弁慶飯とめはりずし〜出羽と吉野を結ぶ修験者ごはん
小笠原まさやです。山形県におります。
出羽三山でオヤマして過去に向き合い、一度人生を終え生まれ変わりの旅路。とてもエキサイティングでした。
遥か昔は当然車などなく自分の足で走破するのですが令和なのでレンタカーを利用。
最近の車燃費めちゃくちゃいいですよ!四日間山を駆けずり回ってガス半分しか食わない。
貧乏性の僕はできるだけ早く、リーズナブルに回りたいわけで。
道中の食事は車内で食べながら運転。
月山(がっさん)道の駅で“弁慶飯”なるパワーつきそうなおにぎりを発見。※画像
味噌を塗ったおにぎりに高菜の漬物を海苔がわりにぐるりと巻いた素朴だけど滋味あふれる味わい。
一個が大きく腹持ちもいい。
いいな!弁慶飯、めはりずしみたいだ!と思いふと気付きます。
てか弁慶飯、めはりずしだよな。
めはりずしとは!?熊野から吉野、和歌山の一部から奈良県境にかけて愛されている白飯のおにぎりに高菜の葉を巻いたもの。
めはりずしじゃん!弁慶飯、知的財産をアレした?
どうも思考がゲスくなるので弁慶飯を扱う道の駅スタッフにヒヤリング。
何で弁慶飯って言うの?
「弁慶が好きで食べてたから」
「弁慶のこぶしと同じ大きさだから」
「わかんないのー」
弁慶と山形はゆかりが深く、瀬見温泉や最上川沿には義経弁慶を祀る神社や伝説が多く残ります。
とは言え、例え弁慶が大好物だったとしてもネーミングするかしら?あと僕のこぶしより小さいわ!
腑に落ちないでヒヤリングを続けると、
「山に入る人の弁当が弁慶飯。木こり猟師、行者はこれをぶら下げて出かける」
山に入る人、行者…。あ!そうか。
めはりずしは吉野の大峯駆けをする修験者のお弁当が発祥と伝えられています。
そして山形は出羽三山を中心に熊野、吉野から多くの神仏を勧請する際、修験道と修験者が伝わりました。
空海が本地垂迹説を唱え、神仏と土着信仰の融合が進むと吉野修験と出羽修験の交流はさらに加速します。
出羽三山まわりは吉野と同様に鉱山としてのポテンシャルがあり、山のエキスパート修験者たちは祈りと同時に鉱脈さがしに奔走したのでしょう。
その際、吉野や熊野から来た先達が食べていためはりずしを庄内の豊かな食材で再現したのは想像にかたくありません。
江戸の終わりには数十万人いたと言われる修験者(含山伏)。
祭礼の際対面、天台宗の修験者※は天狗のようなフサフサの梵天玉がついた袈裟をまとい、高菜のおにぎりを食す姿が勧進帳の弁慶と重ねられ、弁慶飯と言われるようになったのではと推察します。
※真言宗の修験者は金属の輪宝がついた結袈裟
たまたまかぶりついた素朴なおにぎり、弁慶飯。
そこから広がって見えた古の修験、吉野。
皆さんも出羽三山にお出かけの際はかぶりついてみませんか?きっとロマンの味がする!かもしれません(^O^)