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自分にとっての宗教は

アニマルコミュニケーションに関する本を色々と読み始めた。テルミー温灸と同時進行だけどこちらも三つ枝商店にとって今後の大切なテーマになります。

きっかけはアニマルコミュニケーションのセラピー会場としてレンタルスペースを使っていただくということで、今うちは用途を事前にチェックして承認する内容に限り場所をお貸ししている。

それでアニマルコミュニケーションについてリサーチをして、岩津さんという方がフェリシモで10年ほど連載しているコンテンツを知った。いま思えばこの出会いが良かったのだろう。とにかく感心した。岩津さんは動物以外に虫とか植物とか岩とも意思疎通する。それは生まれながらの自然なことで、その視点を垣間見ることで今更ながら人間だけを特別視する視点に以前から違和感を持っていたとはいえ、その視点から真に脱却はしてないのだなと思えた。

まだまだ思っていいんだ。先は長いし希望は、ある。

その実感が僕がアニマルコミュニケーションに関心を持つことにゴーサインを出したのだった。

ともすれば、こういうことはスピリチュアルで怪しい。そうとらわれてしまうことがある。余談だがうちの両親は僕のことを心配した。怪しい宗教に騙されるのではないかとよく言われた。その心配のおかげか今まで新興宗教にハマったことはない。とはいっても禅ヨーガを通じてヨーガとは宗教だと知った。今はこう思う。宗教とはツールであり、自分自身の本質を発揮するためにそれを最大限活用するのが大切だ。使われてはならない。最後に問われるのは自分自身の有り様でしかない。すべては生かす。自分自身の肉体ですら道具として使え。そんなことを思っている。

それは怪しいことだろうか。そう見えなくもないなあとも自覚してはいる笑

僕にとってはビートルズもヨーガもアニマルコミュニケーションも、それが誰かにとっての宗教でもあると思う。使ったり使われたり色々な感情と共に自分自身を切磋琢磨している。

僕は残念ながら何かを強烈に信奉することができていない。何に対しても客観的に理解して敬意を払うが我を見失うほどに愛することができていない。藍染めに対してもまだそこまでには至っていない。染まるための仕組みを理解する。それは微生物のことでもあり、それらを含む自然の働きの仕組みを理解したいということと思う。

タルマーリーの渡邉さんの本を読むのもそのような理由だ。自分という人間を形作るその肉体面や精神面を含めた自然の営みの仕組みを理解したいのだ。それが少しでも深まれば、人間社会の問題である犯罪や戦争、政治の腐敗なんかの仕組みも少しは見えてくるのかも知れない。

だから僕は藍染めに手を出し、アニマルコミュニケーションや音楽の周波数のことなどに関心がある。

いつかそれらが結びついてひとつの実像を結ぶのか。そんな時がくるのだろうか。それには僕一人の人生の時間では足りないだろうなとも思っている。

まあそれなら飽きることもないか笑

#アニマルコミュニケーション
#微生物
#ハイジ
#タルマーリー

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