カモミールティー
「ばあちゃん、どうして毎朝毎朝、これ飲まなくちゃいけないんだよ。」
五分刈り頭の少年がブツブツと文句を言っている。
「ばーちゃんが朝に作るのは決まってこれだけどさ……悪いけどおれ美味しいと思ったこと一度もないんだよ。」
年は小学3年生くらいだろうか。背丈は同年代と比べるとやや低めだが、口達者で実年齢よりもませている印象がある。
「……草太は好かぬかのぉ。」
とぽとぽ、と軽く煎じたカモミールティーをヤカンから湯飲みに注いでいる老婆は、御歳80前後だろうか。
ゴト、とヤカンを置くと、麻子はふっと遠くを見つめて考え事をしているようだった。やや東向きに作ってある縁側には、早くも夏の日差しが差し込んでいる。
「……なーばあちゃんてば。……ばあちゃん?」
返事のない老婆をのぞき込みながら、草太は縁側に腰掛けて、縁石に素足をぺちぺちと打ち付けている。
「……ん……ああ、すまんな。考え事をしておった……。」
そういうとまた遠くを見つめながら湯飲みをずず、とすすった。
草太は足をぶらぶらさせながら、何となく老婆と同じ方向を見てみたり、また顔をのぞき込んだりしてみたが、何やら取り残されたような気分になってきていた。
ふと、麻子が口を開いた。
「なあ草太や。」
「うん?なに?」
やっとばあちゃんが話し相手になってくれそうなので、草太は少し背筋を伸ばした。
「ばあちゃんが昔、アメリカに行っとったのは知っとるな?」
「え!?そうだったの?ばーちゃん、すっげーじゃん!」
急に自分の祖母が、まるでテレビに出てくる有名人になったかのように、軽い興奮を覚える草太は、「それでそれで?」と続きを迫る。
「……はて……話しておらんかったか……?まあ、いいか。当時のわしはまだ10代の乙女でな。父の仕事で、イリノイ州に住んどったんじゃよ。」
「え??ばあちゃんが???おとめ?????」
目を丸くして、「全く想像がつかない」と言わんばかりの草太だった。
「…ふふ、想像がつかんか?なかなか美人だったんじゃよ、わしは。それでな、マックスという男性とお付き合いをしたことがあったんじゃ。」
「えーーー!」丸かった目が点になり、声がひっくり返る。
「彼はわしの誕生日に、当時アメリカで流行り始めたハーブのカモミールティーをプレゼントしてくれたんじゃよ。」
草太の開いた口が塞がらない。もはや声も出ないようだ。
「異性から贈り物をもらうなんてなぁ……嬉しゅうて嬉しゅうて、天にも昇る心地とは、ああいう気持ちのことをいうんじゃろうな。」
うっとりと空を見つめて頰を染める麻子。この日草太は、この老婆の中に10代の乙女を初めて見た。
「……しばらくして、父が病気を患って、船で日本に帰国することになったんじゃ。マックスとは文通でしばらくやりとりしたんじゃが、お互い忙しくなって、いつしか手紙を書かなくなってしまったんじゃ。」
チチチ、と鳥がどこかで鳴いている。老婆を見つめる草太の手には湯飲みが握られていた。お茶からはもう湯気は立ち上っていなかった。
「草太。人の味覚にはな、甘い、しょっぱい、からい、うまい、苦い、酸っぱいの他にもう1つな、『思い入れ、思い出』というのがあるんじゃよ。」
そう言うと麻子はまた空を見上げながら考え事をしているようだった。マックスの事を思い出しているのだろうか、と草太は思った。
ばあちゃんにとってカモミールティーとは、ただの薬草ではなく、過去の男性とつながっているのかな。草太はそう思うと、手の中でぬるまったそれを口に含んでみた。かすかに甘いものの、お世辞にも美味しいとは言えないその味が、ばあちゃんの心をそのまま表しているような気がした。不思議と、さっきよりはまずいとは思わなくなった。これも「思い入れ」という『味覚』のなせるわざなのだろうか?
「そうそう、草太、今度『世界ティーフェスティバル』というのがあってな。」
「うん?」
ずず、とカモミールティーを飲みながら顔を上げる。
「わしのカモミールティーの他にも、世界にはたくさんのおいしいお茶があるんじゃ。どうじゃ、草太の気にいるお茶を2人で見つけに行かんか?」
何やら少し考え込むような様子でずず、とお茶をすすっていたが、やがて
「うん、わかった。おれも別のお茶も試してみたいよ。でも……。」
「でも?」
「ばあちゃんのカモミールティー、おれもう嫌いじゃないよ。」
それを聞くと麻子は優しく微笑んだ。そうして、草太の頭をくしゃくしゃっと撫でた。
「あんたもマックスみたいないい男になるんだよ。」