月下美人
真夜中に咲くその花は
ゆっくりゆっくりゆっくり開いていく。
花って生きているんだなって、リアルに感じたのは
その花、月下美人の花が咲くところを初めて見たとき。
父は、咲ききった月下美人の横で
何年経っても抜けない九州弁で、
「綺麗かろう?」
と言った。
雑然とした部屋の中で
浮き上がるような美しさ。
超越した、圧倒的な美。
けれど、最初の衝撃は、次第に薄れて
次の年
「今日あたり咲くから、起きて見なさい」と父に言われる頃には、
もう私はその花に、月下美人に興味を失っていた。
弟は「眠い、寝る。」
そう言って、とっとと自分の部屋に行ってしまった。
私も自分の部屋へ行きたかったけれど
タイミングを逃して、仕方なく座ってテレビを観ていた。
我ながら、要領が悪いよな・・・なんて思いながら。
やがて
香りが
むせかえるような香りが
リビングに漂い
月下美人が咲いた。
「綺麗かろう?」
父は、去年と同じようにそう言って
嬉しそうだった。
庭に咲くクロッカスすらその名を憶えない父。
なぜあんなに月下美人を愛でていたんだろう。
満開になった月下美人。
写真が趣味の父のことだから
写真を撮りまくるんだろう。
私はまた写真屋さんに現像依頼、おつかいに行かせられるんだな。
・・・めんどくさいな。
ぼんやりそんなことを考えていたら
「写真、撮ってやらんね」
私に頼んで来た。
え?
私??
私が??
・・・いいけど。
自分で撮らないの?
デジカメで月下美人を撮りながら
「失敗した奴はこうやって、ほら、この場で消せるんだよ」
そんな事を言いながら、画像を見せると
「そうか」
父は小さくそう言った。
7月19日。
父の命日。
世話をする人がいなくなったから
我が家に月下美人は、もう咲かない。
むせかえるような香りも、漂ってはこない。
ただ
デジカメの画像ファイルに残された月下美人の写真が
私を見ているばかりだ。
下手な私の写真の中で
咲き誇っているあの日の、
あの夜の月下美人。
「綺麗かろう?」
ああ、綺麗だね。
お父さん、本当に、綺麗かねえ。
私は、面倒くさいを忘れたように、心の中で返事をしていたりする。