稲作創話「棚田物語」己類05「百万回のありがとう」達成後の第二話「代車が大破で廃車! 転んだ後の杖!について」
いきなりでしょ!
そうなんです。この事実を「百万回のありがとう」達成と関連付けようとするのですから、それはそれで、かなり危ない。もう「百万回のありがとう」に「洗脳」されていると思われても仕方がない。
だってどう考えても、20時半、軽自動車運転中に高速道路上でトラックにぶつかり、その反動で中央分離帯に突っ込んで、動けなくなって運転席でごぞごぞしていた所に、追い越し車線を走ってきたプリウスが私が居る運転席目がけて正面衝突してきたのですから。どう考えても、「ありがとう」という状態ではない。
そう、死んでたら。
ただ、一つ、それだけの事故で、MRワゴンは大破しましたが、運転手の当人は、肋骨3本ほど(医者もよく分かっていない)折って、「セキができない。笑えない。鼻がかめない。寝返れない。床から起きられない。」と唸っているだけで済んでいるのですから。それも、一週間で職場に向けて夜行バスに乗ってお仕事復帰、十日も経てば、ほぼ平気。確かにこれだけでも、命拾い。よく生きてたね、ではありますから、「感謝、ありがとう」以外にないのです。本当に、血を流すこともなく、内臓に骨が突き刺さるでもなく、命拾い。よく生きてました。
更に、この事故に至るまでの流れには、確かに魔訶不思議な働きがありまして、それらを含めて、総て、自業自得で、大きなクモリ(魂の罪穢れ)を取って頂けたと思わずにはおれないのです。大浄化。お浄め。
このことがしっかりと分かってくると、命を頂いたということよりも、魂を軽くしてもらって、次のステップに軽やかにジャンプできるお許しを頂け方が、実は、私には「感謝百万回、ありがとう」なのです。今回は、このことをお伝えしたいのです。
題して「転んだ後の杖」
勿論、転ばないに越したことはないのですが、人間そうもうまいことばかりではないので、必ず、転びます。何回も、転びます。ですから、問題は、その後。つまり、転んだ後の「杖」なのです。どんな「杖」を持っているか。
私は、今回、本当にありがたいことに、「百万回のありがとう達成!」という、途方もなく頑丈で、万能で、頼りになる「杖」を手に入れていました。そう、前回の言い方では、「ターミネーター」のように幸福が私を追いかけてきて、それから逃げ切ることができない私なのです。そんな幸福の中での「台車が大破で廃車!」なのです。その「杖」が、私を現世に引き留めたのみならず、この「事故」によって何だか私の大きな罪穢が消されたように感じているのです。そして、私には、この認識が、大切なのです。確かに、「あんたがそう思ってるだけでしょ!」なんですが、そう思えずに、「何で不幸にもこんな事故にあって、大破して廃車にした代車代として三十五万円も払わなくっちゃならないんだ」と思ってしまえば、思えるのです。ですが、今、私の思いは違う。五月の初夏の青空のようにみずみずしく、軽やかで、初々しい。三十五万円の感謝献金。そんな思いにしてくれたのが、「百万回のありがとう」という「杖」。
ただし、何でそう思えるのかは、自分でも謎なのです。何だか、そう思えてしまって、これだけの大浄化を頂けたのだから、これからどんなすごいことが起こるか、わくわくで仕方がない!」と、勝手に思えているです。事実そうだからそうだ、としか、言えないもどかしさ。「更に、これから、とんでもない幸福が私を追いかけてくるだろう!」という身勝手な予感、妄想。
軽の代車でなければ、いつも乗っているオデッセイであれば、あんな事故は起こしてはなかったとは思います。
高速で、ガソリンがなくなりそうで入れに入ったSAで素直に入れていたと思うし、うどん食って店から出てきたら入る時には開いていたGSが閉まってしまっていたので、少し無理して次のSA目指して無理して走ったとか、前のトラックが急にスピードを落としたのかと勘違いして、それをかわそうと急ハンドルで追い越し車線に逃げたとしても、オデッセイならふらついてハンドル操作ができなくなって、当のトラックの右横腹に接触して、そのはずみで中央分離帯に突っ込むなんてこともなかっただろうし、事故して停車していた車の運転席側に後続車が突っ込んだとしても、オデッセイなら肋骨3本折れのダメージを私自身も受けなかっただろうし。
実は、事故の二日前に、駐車場でオデッセイのエンジンかけたら、だらだらと牛のよだれの様にエンジンオイルが漏れていて、何とか自走して自動車屋には持て行くことができたのですが、結局は、エンジン載せ替え必要で、23年前のオデッセイのエンジンなどもうどこにも見つからなくて、廃車決定。その矢先、事故の当日の午後、四日前に入院した田舎の親父の病院から、「心臓がいったん泊まって、今は動いているが、もう持たないと思う。県外からだと間に合わないとは思うが、来てもらえますか?」との電話。ビビッて、焦って、取り乱してしまって、代車で高速一路愛媛まで。
こんな状況の中での、香川県高松道上での交通事故。代車なんか使わずに、JRか、高速バスか使っていたらとの思いもないことはないのですが、それも、後の祭り。急いでいたし。気は急いていたし。福山の妹にも電話したり、山口の叔父や地元愛媛の叔母や従弟にも連絡入れないと、と思っていたし。
で、この展開と、このご守護。
正に、あっぱれ!!
こんな「洗脳」なら、全然、大丈夫ではないですか。
人は、どう「転んだ後の杖」を用意して生きているか。大事なことのように思った次第です。