侘び寂びエモい
人の感情は千差万別である。素敵な音楽に涙したり、友人の些細な言動で笑顔になれたり、
僕は先日、牛丼屋チェーン店の味噌汁に母の味を感じて心がしんみりしてしまった。
感情は、僕ら人間だけに与えられた崇高なものなんかじゃなく、違いはあるのだろうが、犬も猫もキリンも蛙も、蟻んこだってきっと持ち合わせているのだろう。
ただ感受性となれば話は別だ。
人やもの、出来ごとなどに出会って何かを感じ取り、それを思考し、咀嚼し、意味のある認識を紡ぎ出す。
それを然るべき形で表現できて初めて、確かな「感性」と呼べるものになる。そんな感性の積み重ねの上に成り立つものが「感受性」であり、人に生まれた僕らの実に素敵な感覚なのだ。
わくわくしながら友人と映画を見に行った日、
期待を超える、涙あり笑いあり感動ありの素晴らしいストーリーを見終わって大満足だった。
友人も同じくらい満足そうな表情を浮かべていた。
どの人物のどのシーンで何に心を動かされたんだろうか、僕が見落としていた発見はないだろうか、
映画館の階段を降りながら、その感想を是非語り合いたいと思っていた。
そんな期待を裏切るかの如く、
「んん〜、エモかったね〜。」
一蹴されてしまった。
続きは?もっとないの?
何その毒にも薬にもならない適当な答え。
言いたいことは山ほどあったが、僕の期待に合わなかっただけで、別に悪いことをしている訳ではないので、何も言えずにただ心をくさくささせてしまった。
食わず嫌いも良くないので、とりあえず僕も
「んん〜エモかったね。」
やっぱり違うじゃん。
とはいえ、若者言葉をただ毛嫌いする頑固者オヤジにはなりたくなかったので、それから数ヶ月「エモい」と必死に向き合ってきたのであるが、ようやく「これかも」と思うにあたる出来ごとがあった。
友人が恋人とお別れしてしまったらしかった。
楽しかった当時の話、別れの理由、色々話をしてくれた訳ですが、やっぱりこういうときってなんて答えたらいいかわからないんですよね。
ただ感想を述べるにも、共感をするにも、助言を述べるにしても、全てが安直になってしまうような気がしてしまうし、それを回避しようと長々と話すのも、相手によってはそれだけの高カロリーは求めていない場合もあるので言葉に困る。
そんな風に考えあぐねる数秒の間を埋めるかの如く、腫れた瞼を歪ませて、友人が一言。
「エモいよね。」
すかさず僕も一言。
「エモいですね。」腑に落ちた。
パズルのラスト1ピースがハマったような、初めてエモいと言ってスッキリした瞬間だった。
日本には「わびさび」というこれまたむつかしい言葉がある。散り際の美学だとか、有終の美だとか儚いものに心を奪われてしまう日本人の特有の感性を表す言葉のひとつであり、現代人が忘れかけている美学を表す言葉だ。
日本文化特有の「わびさび」。一度は耳にしたことがある人が多いのではないだろうか。
僕もなんとなくわかっているけど意味を聞かれたら言葉で説明はできないし、何せ感性を表す言葉なのだから正解はないのだろう。
この「わびさび」と「エモい」に僕はとても近いものを感じた。
実際、友人の別れは潔く、わびさびを感じ、不謹慎だが美しくそんな終わりを羨ましいとすら思った。
それを肯定や否定するのでもなく、斜に構えるまでには行かず、 ちょうど良い塩梅で表現できる「エモい」。
実にエモーショナル。
毒にも薬にもならなくとも大事な表現が確かに存在するのだ。
実に素敵な言葉じゃないか。
「エモい」見直したぞ。
今週も読んでくれてありがとうございます。
自分の感受性くらい自分で守ればかものよ。
僕が生まれて初めて買った茨木のり子さんの詩集の言葉。
あなたは「エモい」いつ使いますか。