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あれこれ読んでいると
所謂「病気になった私」ってジャンルがあることに気が付く。
「病気になってつらかった。」
「病気によってこんなに変わった私。」
「病気によって見えて来たもの。」
「感動人生再生物語。」
そこには、紛れもないひとつひとつの人生があって
なかには、なかなかに厳しい状況の話も、ある。
文章を書くということは
上手、下手、そのことは別にして、一つの呪いのような部分があると
私はそんな風に考えているところがある。
書いたからには、読んで戴きたい。
気付いて欲しい。
そのための「フック」。
そこまでは、判る。
そして「病気」だって・・・その要素になることがある。
けれど、それって、怖いことでもあるよね。
「消費される」ってことを、「病気の部分」も含めて
受け入れる・・・強いなあ・・・と単純に私は思ってしまう。
読み手は「ああ、この人は病気の人」というフィルターをかけて読むんだ。
怖い。
怖くないのかな。
書くことは、
書くことは、
上手、下手、そのことは別にして、一つの呪いのような部分がある。
そんなことを度々、気付けばぼんやり考えている。