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捨てないボックス🧰

おはようございます♪

1月29日、
水瓶座♒️新月🌚
貴方は何を新しく始めますか?

今回は新しく始めるというか、
自分の目的地を確認して、
習慣を見直してみることにしました。

【やめること】を決めました!

それと
思考の整理です。

ワタシは自分の誕生日9/11から
始めたことの方が
よく続いてるなと思ったのも、


一年の始まりが1月だったのは、
日本にいた時の方が感覚的には
強い気がしたのでした。

日本はお正月🎍という特別な日、
年末年始という大掃除と除夜の鐘など

国民総出で縁起担ぎをする
国民のように思ったのは、

海外に住み始めてからでしょうか。

年の始まり感が、どうも感覚的に違うのです

学校の始まりも9月の秋が多いこちらでは、
年廻りの感覚の違いに最初は驚きましたが、
月日も流れるかのように経つと、
いつのまにか、始まり感が変化したようです。


車の運転免許証も父のおかげでようやく取れたワタシも長いことペーパードライバーで、日本のゴールド免許のおかげでこちらで免許更新ができて、運転できる感覚になりました。

さすがに日本に帰ると運転怖いなと思いました。テンポというか距離感もなんだか違うのです。

カナダやアメリカの高速なんかは日本よりも最高速度は速いスピードなのに、何故だか日本の町の道路の方が車の運転のテンポは急いでる感じで、忙しなくチョロチョロ走る軽自動車やバイクの多さに圧巻されてしまうみたいです。

なんだかカナダやアメリカで運転する方が自分には合ってるみたいです。

まさか自分で車が運転できるとは、ワタシ自身も思っても見なかったのですが、突然にそんな日はやってきました♪

そうそう年始は断捨離やコンマリさんの話題も上り、みんな整理整頓モードに入る人もいるみたいですが、

トロントのワタシの周りでは、
もう断捨離や整理整頓ステージは既に、ワタシも含めて卒業してる人たちが多いみたいです。

と言っても、
毎年、学校に行く人や仕事をしてる人たち
恒例の春や秋にはワードローブを新しくする人たちも多くて、

ワタシも去年の秋に
捨てないボックスをひとかたずけして、
今はひとまずは履かないジーンズとスカーフ類を入れています。

年齢も上がると
洋服を買うモードも落ち着いて

どちらかというと
毎年のように定期的に買いかえるモノと
補足するモノとダンダンと買わない生活になってきています。

一度思い切ってコンマリDoをしてみると、
自分の好きなスタイルもわかってきて、
無駄なものは買わなくなりました。

冬のジャケットも
made in Canadaに凝っていて、
さらに大尊敬する友人との
コネクションも合って、
もう5、6年前のカナダグースと
2年前のカナダグースと
今年もカナダグースを3着を日本の家族に、
ベストだけ自分のために足しました。

今のところ買い足す目処はありません。

もう切れなくなったり、ダメージを感じたシャツ類やパンツ類処分したりしましたが、ジーンズは捨てられずに、また履く時期が来るかもしれないと捨てないボックスに入れることにしました。
スカーフやショールも大処分しましたが、ちょっとカシミアのショール類を処分してしまって、後悔したこともあって、お気に入りだったものは一年くらいは捨てないボックスに入れておくことにしました。

というのも、
最近は高価なブランド品や流行りよりも
昔からの自分なりのオシャレを活かしてる年配の方のファッションに刺激されて、大切に着てる革のコートや靴やスカーフに目が奪われて、素敵だなーと思うことが多くなってきたのです。

キッチンの調理器具も一年くらいはそっと捨てないボックスを一番下の収納場所や一番上の収納庫にしまって置いて、
時にそこから引き出して使う場合もある時もあって、

一年経ったら見直して、それから処分することにしています。その捨てないボックスはちょっと散らかりがちになった物を入れたりもして、そういう場所があることで

真っ白なパーフェクトを目指さないココロの休憩所を作っているみたいで、イライラすることも少なくなってきたようです。

ある日本の有名人の人のお宅拝見で、
壁全部に収納場所ということで
全く何もない感じのお部屋で、
なんだか寂しいというか、
モダンすぎて
残念というか、
その人の個性の良さが全く見えてこない
無機質というか、
シークレットがいっぱいなのかなーと思ってしまいました。


何十年もパリで住んでー

パリって、
古い物をオシャレに大切に使う感じで
装飾の好みもそれぞれに華やかさがある独特の個性が出るお家が多いと思うんだけれど、

日本って、ミニマリストが流行ってる感じで、
ちょっと残念に感じてしまいました。

それでも日本の茶室でも
掛け軸やお花や飾り物を置いたりする場所があるわけで、

何もない部屋というのは、
なんだかそっけなさすぎて、
生活感が見えない暮らしというか、

それを人にわざわざ見せる必要はあるのか?
疑問に思えて、
不思議に感じたのだけれど、

それぞれに
】の考え方も違うのでしょう。

ワタシも自分の考え方やライフスタイルも年齢とともに変化してきています。

自分的にはモノを持たない方だとは思うんですが、

パートナーがモノ好きでコレクターですから、
どこかで折り合いをつけて、

時にはどうしてこんなに違う相手を選んでしまったのだろうと思うこともあるんですよ!😆

そういうモノ好きの彼からも学ぶことも多いと気づき始めています。

モノを持たない方が良いとどこかで思い続けて、捨て魔と言われるくらいモノを捨ててばかりいたのですが、突然に捨てられなくなったというか、年齢を重ねて、自分の持ち物に愛着を感じるようにもなってきました。

思い出のものは特に捨てられません。
亡くなった義母に貰った抹茶茶碗🍵、
ROMにも飾られていて、とても思いがこもっていて使う時は本当にココロが踊るように嬉しくなるのです。

モノを買わなくても、
貰うこともとても多いのです。

冷蔵庫の中の整理整頓も、一つのボックスは、使い切れなかった野菜や調味料のパックの残りなど、どこにも定位置がないモノを入れておくいっときの避難場所を設置しています。

それだけで、
白黒キッチリして
スッキリさせなくても大丈夫な
散らかり場所は多少はあった方が
自分の精神的にはいいみたいですね。

他人のことも許せる自分になってきたようで、というのも自分のことも許せるようになったんでしょうね。ココロが少し楽になってきた。

捨てないボックス🧰、
ココロの休憩所、
避難場所なのかな。

どんなに仲が良くても、
ヴァンダリーってあるじゃない、
義理の関係ってそんな感じだと思うの。それを守って、あまり自分から踏み入れないことにしました。

受け取り方によっては、
ガスライティングされてるように思っても、

だから自分の思考を変化させて、
何でも口に出して良いわけでもなく、
時にはグッと堪えて、
自分が楽しくなることを考える方が良いなーと思えました。

ワタシの愚痴ばかり聞いてくれた友人の皆様、

いつもありがとうございます😊。

これからは、
戦略的に言葉にするようにします。




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