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w√OCEAN覆面リレー小説 紅組6 アンカー

「なにこれ」
目の前に置かれた食器の中身に眉をしかめる弟。
「まあ騙されたと思って食べてみてよ」
食器の中身はオレンジ色のソレ、にんじんである。
にんじんをなるべく細長く切り、油でじっくり揚げて、熱い内にすばやく塩をまぶしたシンプルなものだ。
「…………」
弟は私とにんじん揚げを交互に見ている。
ニコリと笑った私に観念したのか、弟は恐るおそるにんじん揚げに手を伸ばした。
口の前まで持っていき、迷いを断ち切るように小さくため息を吐いてから口に入れた。
パリパリとにんじんに似つかわしくない音を鳴らしながらしばらく黙っている。
何かを探すようにキュッと寄せていた眉間の皺はゆっくりと伸び、弟は照れくさそうに笑った。
「……うん。まあ、食べられなくはない」
「美味しいでしょ?」
「普通のよりは」
「よかった。それ大人気なんだよ」
自分も手に取って食べてみる。
我ながら美味しく出来たと顔が綻ぶ。
弟もつられるように2本目に手を伸ばした。


弟と一緒に家出をした翌日、就職面接の日だった。
面接自体に問題はなかったが、ずっと違和感が拭えなかった。
質問に答えている最中だというのに抜け出したい衝動に駆られた。
それは突発的に家出を企てた時に似ていた。
自分から発される志望動機の言葉が生きていなかった。
決して嘘ではなかったが、本当とも言えなかった。
それが通じているのか通じていないのか、面接官たちは終始ニコニコしながら質問を続けた。
それがかえって居心地の悪さを感じさせ、今朝初めて腕を通した黒いスーツの裾を小さくつまんだ。

気持ちとは裏腹に上手く進んだ面接の帰り道、昨夜弟と家出の際に寄ったばかりの喫茶紫苑に足を運んでいた。
昨夜のことなど知らないウエイトレスに昨夜と全く同じ席を案内される。
クリームソーダを頼もうとすると、1日7食限定の極彩色ミルフィーユがあることを知らされた。
味も形も値段も知らないが気にせず注文した。
卓上に置かれているグラスにポットの水を注ぎ、一気に飲み干した。

ふと先ほどの違和感を思い返す。
特に問題があるわけでもなかったのに、あれは一体なんだったのだろうか。
問題がないのなら、ひとまず多くの人が選択するであろう選択肢を選んでおけばいいじゃないか。
そう納得させようとしても、それは本当に自分が選びたい選択肢なのだろうかと疑念が湧く。
次々と浮かぶ言葉の渦にのまれて溺れそうになる。
急いでカバンから赤いノートを取り出しテーブルに広げる。
ノートの真ん中に”これからについて”と黒字で記す。
心をかき乱す言葉たちは具体的な形にはならず、その焦りから”これからについて”という文字をぐるぐると何度も丸で囲む。

そういえば昨日なぜ家出したのかという問いを考えている途中で、にんじんがちらついてつい口角が上がる。
今でこそ笑えるが、私の世界でもソレが脅威だった時期があることを忘れていない。
食べられるようになったのは友人のおかげである。

高校生の頃、友人の家でランチをご馳走になった時のことである。
両親が農家をやっているという友人宅の食卓には色とりどりの野菜が並んでいた。
その中にはもちろんにんじんもいた。
しかしいつもと違ったのは、それぞれが独創的に加工されていたことである。
私が知っているにんじんの姿はなく、それはオレンジ色のパスタに生まれ変わっていた。
「にんじん嫌いだって聞いたよ」
友人のお母さんは親しみを込めるように微笑んだ。
どきりとして友人の方に目を走らせると、彼女は笑みを堪えるよう口元に力を入れていた。
「すみません」
責めているわけではないと分かっていたが、後ろめたさから反射的に謝っていた。
彼女は驚いたように謝ることじゃないよと笑った。
「この子もずっとにんじん嫌いだったの。ねえ? だけどこのにんじんパスタだけは美味しい美味しいって食べてくれるの」
流れるような動作でにんじんパスタの上にたっぷりと白いソースがかけられる。
後にこれはジャガイモとチーズで作ったソースであることを知る。
トングでパスタとソースを絡めながら小皿に取り分ける。
ひと口だけ、と目の前に置かれた小皿には数えられそうなくらいわずかなパスタが入っていた。
「まあ騙されたと思って食べてみてよ」
友人はまるで自分で作ったかのような自信に満ち溢れた声で言った。
クルクルとフォークに巻き付くオレンジのパスタは白いソースと絡んでまろやかな色をまとっている。
あらゆる感情が重なってドキドキしながら口に運ぶ。
友人の期待に満ちた視線を感じながらゆっくりと咀嚼する。
もうじきやってくるであろうあの味を舌で探すが一向にやってこない。
そうこうしている内に全て飲み込んでしまっていた。
「美味しいでしょ?」
右頬にえくぼが出ている友人に心が緩むのを感じた。
私はこの日を境になんとなくにんじんとの距離が縮まった。

回想をしながらメモを取る手が止まらない。
思い浮かぶ言葉にペンを動かすスピードが追いつかない。
書きたい言葉まで行き着けないはがゆさを楽しむ余裕すらある。
当時の自分を救う。
美味しく食べられる形を考える。
野菜の可能性を探ってみたい。
キラキラしたものを作り出そう。
そんな漠然とした言葉を思いつくままに書き殴り、いつの間にか机に置かれていた極彩色ミルフィーユを平らげた。


この日とったメモが元になり、私は野菜に特化したレシピクリエイターをしている。
当時両親には猛反対されたが、説得の末に3年間猶予をもらえた。
その3年間で形にならなかったら、父親の歯磨き粉チューブのキャップ工場を継ぐということで話がまとまった。
どうなることかと思ったが最近ようやく形になってきた。
苦手な食材を食べやすくするレシピの考案を中心に、野菜嫌い克服キャンプの運営や、『マカロニ望遠鏡で夏の大三角を見よう!』『フランスパンベースボール大会』などのワークショップも行なっている。
とにかく自由な発想で食を楽しむということをモットーにしている。

先ほどまで怪訝そうな顔をしていた弟は、まるでスナック菓子を食べるような軽快なペースでにんじん揚げを口に運んでいる。
その隣で私は紫キャベツ茶を飲みながら新規依頼書に目を通す。
コーンは食べられるがトウモロコシは食べられないという依頼人。
これは難題だぞと席を立ち、キッチンに向かう。
「にんじんが食べられるようになったとしてもまた家出しようね」
「もうしないよ」
弟は嘘を吐く時いつも語尾が上ずる。
はいはいと気付いていないフリをしながら冷蔵庫からトウモロコシを取り出す。
規則的なようで不揃いに並ぶ黄色い粒たちを見つめる。
トウモロコシは次々と七変化をはじめた。
その姿を一つも取り零さないようにレシピ作成ノートにペンを滑らせた。

僕の言葉が君の人生に入り込んだなら評価してくれ