極北エッセイ01 「日用品と教育」
私は田舎に生まれ、井戸水と山の水で育った。
母は、自然を汚さないようにと自然に優しい洗剤を使うように心がけていた。
シャンプーは石鹸由来のものだった。
ある程度大きくなった私は「ハーバルエッセンス」のシャンプーが使いたかった。
なかなか泡立たない食器用洗剤や、髪がキシキシするシャンプーよりも
蓋を開けた瞬間に香りが漂うものに心惹かれた。
ダウニーの柔軟剤も使ってみたかった。
母はたまにそういう製品も買ってくれた。
大学生になって一人暮らしを始めて、ドラッグストアで好きなものを使うようになった。
結婚して効率を求めて、場所に合わせたよく落ちる洗剤を買い漁った。
子供が産まれて赤ちゃん用の洗剤を使い始めた。
大人用の洗剤に変えて、息子にタンクトップの形そのままに真っ赤な発疹がでたことがあった。
そこで食事だけでなく肌に触れるものが大きく影響があることを感じた。
そして母が使っていたものを思い出した。
母が食べさせてくれていたものを思い出した。
私は母に守られて育ったのだ。
カナダに来て自然をすぐそばに感じるようになった。
掃除の仕事をして、身をもって洗剤のリスクを感じた。
せめて自分だけでも家族、動物、地球に優しいものが使いたい。
今説明してわからなくても、もう少し大きくなってもっと魅力的なものが現れても、
自立して好きなものを使う時が来ても
今使っている洗剤や石鹸が娘や息子の記憶に残るだろう。
いつか思い出す時が来るだろう。
いつか理由がわかるだろう。
発酵食品だって同じだ。今味噌の美味しさがわからなくても、糠漬けにウンザリしても、
私が仕込む姿や、その独特の味が彼らの記憶に残るだろう。
「お母さんわざわざカナダでこんなことしてたなあ」そう思う時が来るのだ。
教育は教えるだけではなく、見せることだと思う。
記憶に刻むことだと思う。
毎日子どもたちは五感で感じている。
言葉でなくとも愛は伝えられる。
押し付ける必要はなく、私が自分に、子どもに、動物や自然に愛を持って生きればいいのだ。