~我らの時代~『戦国時代の旅行事情』
こんにちは、まさざね君です。
『超時空対談』の第3弾は、戦国時代の旅行事情についてです。
今回のテーマは、大河ドラマ『麒麟がくる』を見たのがキッカケでした。
『麒麟がくる』では、明智光秀が斎藤道三の命令で諸国を旅(視察?!)するシーンが多く見られます。
それを見るたび、戦国時代なのに何で人の往来が自由に出来るのかなど疑問や興味が湧いて、「旅行事情について詳しく知りたい!」となりました。
対談形式にまとめたので、「へぇ~、なるほど。」と思って貰えたら嬉しいです。(^^)
超時空対談~我らの時代~『戦国時代の旅行事情』
進行:まさざね君
ゲスト:現代代表 野中誠さん、戦国時代代表 柴山藤十郎さん
ゲスト2人のプロフィールを紹介します。
現代代表 野中誠さん
・年齢:28歳
・独身:一人暮らし(彼女いない歴:2年)
・職業:臨床工学士 役職:主任補佐
・週末は、車中泊用にDIYした軽ワゴン車で1人キャンプしてストレス発散。
・海より山が好きなトレッカーでもあるアウトドア派。
・1人キャンプの様子をYouTubeにアップしている自称YouTuber。(笑)
戦国時代代表 柴山藤十郎さん
・年齢:23歳
・既婚(妻:1人 子供:3人)
・職業 上総国 守山藩5万石 守山宗重の家臣 役職:組頭
・柴山家は守山藩に代々仕えている中級武家。
・騎馬隊の指揮官として戦では中心的役割を果たしている。
・領主からの信頼も厚く隣国へ使者(視察)として派遣されることもある。
《対談スタート》
まさざね君
「こんにちは。 進行を担当します、まさざね君です。」
「超時空対談も今回で3回目となりました。 この対談を通して戦国時代の暮らしを少しでも知って貰えたらと思います。」
「今回のテーマは『戦国時代と現代の旅行事情』です。」
「現在、日本の旅行事情は、交通網の発達により国内・海外旅行へ手軽に行ける環境にあります。また、日本政府は[観光先進国]を目指して海外からの旅行者の受け入れも積極的に行っているのでグローバル化もどんどん進んでいると言えます。」
「では、戦国時代の旅行事情はどうだったんでしょう?」
「色んな話を聞けるのを楽しみにしていますので、よろしくお願いします。」
現代:野中さん 戦国:柴山さん
「よろしくお願いします。」
【日本における旅行の始まりについて】
まさざね君
「では、はじめにお二人にお聞きします。」
「日本の旅行の始まりについて何か知っていますか?」
現代:野中さん 戦国:柴山さん
「旅行の始まり?! ・・・わかりません。」
まさざね君
「日本の旅行の始まりは平安時代の[熊野詣]が始まりだったと言われています。」
「この頃は、貴族などの支配級と呼ばれる方が中心でしたが、徐々に庶民にも広がって参拝者(旅行者)が増えていったみたいです。」
「この熊野詣の様子を〔蟻の熊野詣〕と呼んでいたらしく、このことからも多くの方が参拝に訪れていたのが分かります。」
「信仰による参拝が、日本の旅の始まりでした。」
現代:野中さん 戦国:柴山さん
「そうなんですね。」
【戦国時代の旅行の自由度について】
まさざね君
「柴山さんは、領主の命令で諸国に行くことが多いですが、戦国時代に諸国を行き来するのは大変ではないですか?」
戦国:柴山さん
「軍隊で相手国に攻めていくのであれば、命がけになりますが、個人として諸国を行き来するのは、皆さんが考えているよりも自由なので大変でもないですよ。」
「旅をする者は、武士、商人、旅芸人、僧、一般庶民など様々です。」
まさざね君
「そうなんですね。 私の中では、戦国時代は治安が悪いので、諸国を旅するのは命がけのようなイメージがありましたので驚きです。」
現代:野中さん
「でも、黒沢監督の[七人の侍]という映画では、村にやってきた山賊と村人達に雇われた七人の用心棒が戦っていました。なので、戦国時代は山賊や海賊と呼ばれる危険な集団が沢山いたんじゃないですか?」
まさざね君
「私も、そういう映画などを見てきたので、峠などには常に山賊などがいるような危険なイメージがあります。」
戦国:柴山さん
「確かに応仁の乱後は、日本中が荒れていたので山賊や海賊などがいた危険な時期もあました。」
「しかし、織田信長様が勢力拡大してくる頃は、各地の戦国大名も大きな軍事力を持ち領国を掌握するため制度を充実させて警備体制もしかれていたので、野中さんの観た映画のようなことはなかったです。」
「農民も基本的に半農半兵なので家に武器を常備しています。また、戦の経験も豊富なので、山賊がやってきて村人達と戦ったら逆に悲惨な事になっていると思いますよ。(笑)」
「太閤殿下(豊臣秀吉)が全国統一してからは、[刀狩令]によって武士以外は武器を持つのを禁じられたので、山賊や海賊の存在すらなくなったと言ってもいいです。」
現代:野中さん
「そうなんですね! 今までのイメージがガラリと変わりました。」
「考えてみれば、足軽の多くが農民ですからね。 農民最強!!(笑)」
まさざね君
「私も今の話を聞いて凄く驚いています。 黒沢監督の映画の中でも[七人の侍]は大好きで何回も見ていましたから。」
「あれは、映画の中の話なんですね。(笑)」
【戦国時代の交通事情について】
まさざね君
「では、次は戦国時代の交通事情などについて教えて貰えたらと思います。」
戦国:柴山さん
「はい。 道路ですが、野中さんの時代みたいに広くて平らなアスファルト道路はないですが、各地を行き来する道は街道と呼ばれる道路が整備されています。」
「街道は、人の往来だけでなく物資輸送でも非常に重要な役割を果たしているので、野中さんの時代の交通路の必要性と大差はないと思います。」
「また、戦国時代なので街道は軍隊が移動する際、非常に重要な道路にもなっています。」
「ただ、物資輸送でも重くて大量の荷物を運ぶ場合は、船を使って運搬することが多いですね。」
現代:野中さん
「以前、街道を旅するテレビ番組を見た時、峠道では狭くて急な坂が多くて、現場ロケの芸人が大変な思いをして歩いているのを見たんですが、あの道を重い荷物を担いで行き来するのは大変ですよね。」
戦国:柴山さん
「道の険しい所では、馬などが使われています。 駄賃(馬の使用代)を払って、荷物を乗せて運んだり、人が乗って移動したりします。」
現代:野中さん
「そういう商売もあるんですね。 私は、山登りが好きなんですが、昔の装備で峠を越える自信はないです。」
戦国:柴山さん
「峠道は、急な坂だけでなく足元も悪いので、足腰が強い者でも重い荷物を担いで峠を越えるのは至難の技ですね。」
「また、馬を使った駄賃以外にも、川の渡しでは船に乗って渡る場合は船賃、橋を渡る場合は橋賃が発生します。」
現代:野中さん
「戦国時代って意外にインフラが整備されているんですね。 江戸時代と比較しても大差ないような感じがします。」
まさざね君
「戦国時代は、戦国大名が自国の道路整備を行っていたので、他国の侵略からの備えや財力の差などで、1本の街道でも整備状況がマチマチだったようです。」
「江戸時代になると江戸幕府が全国的な支配体制を確立するために基盤事業として現代でも一部残っているような道路が整備されましたが、確かに戦国時代と比較しても大きな変化はないと思いますね。」
【宿泊について】
まさざね君
「宿泊について教えてもらえますか?」
戦国:柴山さん
「もしかしたら皆さんは、この時代の旅って野宿しているイメージがあるかもしれませんが、街道沿いの各所には旅籠(はたご)と呼ばれる宿泊施設があります。」
「旅籠は、基本的に大部屋で朝・夕の食事が付いていますが、風呂と寝具はありません。」
現代:野中さん
「大部屋で風呂、寝具なしというと、雨風を凌ぐための簡易施設みたいな感じですかね。」
戦国:柴山さん
「そんな感じですね。 普段も薄縁(い草を織った筵)を敷いて、着物を着たまま寝ていたし、お風呂に頻繁に入る習慣もなかったので特に違和感はないですよ。 あっ、枕は木の枕を使っていました。」
「ちなみに大名や公家など上級社会の人たちの場合は、板敷きの上に畳を敷いて夜着(襟袖の付いた着物型の掛け布団)みたいなもの掛けて寝ていました。」
現代:野中さん
「大名や公家さんたちの寝具は、だいぶ現代に近づいてきた感じですね。」
「例えば、旅籠に泊まれないような時は、荒寺や空き家みたいなところに野宿することもありますか?」
戦国:柴山さん
「泊まる予定の旅籠が一杯のときは、次の旅籠まで歩いていくこともありますし、お寺などにお願いして泊めてもらうこともあります。」
「荒寺や空き家に泊まるというのは、ごく稀なケースだと思いますよ。」
現代:野中さん
「そうなんですね。 テレビとかでは、荒寺などに泊まるシーンがよく見られるので、昔の人たちは大変だなーというイメージがありました。」
「なんか、映画やテレビのシーンを見て頭の中で勝手に決めつけていたんですね。」
まさざね君
「野中さんの質問のおかげで、私も改めてそうなんだとわかりました。」
「興味深い話が聞けて勉強になります。」
【食事について】
まさざね君
「では、次に旅の食事について教えて貰えますか?」
戦国:柴山さん
「普段生活しているときは1日2食ですが、旅の時は基本的に1日3食です。」
「旅といっても結構険しい道を歩いたりして、体力を消耗するので昼食をとることが多いですね。」
「あとは、旅の途中で儀礼的にと言えば聞こえが良いですが[出立ち酒][落ち着き酒]など何かにつけてお酒を飲んだりもします。(笑)」
まさざね君
「柴山さん、それ凄くわかります! 旅先で飲むお酒は美味しいですからね。(笑)]
【旅行費用について】
まさざね君
「今のお酒もそうですが旅をすれば何かとお金が掛りますが、旅行で掛かる費用の詳細について教えて貰えますか?」
「ちなみに1文の価値は、現在の金額に換算すると150円前後らしいです。」
戦国:柴山さん
「そうですね、宿泊代ですが1泊2日(2食付き)で24文(3,600円)です。この金額設定は、多くの旅籠で一貫しているようです。」
「ただ、例外として温泉宿泊は、1泊2日(2食付き)で80文(12,000円)するらしいです。」
「私は買ったことないですが、旅籠で筵(むしろ)や枕を購入すると、それぞれ15文(2,250円)します。」
まさざね君
「旅籠の金額は、1泊2日(2食付き)で24文ですので、お手頃のように思いますが、温泉宿泊の80文は、現代の相場より少し安いくらいなので頻繁には泊まるというのは厳しいですね。」
戦国:柴山さん
「そうですね。温泉宿泊に関しては、頻繁に泊まることは出来ないので、旅行のご褒美みたいなもんですかね。(笑)」
「続いて、先ほどの交通事情の話しで出てきた駄賃などの交通経費についてお話したいと思います。」
「馬を使用するときの駄賃は15~30文(2,250~4,500円)、川の渡し船賃が5~20文(750円~3,000円)、橋の渡り賃が5~20文(750~3,000円)で距離によって価格が変動します。」
「この金額設定についても広い地域で同じくらいに統一されています。」
「これ以外にも昼食に10文(1,500円)、お酒が15~30文(2,250~4,500円)くらい費用が発生します。」
現代:野中
「時代劇になってしまうけど水戸黄門とかでは、川を渡る時に現場を仕切っている危ない輩が法外な値段を吹っかけるシーンを見かけることがあるけど、それもテレビの中なんですかね。(笑)」
戦国:柴山さん
「今まで何度も旅をしていますが、そのような経験はないですね。」
現代:野中さん
「こうやって色々聞いていると、戦国時代の旅も様々な経費が発生するので、現代と大差ないような感じがします。」
まさざね君
「そうですね。経費が幾らくらい掛かるのかなどを考慮して旅行に行くので、現代と同じく支度金の準備が必要となってきます。」
「先ほどの経費を計算すれば、旅で使用する金額がリアルに分かるので面白いですね。」
【戦国時代 僧侶の旅記録】
まさざね君
「そういえば、戦国時代の旅について面白い史料が残っていました。」
「国立歴史民族博物館に所蔵されている史料で、京都の醍醐寺の僧侶が京から東北までの長旅をした[永禄六年北国下り遣足帳]という旅帳面です。」
「旅帳面は、当時[小日記]と呼ばれ、旅が終わったときに寺に提出する会計報告みたいなものでした。」
「小日記には、宿泊、食事、飲酒、川の渡しなどの金額が詳細に記載されていたので、当時の旅の様子を知ることの出来る貴重な史料となっています。」
現代:野中さん
「有名な僧侶が旅をしていたので、そのような記録が残っていたのですか?」
まさざね君
「それが、全く無名の僧侶だったみたいです。」
「この旅帳面(小日記)は、永久保存の必要性がないため提出後に破棄されるはずですが、偶然にも現在まで残っていたのです。」
【まとめ】
まさざね君
「では、時間となりましたので、最後に一言ずつお願いします。」
現代:野中さん
「今回、柴山さんから戦国時代の旅について色々お話が聞けて良かったです。」
「これまで自分が思っていた戦国時代の旅のイメージとは違うことがわかり、大変勉強になりました。」
「今度、昔の人と同じ気持ちになって歩いて街道を旅してみたいなと思います。」
戦国:柴山さん
「戦国時代の旅にについて、色々知ってもらって良かったです。」
「私も戦のない世になったら、妻と全国を旅してみたいです。」
まさざね君
「これまで私の中では、《戦国時代は治安が悪い=旅行は危険が一杯で命がけ》というイメージでした。」
「しかし、そうでなかったということが次々と分かって大変勉強になりました。」
「では、次回もお楽しみにして下さい。」
「さよなら~♪」
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