沖縄の人は内地の人と比べ口下手だとか、よく言われる話なのだが、以前〈ひろゆき〉が、ちょっとそこに触れたさい、差別だ何だ反感もくらい話題にもなっていたが… しかし沖縄に生まれ、上京したり、戻ったり、移住者と話ししたりして思い当たる節がない奴はいないだろう。もちろん上手いヤツはいる!!でも確実にソイツは一回は内地に出ているはずだ。 まあ僕も喋りが上手い、という訳ではないがこういうノートで文章書くのも実は考えをまとめて構成するという意味では役には立っている。 久々のノート投
ユリが順調に育っている。 去年咲き終わったヤツの球根を掘り起こし、暫く保存して埋め戻したら… メチャクチャ生えてるのである。 「お前育てるの上手いな!」と褒められるのだが… 特に何もしてない。 どうも余所では虫にやられたりで全滅してたりするらしい。 特に保存に気を付けた訳でもなく、というか球根が植える時点でシナシナになっており 〈これ絶対無理だろ!〉と半ばヤケクソでこれまた適当に穴掘って埋めただけなのに、ほぼ100%の発芽なんではなかろうか? 植栽はもう色んな要
一応震災のときは東京におり、揺れは体験したが、苦労といえば歩いて家まで帰ったことや、スーパーにモノが無い。…程度のもんで 東北に知り合いも居なければその後知り合ってもおらず悲惨な話は全てテレビからの人間だ。 その後、那覇駐屯地の自衛隊のオジサンから聞いたが 支援?救援で現地に着いたら、そこの沖縄出身の被災者らが駆けつけ 《親戚、兄弟が助けに来たみたいだ!》と泣いて喜んでたらしい。 死が脳裏に浮かんだとき《故郷》を強く思い出したのかなとか 色々言われる自衛隊だが《本番》
生き物を飼育するのは軽い気持ちではいけない。とは分かっているが 先月からうさぎを飼っている。 まあ雑草処理兼、肥料製造という〈仕事〉を一応は彼(オス3歳)に課しているので 3割方〈家畜〉とさせて頂く。 たまたま里親募集してたのだ。渡りに船というか、ホームセンターからワザワザ弱々しい仔ウサギから育てる自信は無かった。 うさぎを病気にさせず健康に育てるというのは結局 〈だだっ広い原っぱで育てる〉 に尽きるのではないか?と思う。外で散歩(建前上放牧)観察すると実に多様な
いたるところで歳末セールしてたりするので黒いスニーカーを買いました。 本当はお洒落な柄にしたいが、黒い靴は黒いズボンと合わせると目の錯覚で脚が長く見える。 〈脚〉と〈足〉の境い目が曖昧になるのだ。 たかが錯覚程度…ではないくらいかなり違うので短足にオススメ。 錯覚でかなり人を騙せる。 チョコプラ長田がまさにトリックアートみたいなヤツで、小顔ってのもあるが〈肩幅〉が人に与える心理的影響は凄まじく自分も実際より大きく見られる事が多い。 なので男は肩(三角筋)を積極的に
〈さびしい〉とかいうマイナスな気持ちで飲みに行くとたいてい散財したりろくな事がない。満たされないナニカを他人に求めようという根性ではなにやってもダメだ…嬉しい事があり、それを祝いたい、共有したい、というプラスの感情じゃなきゃいけない。
「アイツ裏で君の事悪く言ってたよ」って言うやつの気が知れん。人間関係ひっかき回したいのか?別に僕は自分を全肯定してくれる人間だけ周りに置こうという気は無いし、僕自身どんな仲のいい友達でも裏でボロカスに言うときもある。直接言う俺凄い!とか思ってんじゃねぇよ。
小さい子どもがグズるとき何故どの子も 「いぃ〜やぁ〜だぁ!!」 と子ども特有の音程(解るかな?)で言うのだろうか。誰にも教えて貰ってないはずなのに
このタイトル画像、なにをしてるのかというと 雑草を植えているのである なにをしとん?と思われるだろうが、建物構造上の欠陥か雨が降ると排水が地面を直撃し、土をえぐるのである。そしてそこを子供らが踏み歩き、泥だらけになるという地獄のスパイラル。 排水パイプを取り付ける? 芝生を買ってきて植える? これらはシンプルに金がかかる。芝生に関しては、そもそも芝生がえぐれて無くなったのだ。植えるだけ無駄である。 なので絶っっ対!!に死なない、枯れない雑草を植え付けてガッチリ土を
パソコンを買ったので知り合いが立ち上げたプログラミングの教室に通っている。 色々理由はあるが、第一に親の存在が大きい 自分の親はガラケーでメールもほぼ使えない。昔教えた様な気もするが覚える気がないのだ。いや、口では教えて欲しいと言うが、どこか《絶対に私には覚えられません》という強い意志、コンピューターに対して拒絶反応を感じるのだ。 (私はコンピューターは嫌いだし、覚える気力も能力も無い、けどメール使いたいです!!) そんな人間に《メール》を教える自信は無く、ましてスマ
公園の利用者には当然《男子中学生》もいる。 不思議なもので、小学生や女子中学生は割合的に礼儀正しく、ゴミもそんな捨てない。 問題は男子中学生である。 特に3人以上になると気がデカくなるのか、倫理観が無くなる。まあ僕もごく普通の中学生だったので分かる。群れたい。中学校は弱肉強食、群れの数は強さの指数、中学生が一人で生きるのはとても大変なことだ。多少仲良くなくても群れが出来るのは必然、そんな団結力も無い集団に意思は無く、まるで本能のまま動く猿のようである。 別に男子中学生
最近友達がダイエットがしたいというので手伝うことにした。身の回りに詳しそうなヤツは僕くらいだし、前向きに自分を変えたいと35の歳で挑戦してくれるのは素晴らしい、なによりなんか面白そうである。 おれは自分に甘いんだ!人生ずっとデブだった俺の怠惰な性格は人の手を借りないとどうしようもないんだ! と彼は自分の弱さを高らかに宣誓した。 僕も弱い人間なのだが、人に弱い所を見せないで生きているので清々しさを感じた。自分の弱さを人に伝えることは自分を客観視出来るいい事なのかもな。 自
タイトル通り、最近なんやかんやあり公園管理人という職についた。 英語ではパークレンジャーってところか。 まあ向こうでいうパークとは規模が違いすぎて全く意味合いが違うのだが、パークレンジャーと名乗らせてもらおう。 一応景観を守るためにゴミ拾いや花壇の手入れとかしてるわけだし… 旅行が好きなのに、シフトやらの関係で自由に休みは取れないので当分島からは出られない事を意味している。 とはいえ…悪くない。 自分が旅行に求めるものは、 ・何か楽しい見たことのないナニカを体験
最近友達と歩いてたら、遠くで若者がウェ~イ!!とダンスステップをとりながら歩いていた。 すると友達が 「俺ああいうの見るとウワ〜〜ってなるんだよ」と言った。彼はよくあらゆる場面で「ウワ〜〜ってなる」と言うのだが、その感覚に《共感性羞恥》という名があることに最近気付いたようだ。 例えば、文化祭などで普段人前には出ないようなキャラが勇気を出して漫才をするものの、ダダスベりしてしまう。あのときの見てるこっちまで痛々しい気持ちになるあの感覚。と言ったら分かりやすいか。 誰しも
と言う本を読んだ。本自体を腰据えて読むのは久々だ。 恥ずかしながら、スマホやら何やら意識が散漫になり、本を読めない身体になっていた。これもまた筋トレと同じく、し続けなければ活字の咀嚼力っつうの?鈍ってしまうんだと痛感。 本を読みたいという感情も起こらなかったのだが、今日は雨なので《コーヒーでも飲んで優雅に本を読んで過ごしたい》気分に駆られた。 日本の女の子が親の転勤でインドで暮らすことになってしまった体験記。 インド…全く想像もつかないし、正直行きたいかと言われると微
自分にはこれと言って趣味が無い。 強いて言うなら筋トレ…?とはいえ、ガッツリ本気でしてる訳ではないので凄いマッチョな訳でもなく、中の上程度をフヨフヨと漂っている。 そもそも筋トレは趣味というのは自分の中ではちょっと違うというか。 健康維持、身体のメンテナンス的な意味でいうと 歯磨きと変わらないのではないか?? 趣味は《歯磨きです》とは言わないだろう… 周りには多趣味な友達もいてフィギュア集めたり、ギター弾いたり、作曲したり、プラモデル作ったり、自分の中の《好き》に