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ペットから「死」を教わった話

先週の日曜日、自転車で荒川の河川敷を走っている際、一匹の猫が道端で死んでいるのを見つけました。結構な日数が経っていたからか、損傷が激しく、とりあえず近くの土に埋めまして手を合わせました。そんな時にふと思い出したのは、私が中学1年生の時に、ペットのジョンがこの世を去った時のことです。

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私の両親は、結婚してから11年間、子供がいませんでした。そこで、ペットの犬を飼うことにしたのです。種類は、牧羊犬のシェットランドシープドッグ(通称シェルティー )。現在はトイプードルを代表に、室内で飼うことのできる小型犬の人気が高いですが、30年ほど前は中型犬のシェルティー が一番人気だったそうです。名前はジョンと名付けられて、子供同様に可愛がられながら伸び伸び育ちました。
私が生まれた時、ジョンは既に4歳。写真の通り、中型犬とは思えないほどに大きく、たくましく成長しました。
※両親は結婚11年目に私を産んでくれ、その2年後には双子の女の子が誕生。一気に賑やかになったそうです(上の写真は、ジョン&子供たち)。

ジョンとの思い出は語り尽くせないほどありますが、今でも鮮明に記憶に残っているのは、ジョンの死です。ジョンが17歳、私が13歳の時、ジョンが散歩中にコケるようになりました。庭を歩いている時も、なんだかぎごちない動き。。。どうしたのだろうと思っているうちに、今度は立ち上がることもままならなくなってしまったのです。

庭で「立ち上がろうと頑張って、立ち上がれたら歩こうとして、歩けても少し経ったら転倒して、また立ち上がろうと頑張って・・・」という動作を繰り返していました。歩けなくなったら死んでしまうのだと、本能で分かっていたのかもしれません。とにかく必死でした。

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それを見ていられなくなり、家に入れて看病しました。最後はご飯も食べられなくなりましたが、蜂蜜だけは美味しそうに舐めていたのを覚えています。最期は、特に苦しんだ声や音は出さなかったので、安らかに死ぬことが出来たのではないかと思います。散歩中にコケるようになってから死に至るまで、1週間もないくらい短い時間でしたが、私の人生の中では記憶にこびり付くくらい濃い時間となりました。

私は、ジョンが立てなくなって、徐々に死に近づいている様子を間近で目の当たりにしましたが、一番泣いたのは、死の3日前のことでした。ジョンが死ぬかもしれないという、今まで味わったことのない恐怖と、何もしてやることの出来ない無力さが相まって、悲しみのどん底にいたのを覚えています。そして今から当時を振り返ると、死の2日前、前日、当日と、徐々にその悲しみは和らいでいったと思います。今から考えると、これが死に対する心の準備だったのではないでしょうか。

いきなり大切なものを失うと、最初は喪失感で何も考えられないですが、その後は徐々に悲しみが心を支配していくと、よく映画等で描写されます。反対に、ジョンはステップを踏んで死に向かっていってくれたため、私がジョンの死を受け入れる時間を作ってくれたのだなと今では思います。

こうして私はジョンから、死の恐怖や悲しみ、それに対する心構えや覚悟の仕方を教えてもらいました。しかし、同じ死を体験しても、おそらくジョンを愛する深さの違いから、私の母の心は、未だにペットの死に対する恐怖に支配されています。ペットロスの状態が、もう15年以上続いているのです。ペットが大好きなのに、死への恐怖でペットが飼えない母を見ていると、死ぬ間際に後悔しないかと心配になり、少しずつペットに慣れてもらうことも視野に入れて、私たちが運営している東京都調布市のペットホテルで従業員として働いてもらっています。

私の母ももう若くないため、来年くらいにはペットをもう一度飼えるくらい心が回復してくれたらなと、まだ本人には打ち明けてはいませんが、裏で着々と画策しております。
※noteの存在は母には隠しておりますのでご心配なく。

そんな私たちのペットホテル「たまごとコムギの家」を、今後もご支援のほどよろしくお願いいたします!

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