。無理してトークはしない、これが大事なことだと思って、心がけています」

梶さんを四字熟語で表すなら明眸皓歯(めいぼうこうし)。
清楚な美人で、知性的だ。落ち着いた声で話す様子は、実年齢の27歳よりもやや落ち着いて見える。
決して、老けて見えるわけではない。この人は、20年後もきっと今と変わらない容姿なのだろうと思わせる、とても魅力的な女性だ。
こんなにきれいで聡明な人がどういう経緯で麻雀プロの世界に入ってきたのか、生い立ちから聞いてみよう。

仙台生まれで佐々木寿人プロの高校の後輩

梶さんは1997年、仙台生まれ。
宮城教育大学付属小学校に4年生で中途入学し、中学校も宮城教育大付属中学校。

小学生時代

「小さいときから、真面目なタイプでした。宿題などは全部しっかりこなして、コツコツやるので成績は良かったですね」

中学校での部活動は剣道部。「バンブーブレード」という人気漫画の影響で、友人と一緒に入部した。
高校は県内トップクラスの県立仙台第三高校へ。同校は日本プロ麻雀連盟の藤崎智プロ、佐々木寿人プロの母校でもある。

「もともと男子校だったので、応援団とかがちゃんと活動している体育会系の高校でした。入学直後は、朝、校門のところに応援団の人が立っていて大きな声であいさつをさせられました。私はそれがイヤで、応援団よりも早く学校に着くようにしていました(笑)」

高校での部活動は弓道部。

高校時代

「剣道は好きだったんですけど、華の女子高生になるんだと浮かれていたので、防具の臭いを気にして高校ではやめました。高校は『文武両道』を重んじる校風で、弓道部の練習は週6回あって、その頃に初段の段位を取りました」

高校生になっても勉強は真面目に続けた。

「1学年が8クラスで300人くらいいましたけど、いいときは一桁、悪くても20位くらいでしたね。塾には少し行きましたけど、一番の目的は塾の自習室を使うことでした」

そのおかげもあって学校の指定校推薦で慶応大学商学部に進学が決まった。

「商学部を選んだのは、その時点でまだ自分が将来やりたいことが決まっていなかったからです。文系・理系がはっきり分かれている学部よりも、商学部か経済学部に行こうと思っていました」

こうして、将来のことは保留にしたまま、慶応大学に入学した。

雀荘アルバイトのきっかけは家の前に落ちていたライター

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