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駅の清掃員が20人以上の顧客を抱えるビジネスコンサルタントになった話


記事を読んで欲しい人

0記事目の番外編として、私個人の掘り下げを行う。一人の無能が経営者に破壊され、再生する話だ。
生意気を言うようだが、記事を読む人を限定させていただく。
①    自分は無能だと信じ込んでいる
②    職場や家庭で相談できる人がいない
③    心の逃げ場がない
④    明日が来るのが怖い
4つのうち、どれかに当てはまるのなら、どうかこの記事を最後まで読み進めてほしい。一番にこの話を伝えたいのは、昔の私のようなあなただからだ。

自分はどんな人間か


改めて自己紹介から始めよう。
名前は金労(=金色の労働)現在36歳だ。結婚しており、子供は二人。0歳と5歳の娘がいる。両親が有名人や経営者といった毛並みの良さはない。現金と学歴も持ち合わせていない。現在はSNSを中心に個人向けコンサルタントをしている。有難いことに、20人以上の顧客を抱え、人生の立て直しに成功した。

3ヶ月で心が壊れる


私の心が壊れたのは2020年8月7日のことだ。当時所属していた会社で人員の大量離脱が起こった。20数名という小規模な会社だったが、残ったのが私を含め、僅か8名と50%以上が離脱した。
経営者は激怒した。既に退職者の大半に連絡がつかず、残った私に経営者は矛先を向けた。
「お前のクソみたいな人生と家族を養ってやっているんだ。恩を忘れるな」
経営者が運転するジャガーの中で確かに言われた。私は何も言えなかった。養う家族がいた、残った人間を守らなければいけなかった。恩のあるクライアントがいた。私は私が刃向かえない理由を必死に探していた。なんのことはない、言い返せない私がクズなのだ。
離脱者たちが残した仕事の後始末に追われ、おはようからお休みまで必死に働いた。渋谷にある会社から戸塚の自宅に帰れたのは、深夜2時だった。
本業が立ち行かなくなり、焦った経営者は、知り合いの経営者に紹介してもらったハンバーガー屋のフランチャイズに手を出した。リサーチ、ブランディング、メニュー開発⋯、新規出店の準備を全て私に担当させた。肉体も精神も疲労し、思考ができなくなっていた。
飲食店の経験がないからと、食べログの百名店に名を連ねる某ハンバーガー屋でバイトをした。稼いだバイト代は「税金の絡みがあるから」と、全て経営者に直接渡した。
目黒から鎌倉まで出店候補となる店舗を探した。合間に補助金の申請もした。
「お前には覚悟が足りない。どっかの料理屋に頭下げて修行させてもらえ」と、個人でやっている食堂にアポを取り、頭を下げ働かせてもらった。
限界以上のストレスを抱え、何も考えられなくなっていた。大きな円形脱毛症も出来た。
成果の出ない私に経営者は厳しかった。
「これは、お前が自分で選んだことなんだからな。お前の責任なんだからな」
「どこまでも使えない赤ちゃんだな。いい加減お前にキレそうだよ」
出勤の東海道線に乗る時、つり革に捕まったまま急に動けなくなったこともある。動悸が激しくなり、心臓がズキズキと痛んだ。頭が真っ白になり、電車の中にも関わらず涙が止まらなかった。心の苦しさで身体が動かず、涙を拭うことも出来なかった。排泄のように涙を垂れ流した。人員の大量離脱から、僅か3ヶ月間の出来事だった。
この頃、明日が来るのがひたすらに怖かった。会社に行けば叱責が待っている。ストレスで眠れず、ディスカバリーチャンネルをぼんやりと眺めていた。周囲の声も、家族の声も苦痛で仕方なかった。自分の心を守る為、嘘やごまかしも平気で行う最低の人間になっていた。

会社を飛んだ


ボロボロの状態が半年ばかり続いた。新規事業はプレオープンを前日に控えていた。私の心身は既に限界を超えていた。
前日の深夜、戸塚駅からほど近い、柏尾川の橋の上で死ぬ決断をした。落ちれば楽になる。全てが終わる。そんなことを考えていた。私は妻に電話をした。
「迎えに来てほしい」確か深夜2時ごろだった。
「子供が寝てるし、お酒も飲んだから迎えに行けない」妻はそう答えた。
裏切られたと、反射的に感じた。もう自分には帰る場所も、迎える人もいない。だから自分はもういらない。
飛び降りはしなかった。代わりに私は、家に戻らなかった。戸塚駅近くのガストで朝まで時間を潰し、家と会社を飛んだ。2020年8月7日、決定的な挫折だった。

既に死んだ


失踪はおおよそ一週間に及んだ。日が暮れるまで歩き、夜は公園のベンチで眠った。風呂にも入らなかった。食事の記憶もない。だが死ぬことは無かった。
失踪から帰って来た日、深夜。家のカギを開けると、内鍵が閉まっていた。物音に気づいた妻がドアを開けてくれた。
妻は泣いていた。目がパッチリとしていた妻だったが、泣きすぎて目が腫れていた。
誤解の無いようにはっきり言うが、悪いのは私だ。過程の中で何があろうが、やりきることが出来なかった私に否がある。取引先や協力してくれた方々など、迷惑をかけた人数は計り知れない。今でも自責の念に駆られる。
妻の泣き顔を見ながら私も泣いた。良いとか悪いとか、残っている仕事だとかが、一切がどうでも良くなった。何のために、どこに向かおうとしているのか、もう分からなくなっていた。ただ、妻と娘に側にいて欲しかった。ずっと側にいてほしかった。
その後、妻が間に入り、私は会社を退職した。最後の給料は入らなかった。

運命を決めたのは「おばあちゃんの勇気」


ボロボロの自分を立て直すのは本当に難しい作業だった。少し注意をされただけで、叱責の記憶が蘇り、吐き気を催す為、バイトも続かなかった。
唯一、続いたのが、駅の清掃の仕事だった。小田急江ノ島線にある大和駅で、朝7時から駅構内の清掃をした。定年後の年配者が働く職場で、30代の私が働くのは珍しいことだった。
立ち直りのきっかけになったのは、同じ駅で働く、トイレ清掃を担当するIさんという70代の女性清掃員の方だ。
自分が新人のころ、男性の清掃員に注意したとき、Iさんは男性に胸ぐらを掴まれ、殴られそうになったと言った。
「殴るんなら殴りなよ」
膝が笑い、手も震えていたが、Iさんは男性の目を見て、そう言い放ったそうだ。
この話を聞いた時、ハッとした。勇気を出すことに、年齢や性差は関係無いことに気づいた。
「だからあんたも絶対負けちゃダメだよ」
挫折から二年が過ぎていた。前に進む決心をした。
その後、すぐに清掃員をやめ、SNSで集客を開始した。自分と同じ苦しみを抱えている人を探した。自分の経験と知識を授け、私との出会いを立ち直りのきっかけとしてもらう為だ。現在の収益の柱、個人コンサルの原型だった。

負けを食って前に進め

今回は、私の過去を開示した。皆がスマートに生きている世の中で、ここまで情けない人間はいないだろう。さらけ出すのは重い決断だった。だが、勇気の出し方は清掃のおばあちゃんに教わっている。
私は何度も負けた。挫折して、逃げ出した。だが、過去の負けを食って現在前に進んでいる。
あなたは自分の負けを食って前に進めるか?もし出来ないのなら、王様のハウツーを思い出せ。逃げることも出来ない、限界状況に追い込まれたあなたに、私の持てる全てをくれてやる。
ここまで読んでくれて本当に感謝する。
この記事が、あなたの悩みを解決する導火線に火を点けることを、心から祈っている。


極度のストレスで円形脱毛症に

#自己紹介

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