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ありがとうを抱えて
「それは、かなんな~。嫌やんな~」
「なんかもう、そない、年取って見えたんかな~って、ほんまに
ショックやったわ~」
バス停で奥さん2人が、席を譲られたってことを巡って、喧々囂々。
ちょうど団塊の世代くらいだろうか。
父は、
杖をつくことも
足が弱ってからの車椅子も、頑なに拒否した。
どんなに身体が楽だよと言っても、勧めても
「病人に見えるのは嫌だ」
「弱っている姿を見られるのは、嫌だ」
その一点張り。
実際問題、病人なんだし、弱っている姿を見られても
それは、恥ずかしいことじゃないじゃん。
なぜそこを割り切って考えてくれないのかと、わたくしは
随分と歯がゆかった。
今なら・・・
今なら
わかる気がするけどね。
その気持ちが
父のプライド。
支えになっていたこと。
そういえば、父が
ベッドの上の生活になって
家に酸素吸入器が置かれて。
肩で息をしているような、苦しい日々になってでも
弟やその家族の前では、酸素マスクを、外そうとするのだったよ。
「病人に見えるのは嫌だ」
「弱っている姿を見られるのは、嫌だ」
「もう帰るわ」
弟がそう告げる
それまでの半時間。
短い時間。
全力で
病気で老いた自分を、つくろい、隠そうとしていた。
ふと、そういえば、いつからわたくしは、「守られる側」から「守る側」へ
移行したのだったろうかと考える。
16歳の頃から、頭の中はちっとも変っちゃいないのに
いつの間に??
まだ、父が歩いて通院していた頃
「これからは、通院に付き合え」と言われて、わたくしは正直
げんなりした。
病院は、
好きな場所じゃない。
何か月か、そこで過ごしてきたわたくしにとっては、
なるべく離れていたい場所。
なのに・・・。
なんでそんなのに、わたくしが付き合わなくちゃいけないのよ
あ~~~
嫌だなあ~~~
病院へは、家から片道1時間以上。
バスを乗り継いで行く。
長い長いその時間を、父と一緒に過ごすのは、考えるだけで気が重く、
憂鬱だった。
昔から、マジで「父と2人きり」って状況が苦手で。
そう、わたくしは、頑固な父が、コントロールフリークな父が、苦手だった。
・・・・
・・・・
そして
・・・・
・・・・
段々と
時が
流れて。
父は
次第に、
動作がゆっくりになっていった。
わたくしが、折りたたみの『簡易椅子』を持っていくようになったのは
いつごろからだったろう。
バスを待つあいだ、人々の立つ、少しの隙間に簡易椅子広げて
「座りなよ」
父は
拒否しなかった。
病院までのバスの中では、
ぶっちゃけ
席の取り合いバトルが激しくて
なんとか父だけでも座らせたいわたくしは、毎回バトルに参加して、
席取りに頑張ったけれど、席がとれないこと、度々。
そんな時
「・・・あの、どうぞ」
え?
いいんですか???
「お父さん、こちら
座らせてくださるって」
「・・・あ、ありがとうございます。」
嬉しそうだったなあ。
そうやって、席を譲ってくださった、何人もの人たち。
ご婦人
学生さん
中年男性
「どうぞ」とも言わずに、目で合図だけして、さっと立ってくれた
あの人も。
きっと
ご自分だって
座っていたかったに、決まっている。
ひょっとしたら
ご自分たちだって、
つらい状況だったかもしれなかった。
病院行きのバスだもの。
あんなにありがたく、
嬉しいことはなかったと
今でも思う。
「席を譲りましょう」
「そんなに席を譲られるほど老人じゃないわ」
その言葉の狭間に、父の顔が浮かぶ。
「病人に見えるのは、嫌だ」
「弱っている姿を、人様に見られるのは、嫌だ」
そうして父は、言ったのだ。
「ありがとうございます」
わたくしは今も、鮮やかに思い出す。
あの時の
ありがたく
嬉しかった気持ちを。
そうだあのバスの中で、わたくしは
「守る」側「守られる」側のことを、知らず知らずのうちに
教えられもしたんだ。
それは表裏一体なのだよと、ゆっくりと、ゆっくりと。
あ、良かったらどうぞ。
「すみませんねえ。ありがとうございます。」
「ありがとう。」
いいえ。
いいえ。
一人胸の中で思う。
いいえ
いいえこちらこそ。
ありがとうを抱えながら
こちらこそ。